八日目:ゴブリンの巣壊滅作戦16
一緒に過ごした時間は決して長くは無かったし、彼らの人となりを美咲はあまり知らない。
かといって、だから死んでも悲しくないかと問われると、もちろんそんなことはない。誰かの死というのは、それが誰であろうとも、見た者の心にそれなりの傷跡を残す。
何より、あまりにも別れが急過ぎた。
ピューミが罠にかかって死んでから、ゴブリンマジシャンの魔法で眠らされたエドワードとディックがゴブリンの群れに殺されるまで、本当にあっという間だったのだ。
「逃げるぞ! 美咲、地図を貸せ!」
惨劇の中、いち早く我に返ったルアンが美咲に手を差し出す。
叱咤されて己を取り戻した美咲は、涙で顔をぐちゃぐちゃにしてルアンに振り返る。
「ピュ、ピューミさんが、エドワードさんが、ディックさんが、み、皆……」
「早くしろ! ボケッとしてんじゃねぇ!」
怒号に近いルアンの声に、美咲は頭が真っ白に近くなりながらも、がちがちになった必死の形相で、震える手で荷物袋から地図を取り出し、ルアンに差し出す。
ルアンは半ば奪い取るように地図を受け取ると、険しい顔で歯を食い縛って激情を堪えているルフィミアに話しかけた。
「このままじゃ俺たちまで死んじまう! 今は堪えて、一刻も早く脱出した方がいい!」
「……悔しいけど、そうみたいね。ごめん、皆。仇は取るわ」
低い声で呻くように吐き捨てたルフィミアはそれきり三人に群がるゴブリンたちから視線を外し、ルアンとともに身を翻した。
美咲もごく自然に目まぐるしく変化した状況についていけず呆けているグモの手を取り、生存本能が命ずるままに一目散に逃げ出す。
先を行くルアンとルフィミアを追いかけながら、美咲は溢れる涙をそのままに慟哭していた。
以前はエルナだった。今回はピューミにディックと、エドワード。
皆優しい良い人たちばかりだったのに。
(死んじゃった……! また、大切な人たちが……!)
それが、この世界においての日常。
残酷な現実に、美咲は打ちのめされていた。
もはや、見付からずに進むことなど不可能だ。既に一度捕捉されているのもあって、ゴブリンたちが集まってくるのはかなり早い。
迫り来る大勢の足音を聞き付け、ルアンが一瞬だけ背後に目をやって舌打ちする。
「くそっ! やっぱり追いかけてきやがる! それもかなりの数だ!」
「どうするの!? 出口にも待ち構えられてる! このままじゃ完全に挟まれるわよ!」
それだけでなく、頼みの綱の出口ですら、ゴブリンたちに占拠されていた。
出口を塞ぐゴブリンのうち、先頭のゴブリンたちが仲間を集める呼子をひっきりなしに吹き鳴らしている。
事態は逼迫していて、ルフィミアの言うとおり、出口に続く通路はゴブリンたちで塞がれているというのに、逃げてきた通路とは別の通路からも、呼子の音を聞きつけたゴブリンたちが次々と溢れ出して追いかけてくる集団に合流している。
エドワードもディックもピューミも、もうゴブリンたちの中に埋没してしまって姿が見えない。
もはや逃げ場はない。
出口側を向く美咲とルフィミアの死角をカバーして洞窟の奥側に向き直り、、ルアンは剣を握り締めた。
ルアンは理解していた。自分たちは詰みかけている。このまま何の手も打たずになし崩しで乱戦になれば、間違いなく全員死ぬだろう。
けれど、誰かが残って時間稼ぎに徹すれば、残りの二人は生きて洞窟を脱出できるかもしれない。
ならば、その役目は騎士こそが相応しい。
(……まあ、俺はまだ、見習いで騎士じゃないけどな)
自分の決意を、ルアンは自分で哂う。
騎士見習いとして経験した数少ない実戦では、父親や兄に至れり尽くせりのお膳立てをしてもらって、苦戦らしい苦戦などしたことはなかったし、そもそも本当に危険な戦場では後方支援に下げられていたから、騎士見習いとしては大した修羅場をくぐってはいない。
これでは騎士見習いどころか、冒険者としても半人前だ。
(いや、半人前なのは元からか)
深呼吸したルアンは、早鐘のように鳴る心臓の鼓動を自覚し、苦笑を漏らした。
(惚れた弱みだよなぁ。頼むから最後まで震えないでくれよ、俺の声)
険しい表情で迫り来るゴブリンを睨みつけながら、静かな口調でルアンがルフィミアに言った。
「……仕方ない。俺に強化魔法をかけてくれないか」
「あんた、まさか……!」
意図を察してルフィミアが愕然とした表情になる。
半ば感で、ルフィミアはルアンがしようとしていることを察したのだ。
仲間を失ったばかりで感情的に拒否しそうになったルフィミアの言葉は、声を荒げたルアンによって遮られた。
「今ならまだ間に合う! 誰かがやらなきゃ僅かな可能性すらゼロになる!」
ルフィミアにも、美咲からも、背を向けたルアンの表情は見えない。
「……ここなら道が狭いから、一人でも何とか時間を稼げる。俺が後続を食い止めるから、その間に出口を陣取ってるゴブリンたちを蹴散らして脱出するんだ。外に出さえすれば、あんたなら充分やれるだろ。美咲のこと、頼むよ。俺はもう、守ってやれないと思うから」
俯いて歯を食い縛ったルフィミアは、炎の眼差しでルアンを睨みつけた。
「それなら、私が残るわ。半人前が粋がるんじゃない。命は大切にするものよ」
ルアンの背中が震え、呼気が漏れる。
笑っているのだ。
「その台詞、そのままそっくり返すよ。そりゃ確かに俺は冒険者としても、騎士としても半人前だけど、後衛のあんたに殴り合いで遅れを取るほどじゃない。そりゃあんたの実力が十全に発揮できる状況なら、確かに俺なんて足元にも及ばない。でも今は俺の方が強いさ」
そこまできて、ようやく美咲も理解した。
自分たちを逃がすためにルアンは自らここに残って、ゴブリンたちと戦おうとしているのだ。
美咲は慌ててルアンを引き止めようとした。
エドワードもディックもルアンも失ったのだ。これ以上誰かを失うのは、美咲には我慢がならなかった。
形振り構わず、ゴブリンたちに向かって走り出そうとするルアンの背中にしがみ付いて引き止める。
「待って、ルアン。逃げるなら一緒に逃げよう。三人でかかれば、きっと追いつかれる前に脱出できるよ。脱出さえできれば、ルフィミアさんの魔法で切り抜けられるでしょ? ねえ、ルフィミアさんだって、そう思いますよね?」
尋ねられたルフィミアは、美咲に答えることができない。
確かに洞窟から出さえすれば、その強大さ故に自粛せざるを得なかったルフィミアの魔法が解禁される。発動させることさえできれば上位種に率いられているとはいえど、ゴブリンの軍勢など簡単に壊滅状態に追い込めるだろう。
だが、それはベルゼとて百も承知のはずだ。だからこそこの洞窟から逃がさないために、罠を仕掛けて必殺の布陣を引いたのだから。
第一、全員で出口を目指しても、洞窟から出られるかどうかは怪しいものだ。足止めされている間に追いつかれ、すり潰されるのが落ちだろう。そんなことをするよりも、残る自分を囮に一点突破し、恥も外聞も金繰り捨てて逃げ出した方がよほど生存率は高い。
それが分かっているからこそ、ルアンは別れを嫌がる美咲に軽口を叩いた。
「外に出たところで、詠唱中の護衛が俺とお前とグモの三人だけじゃ多勢に無勢過ぎてどうにもならないだろ。そんなことよりお前はさっさと逃げ帰って修行でもしてろよ。俺が死ぬことを申し訳なく思うなら、強くなって、いつか魔王を倒して俺の代わりに勇者になってくれ」
まるで遺言染みたルアンの言い草に、美咲は激怒した。
「嫌だ! 二人で魔王を倒すって決めたじゃん! 一人にしないでよ!」
「聞き分けの無い奴だなぁ」
全く聞き分ける様子の無い美咲に、ルアンはぼやいて頬を掻いた。
ぼやく割には、その声はどこか嬉しそうだった。
「……彼に強化魔法をかけるわ。ごめんね、美咲ちゃん」
美咲がしがみ付くルアンの背中が、強化魔法をかけられて逞しく、盛り上がっていく。
たちまち硬質化していくルアンの肉体に驚いた美咲が僅かに身を引いてしまい、慌てて再度しがみ付こうとする。
だが、自由になった瞬間を強化魔法をかけられたルアンは見逃さない。
「悪いな、美咲。そういうわけだから、聞き分けてくれ。勇者になるって俺の夢、笑わないでいてくれてありがとな。短い間だったけど、一緒に戦えて、楽しかったよ。お前のこと、結構好きだった。……元気でな」
伸ばした手を擦り抜けて、ルアンが押し寄せるゴブリンの群れ目掛けて駆け出していく。
「待って、行かないで」
反射的に後を追いかけようとした美咲を、自分とグモに強化魔法をかけたルフィミアが片手で抱き止めた。
その瞬間自分にかけた強化魔法が霧散しルフィミアは驚いて目を見開くが、半狂乱になっている美咲を診て原因を追究している場合ではないと思い、今は流す。
「何でっ! どうして邪魔するの!? 早く止めないと、ルアンが、ルアンが死んじゃう!」
ルアンを追いかけようとする美咲の気持ちを、ルフィミアはよく理解できた。
行かせてしまえば、今生の別れになると美咲も分かっているのだろう。だからこそ、ルアンを止めようとした。
でも、ルアン自身が美咲を助けると決めたのだ。その選択を、ルフィミアは無碍には出来ない。
「いい加減にしなさい!」
もがく美咲を、ルフィミアが怒鳴りつける。
「彼が背後の抑えに回ってくれたお陰で、私たちは目の前の敵に集中できる! 今は死中に活を見出す好機なのよ! 彼を追いかけていってみなさい、確実にあなたも彼も犬死よ!? それでもいいの!? 彼の決意と犠牲を無駄にする気!?」
美咲の動きがぴたりと止まった。
「……その言い方は、卑怯です」
頭から冷水を浴びせられた気分だった。
激情のままに、あのままルアンを追いかけていられたら、どんなに良かったかと美咲は思う。
もう、美咲はルアンを追いかけたくても、一歩も踏み出すことはできなかった。
だって、ルアン本人に託されたのだ。魔王を倒して勇者と呼ばれるようになるという夢を。
それに、どう取り繕ったって、死ぬのは怖い。
エドワードや、ディック、ピューミの死に様をまざまざと見せ付けられた。
冷静になってしまった今、後を追ってしまったら今度は自分の番が回ってきてしまうと分かっているのに、どうして動くことができるだろう。
身体中が震え、思わず呼吸の仕方を忘れてしまうほど、美咲にとって死は恐ろしいものだった。
(酷過ぎるよ。死ぬと分かってて、ルアンを見殺しにしなきゃいけないなんて)
決断に対する後悔は深く、未練は未だ背後に向いている。後ろ髪を引かれる美咲の心は、嫌だ、嫌だと訴えている。
それでも出口を守るゴブリンを前にして、美咲は勇者の剣を抜いた。そうしなければルアンの決断も、勇気も、託されたものも、全てが無意味になると諭されたから。
何より、足止めをルアンに任せたところで、まだ危機が去ったわけではないのだ。今度は美咲自身が、命懸けで退路を切り開かなければならない。
やっとやる気になってくれたかと安堵するルフィミアは、美咲から手を離し自分に強化魔法をかけ直した後、美咲に強化魔法をかけようとして失敗し、目を瞬かせた。
「あら?」
「私には魔法が効かないんです。後で説明します」
困惑するルフィミアを他所に、美咲は端的に告げた。
決して後ろを振り返らず、ゴブリンたちを見据えたまま、固い声でグモに言う。
「先に謝っておくよ。悪いけど、今はゴブリンたちのことまで考えられそうにない。……殺しちゃったら、ごめん」
指先が白くなるまで握り締められた勇者の剣を見てしまっては、グモは何も言えなかった。




