八日目:ゴブリンの巣壊滅作戦1
美咲が何回か砂時計をひっくり返したあと、冒険者たちの前にギルド職員が現れ、依頼の概要が説明される。
「今回の作戦目的は、巣となっている洞窟に潜むゴブリンたちを殲滅することです。ギルドの調査で、現在ホブゴブリンまでの存在が確認されています。マジシャンやロードなどの上位種については確認されていませんが、各パーティは万が一に備え警戒を怠らないようにしてください。上位種の存在が確認された場合、巣内での戦闘続行は大変危険です。無理に交戦せず即時撤退し、巣外で迎え撃つようにしてください」
ギルド職員の説明を聞いていた美咲は、浮かんだ疑問点を小声でルアンに質問した。
「……どうして巣の中で戦っちゃいけないの?」
振り向いたルアンは、同じく小声で美咲の疑問に答える。
「ゴブリンマジシャンが使う魔法が、攻撃魔法じゃなくて眠りや麻痺といったこっちを状態異常にしてくる魔法だからだよ。状態異常を与えてくる魔法は攻撃魔法みたいに目に見える形で発現するわけじゃないし、狭い洞窟内じゃ避けようがないから一網打尽にされちまう。ゴブリンロードがいた場合はゴブリンたちが組織化されて厄介なことになる。伏兵なんかの搦め手も積極的に使うようになるから、死角の多い洞窟内じゃ不利だ。外に出て戦った方がいい」
要は想定外の事態が起きたら撤退しろということだ。
一つの疑問が解消されたら、また一つ疑問が浮かび、美咲は首を傾げる。
「なら、最初から外で戦えばいいのに。どうしてわざわざ中に入るんだろう」
その疑問にも、ルアンは律儀に答えた。
「理由は主に三つある。まずゴブリンの上位種なんてのは滅多にいないっていうのが一つ。ゴブリンたちは夜行性で昼は大体巣で寝てるから、昼のうちに襲えば夜中に戦うよりも安全に戦えるっていうのがもう一つ。残る一つは巣にはゴブリンたちが貯めた戦利品があるからだよ」
美咲には戦利品なんて言われてもピンと来ない。
元の世界ではバーゲンなどで個数が限定されている安い商品を買って戦利品などと称することがあったが、それとは大きく違うことくらいは、さすがに美咲でも分かる。
「戦利品? ゴブリンが何を戦利品にしてるっていうの?」
「何でもさ。あいつらは村や旅人を襲って、奪ったものを片っ端から巣に持ち帰るんだ。ガラクタも多いけど、中には貴金属とかの貴重品も結構混ざってることがある。元々の報酬に加えて、これらは回収した冒険者の物になるから、皆目の色変えて巣に押し入る。上位種さえいなければ、ゴブリンなんて初心者でも倒せるから」
「私でも倒せるの……?」
「たぶんな。もし一人では難しくても、俺と美咲の二人だし確実にやれるよ」
ルアンに断言され、美咲は少し安心した。
(そうだよね。私だけで挑むわけじゃないんだし。ルアン以外にも、ルフィミアさんとかも参加してるんだから、何とかなるよね)
ゴブリンが弱いと言われても、命のやり取りをしたことのない美咲にとっては全く慰めにならない。
それよりも、味方が多いことの方が、美咲にとっては心強かった。
ギルド職員の説明は続く。
「巣の入り口は現在三つ確認されています。冒険者の皆様は突入するパーティと彼らの退路を確保するパーティに分かれ、不測の事態に備えてください。冒険者ギルドにおきましては、安全のために突入するパーティに熟練者を、退路の確保にそれ以外の冒険者を当てることを推奨いたします」
その後も説明が続いたが、今回のクエスト概要を要約すると全体としては以下の内容になる。
目的はゴブリンの殲滅及び財宝の奪取。
ゴブリンたちは就寝している昼間でも見張りだけは立てているため、隠密行動に長けた冒険者たちがまずこれを排除。
三つの入り口から熟練パーティが突入し巣の各区域を制圧。制圧済みの区域を保持して退路を確保すると同時に、ゴブリンたちの逃げ道を封鎖する。その際突入組が取り逃がしたゴブリンとの散発的な戦闘が予想されるが、いずれも小規模に留まるだろうとのこと。
財宝は原則として見つけたパーティの物らしい。
これには一部冒険者から不満の声が上がったが、美咲は逆に当然のことだと思った。
(まあ、仕方ないよね。一番危険な役割の人が一番利益を得るのは理に適ってるし)
美咲が横目でルアンを見ると、少しつまらなさそうな顔をしていた。
ルアンも実戦経験がないから、自分は退路確保組に分けられると思っているのかもしれない。
クエストの説明が終わると、ギルド職員が各パーティを突入役と退路確保組とに分けた。
案の定美咲とルアンは退路確保組だった。
ルフィミアたちのパーティは突入組で、ルフィミアたちの実力をルアンから聞いていた美咲は驚かなかった。
「本クエストはギルド主催による合同クエストであるため、移動用にこちらで馬車を用意しております。出発準備を終えたパーティから、係員の指示に従って馬車に乗り込んでください。時間になりましたら出発いたします」
説明が終わり、冒険者たちは己の装備の最終点検をするもの、早くもギルド職員の後についていって馬車に乗り込もうとするもの、何をするでもなく雑談するものなど、様々に分かれた。
美咲はまたあの尻に対する拷問ともいえる体験をすることになるのかとげんなりする。
乗りたくないなぁ、乗りたくないなぁとうじうじしている美咲に、ルアンが声をかけた。
「よし、馬車に乗り込む前に持っていく道具の最終確認するぞ」
「え? 必要なものはもう買ったのに、する意味あるの?」
「あるに決まってるだろ。念には念を入れることに越したことはない。何しろいざという時俺たちの命を繋ぐのはこれだけなんだから」
ルアンの言っていることはもっともだ。
準備不足で命を落とすくらいなら、多少面倒でも準備に時間をかけた方がいいに決まっている。
「それもそっか。確かにいくらやってもやり過ぎってことはないかも」
二人は道具袋を開き、それぞれ中身を一つ一つ確認する。
「食料。パンとジャムに串焼きが一食分。薬類。外傷に効く薬草が十枚。……あ」
目を丸くした美咲が見たのは、道具袋に入れっぱなしにしていた安物の魔法薬だった。
今美咲が使っている道具袋は、元々はエルナのものなので、美咲には効果がないものも入っている。
不要なものを持っていたらその分重量が増えて、動きづらくなる。体力の消耗が激しくなってしまうし、身軽さなんかも失われてしまう。
必要な荷物は絶対に持っていくけれど、、その一方で可能な限り無駄な荷物を減らした方がいいのも事実だ。
「このまま入れっぱなしにしておくのもな……」
一瞬ルアンにあげようかと思ったが、魔法薬はルアンも常備しているだろうし美咲とルアンの戦力差を考えると「お前が使え」と遠慮されるだろう。そうすると結局道具袋に入れっぱなしにしなければならなくなりもったいない。
理由を捏造しようにも、ルアンよりも弱く怪我をする可能性が高い美咲が魔法薬を使わない理由なんてどう考えても不自然なものにしかならないし、異世界人であるという美咲が使えない理由は後々の面倒事を鑑みると到底話せない。
「いけね、魔法薬補充し忘れちまった」
「ちょ、今頃何言ってんの。店に買いに行く時間ないわよもう」
「ディックの迂闊さはいつか命取りになりそうな気がしてなりません。おお神よ、ディックに加護を与えたまえ」
「……使え。俺のを分けてやる」
「いや、敵の注意を引きつけるお前のストックが少なくなるのはまずいだろ。今日の相手はたかがゴブリンだし、今残ってる分だけで何とかなるさ」
「不足の事態に備えなくてどうするのよ! そうやって楽観からくる油断が身を滅ぼすんだからね! 気をつけなさいよ!」
「そんな怒るなって。不足の事態なんてそうそう起こらねえよ。今までだってそうだっただろ?」
処理に困った美咲の耳に、丁度良くルフィミアたちの会話が飛び込んできた。
何か問題が起きているらしく、ルフィミアが激昂していて大声を出している。
「ん? どうした?」
立ち上がった美咲に気付いて道具を確認していたルアンが顔を向ける。
「ちょっとルフィミアさんたちの様子見てくる。ルアンはそのまま道具の確認してていいよ」
「分かった。お前もすぐ戻って確認終わらせろよ」
ルアンに頷きを返し、美咲はルフィミアたちがいる場所に近付く。
近付いてくる美咲に気付いたルフィミアは、そこでようやく自分たちが注目を浴びているのに気付いたのか、顔を赤くして愛想笑いを振り撒いた。
「ごめんなさい。ちょっと五月蝿くしちゃったかしら。静かにするから許して頂戴ね」
「いえ、そういうわけではなく。……あの、良かったらこれ、使ってください」
美咲は処理に困っていた魔法薬をルフィミアに差し出した。
ルフィミアは一瞬目を輝かせたが、柳眉を下げて遠慮がちに美咲の顔と魔法薬を交互に見る。
「……いいの? あなたたちの分が少なくなっちゃうんじゃない?」
「買い過ぎて持ちきれない分なので大丈夫です。それに、使わないのに持っているより必要な人の役に立った方がいいですから」
理由は適当に繕い、美咲は魔法薬をルフィミアに受け取らせることに成功する。
「ありがとう。実は困ってたの。助かるわ。ディック! 美咲ちゃんがくれたからこのクエストが終わったらちゃんとお礼言っときなさいよ! あ、これ代金ね」
本当は欲しかったのかホッとした顔で魔法薬の瓶をディックに投げ渡したルフィミアに、何気なく大銀貨を一枚手渡され、美咲は思わず口を開けて唖然としてしまった。
大銀貨といえば銀貨十枚分の価値がある特殊硬貨だ。日本円に換算すれば十万円である。
(あの魔法薬ってこんなに値段が高かったの!?)
金額にも驚いたが、それをあっさり即金で出したルフィミアにも驚く。
道具の補充や武具の整備、買い替えなどでルフィミアたちは目玉が飛び出るほどの金額を使っているし、その分の経費を差し引いてもおつりが来るほど稼いでいる。
エルナが安物だと言っていたので、てっきり美咲は二束三文で買えるのだとばかり思っていた。
どうやら同じ二束三文でも、美咲とルフィミアたちとではかなりの認識の違いがあるようだった。
ルアンのもとへ戻った美咲はなるべく平静を装って道具の確認を再開する。
その際こっそり硬貨の詰まった巾着に、ルフィミアから貰った大銀貨をすべり込ませた。
(十万円もするのに私には全く効果が無いんだ……。安くついていいと思うべきか、迷うところだなぁ)
本来ならこのラーダンでエルナが補給を行う予定だったのだが、荷物を奪われ、詳しい事情を知るエルナが死んでしまい、不慣れな美咲一人でやらなければならなくなってしまった。
王子の方もここまで早くエルナが脱落するとは思わなかったのか、それともまだエルナの死が伝わってないのか、はたまた敢えてそのままにしているのか、美咲に改めて何らかの使者が寄越される様子もない。
(私って人族の希望を背負った勇者なんじゃないの? なのにこのいかにもどうでもいいような扱いはなんなのよ……)
用意されている手筈のずさんさには呆れを覚えるばかりばかりで、美咲は思わずため息を漏らしてしまう。
とはいえいつまでも目の前の事以外について考えていても仕方ない。
このクエストが終わったら今度は城砦都市ヴェリードに行くための仲間を引き続き探さなければならないのだ。
「そろそろ行くか」
「うん。そうしよう」
持っていくものの確認を終え、不備がないことを確認した美咲とルアンは、連れ立って馬車へと移動する。
冒険者ギルドがわざわざ用意しただけあって、馬車は美咲が今までこの世界で見た馬車の中で、一番大きくて頑丈な造りをしていた。
頑丈さならアリシャの馬車も負けていないかもしれないが、大きさは圧倒的に負けている。
クエストに参加する人員を乗せるのだから、並大抵の大きさでは務まらない。
それほどの大きさの馬車に何頭もの馬が繋がれている。
(そっか。大きいからそれを引く馬だってたくさんいるもんね)
どうでもいいことに感心しながら、美咲は先に乗ったルアンに続き馬車に乗り込んだ。