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歪んだ図形  作者: 宝花匡将
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第5章 事件の進展②

第5章 事件の進展②



1.事件aと事件cの関連


 吉野刑事が、声を荒げて、本郷に報告した。

「警部、あの、9月10日の夜に立花健夫が行った、あの名曲喫茶『アンダンテ』のマスターから、いま電話がありまして、あの夜、立花と相席していた女性が、大森由起恵によく似ているということです。連日、ニュースやワイドショーで大々的に放送してますから、それで思い出したということでした。店の従業員にも確認した上で電話をくれたようなので、ほぼ間違いないと思いますが。念のため、名曲喫茶に行って、直接話を聞いてきます」

そう言うと、竜崎刑事を連れて、早々に部屋を出て行った。

吉野の話は、本郷だけでなく、捜査一課の刑事たちはもちろん聞いていたが、最も反応したのは速水だった。

「警部、大森由起恵と立花健夫に接点があったとしたなら、もう一度原点に立ち返って3つの事件を考える必要があるかも知れません。大森由起恵が同じ日時に立花と同じ喫茶店に行き、しかも相席したというのは偶然だとは思えません。もちろん、その可能性がゼロではありませんが。もう一度この事件を分析してみたいんですが、立花と宮部、あるいは山口との接点は何か浮かんだのでしょうか?」

「いや、立花と宮部との接点はまだゼロだ。立花と山口の接点は、1つわかっている。2人とも文京大学出身であるという点だ。だが、立花は経済学部、山口は工学部で、キャンパスが異なっているんだよ。経済学部は御茶ノ水なんだが、工学部は府中にある。また、立花は山岳部に入っていたが、山口はサークル活動はしていない。おまけに山口は一浪しているから、学年も1年違う。2人の接点としてはかなり弱いね」

「そうですか。確かに弱いですね。それで、通話記録から何かわかっていませんかね」

「通話記録も、吉野と竜崎を中心にしらみつぶしに所轄に調べさせているんだが、立花と宮部、あるいは山口と連絡をとった形跡が全くないんだ。個人用携帯、自宅、会社全て含めてもだ。今はプロバイダに協力してもらい、電子メールの送受信についても調査をしているんだが、お互いが連絡を取ったという痕跡が今のところ全く出てきていない」

「了解です。それであれば、おそらくこのまま調査をしても出てこないでしょう。もし、私が考えている仮説が正しければ、とても頭のいい犯人たちです。簡単に足がつくような連絡手段を使っているとは思えません」

そう言って、速水は会議室へ向かった。今回は、手帳だけでなくノートパソコンも持ち込んだ。そして、あたかも頭痛のような、例のポーズをとって、ホワイトボード、捜査資料、自分の手帳をフル活用して、頭の中をまず整理するのであった。


石橋淳子のもとへ行っていた梅沢と遠藤が戻ってきた。早速梅沢が報告を始めた。

「あ、警部、石橋淳子の自宅へ行ってきました。住所でいうと、北区王子6丁目のマンションでしたが。地下鉄南北線の王子神谷駅から、歩いて4、5分でした。

 それで、山口貴之のことですがね、どうやら彼が言っていることは間違いないようですね。念のため、マンションの住人にも訊いてみたんですが、同じ階に住んでいる、瀬端茜という30代後半の主婦が、2人を見てましたね。瀬端茜の部屋は、石橋淳子の部屋の2つ右隣です。貴之の写真を見せたんですが、間違いないと言っていました。目撃したのは、ちょうど彼が会社に戻ろうとした時のようですね。普段は静かなマンションなのに、かなり騒々しい声がしたので、気になって窓を開けて覗いてみたら、あろう事か、淳子と男性が淳子の部屋の前で堂々とキスをしていたらしいですよ。それで、時刻は午後4時45分から50分前後だったそうです。毎日楽しみに観ているテレビドラマがちょうど終わろうというころだったので、よく覚えているということで。しかし警部、こりゃ、山口の証言は正しいということになりますなぁ。わざわざ部屋の外でキスしていたとか、いささか胡散臭いところもありますがね」

そう言って、自分のデスクに座った。

続けるように、遠藤が言った。

「それから、石橋淳子さんですが、17日の午後は、休暇を取っていました。勤務先にも確認済みです。それと、彼女が山口さんから依頼されて、彼に都合のいいような嘘を言っているようには全く見えませんでした」

「そうか。わかった。2人ともご苦労様でした。ついでといっては何だが、遠藤君、会議室にいる速水に、その事を話しておいてくれないか」

 そう言って、本郷が2人を労った。遠藤が返事をして、会議室の方へ向かった。


しばらくして、名曲喫茶『アンダンテ』へ向かっていた吉野と竜崎から、立花と大森由起恵が一緒にいたのは間違いないという報告が電話で入った。今度は報告を受けた本郷が自ら速水にそのことを告げた。速水は大きく頷いた。そのときに本郷が見た速水の様子から、既に頭の中ではだいぶ纏まってきているような感触を本郷は持った。


速水が会議室にこもり、一人きりになってから、約2時間経った。名曲喫茶へ行っていた吉野、竜崎の両刑事も既に戻ってきていた。

 ようやく、速水が本郷のもとに現れ、整理できた旨を伝えた。全ての刑事たちが、会議室へ向かった。そしてすぐさま速水の説明が始まった。ホワイトボードには、既にたくさんの情報が書き込まれていた。その情報を指で指しながらの説明となった。

「以前に説明したように、この3つの事件は共通点がいくつかあります。その中で、全て金曜日に起きていることと、容疑者の年齢が同じこと、容疑者全てが完璧なアリバイを持っているということ、そしてBとCが同じ会社の社員であること等から、当初は事件bと事件cの交換殺人ではないかと考えました。ところが、事件bのときのC、そして事件cのときのB、どちらもアリバイがあることがわかりました。よって、当初の私の推理は間違っていたことが証明されました。ですが、私は、そもそもこの3つの事件の関連性の方を疑っていましたから、全く落ち込んでいません。むしろ、2つだけではなく、3つの事件が関連しているという思いを強くしました。

 ここで都合よく、先ほど、名曲喫茶のマスターより、あらたな情報を得ることができました。事件cの被害者である大森由起恵と、Aとのつながりです。これが偶然である可能性はほぼゼロに近いことは、皆さん同じ意見だと思います。もちろん、私もそう思っています。

 さて、そろそろ結論に行きましょうか。私は、この3つの殺人事件が、全て交換殺人事件だと推理しました。とりあえず、『トライアングル交換殺人』とでも名前をつけておきましょうか。これはまだ仮定の域を出ませんが、私はAとBとCが、何らかの接点があると思っています。つまり、立花健夫、宮部良彦、山口貴之はつながっているということです。

 それでは、この仮説に基づいた場合、犯人は誰かということになりますが、まずBの宮部良彦を考えてみます。今までの捜査から、宮部は、事件b、事件c共に完璧なアリバイがあるので、必然的に事件aの実行犯ということになります。事件bでは秋田県の角館にいましたし、事件cは、金曜日の就業時間帯に起きていますから、普通は会社で仕事をしてますし、複数の社員の証言も取れています。これは間違いないでしょう。

 それでは次にAの立花健夫を考えてみます。まず、Aが事件bの犯人である可能性が浮上しますが、そうだとすると、残ったCの山口貴之が事件cの犯人となってしまいますね。ですが、これはアリバイが証明されてますし、そもそも、この理論はAとBとの交換殺人に他ならず、この仮説には合いません。ですから除外します。ということは、つまりAの立花健夫が殺したのは事件cの被害者である大森由起恵ということになります。私は、2人が喫茶店で会っていたのは、偶然ではなく、事件cのための、何らかの前準備か何かだと思っているのです。

 そうすると、必然的に、残った事件bの犯人はCの山口貴之です」

そこまで説明したときに、すかさず高杉が横槍を入れた。

「速水さん、話していることは理解できるんですが、山口が事件bの犯人ということはあり得ませんよ。私と一緒に山口本人や庶務の佐伯から話を聞いたじゃないですか」

遠藤もそれに続いた。

「それに、石橋淳子さんや、同じ階に住んでいる瀬端茜さんの証言もありますよ」

しかし、高杉や遠藤の反論は、速水には予想通りの反応だったと見えて、速水は顔色一つ変えず、説明を続けた。

「その通りです。ですが、私は金曜日にわざわざ恋人に会いに行くという山口の行動は、アリバイ工作だと思えて仕方ありません。それと、普通に考えた場合、わざわざ目立つように外へ出てドアの前でキスをするでしょうか? 明らかに、誰かに見てくださいと言っているようなものです。そこで、山口の行動をもう一度整理してみようと思いました。そして、パソコンを使い、『路線案内』のソフトを使用して、路線図と時刻を書き出してみました。プリントアウトしますから、少々お待ちください」

 そう言って、パソコンから人数分の図を出力した。竜崎がプリンタのところで待ち構え、6枚印刷されたのを確認すると、会議室へ急ぎ戻って皆に配布した。


挿絵(By みてみん)



2.事件bと容疑者C(佐々本幸次と山口貴之)


「簡単な路線と、時刻を記載しています。出発は『CYC通信』です。ここを15時に出たとすると、渋谷では15時12分の山手線に乗れたはずです。・・・・」

 と言うように、この図の説明を始めた。

「・・・・この図の大前提として考えたのは、CYC通信を出た時刻と、瀬端茜の目撃証言及び山口の帰社時刻です。これらについては、間違いなく事実だと思います。ですので、山口貴之が石橋淳子の家を出た時刻を16時50分前後、そして千代田システムエンジニアリングへ帰社した時刻を17時42分として、時刻を入れてみました。

 ここで、『青』で記載した時刻は、山口貴之の証言通りに記載したもので、『赤』は庶務の佐伯香里のものです。確かに、この図でいうと、西日暮里駅で『青』と『赤』は出会うんですよ。全く同じ時刻。17時25分です。佐伯香里の証言どおりにね。しかも、17時42分に帰社したということとも辻褄が合っています。

 ですが、私は、佐々本幸次が殺害された南大塚のアパートと、石橋淳子のマンションの距離が比較的近いことに気がつきました。王子神谷から大塚までは、直線距離で4キロ足らずです。

王子から大塚までは、都電荒川線も通っていますし、もちろん、車で移動したということも、可能性としては十分考えられます。ただし、駅が細かく、平均速度も遅いので、都電荒川線はまず除外しました。

 次に、車を使って移動したという可能性ですが、まず山口は自家用車を持っていないので、タクシーを使うか、レンタカー、あるいは知人に車を借りることになります。ですが、よく考えてみてください。実際の自分の殺害の場合でも、アリバイ工作を考えるようなヤツですから、簡単に足がつきそうな危ない方法を選択するとは思えません。ですので、車での移動も除外することにしました。

 さて、それでは何を利用したのか。答えは地下鉄と山手線です。よほどのことがない限り、知人でも何でもない、普通のサラリーマンの顔を、いつまでも覚えているようなことはほとんどありませんし、危険性が格段に減るからです。時刻の正確性という意味でも、鉄道の方が断然優れていますしね」

「つまり、鉄道を使えば、山口は佐々本幸次の殺害が可能、つまりアリバイがないということを、速水は言いたいのか?」

 梅沢が口を挟んだ。速水は、これまた表情を全く変えずに説明を続けた。

「ええ、その通りなんです。理論上、殺害は可能なんです。ここで、配布した紙の、この『緑』の時刻を見てください。石橋淳子の家を16時48分ごろに出て、王子神谷16時53分発の地下鉄南北線に乗れば、駒込でJR山手線に乗り換えた後、大塚に17時8分には到着します。そこから歩いて佐々本幸次の自宅へ向かい、すぐに彼を殺害した後、大手町へ向かえば、17時42分には帰社できるんですよ。

 それで、現場から帰社する経路ですが、始めは、殺害後にまた大塚駅へ戻ってから、巣鴨を経由し都営三田線で大手町へ向かったか、あるいは池袋を経由し丸ノ内線で大手町まで向かったのかと思いましたが、それではどちらも17時42分に帰社するのは理論上不可能でした。そこで悩んだのですが、地図を眺めていて、殺害現場から丸ノ内線の「新大塚」駅まで、たかだか数百メートル足らずだということに気づきました。ですから、おそらく大塚駅へ戻らずに、新大塚へ向かったはずです。この図のように、新大塚17時25分の丸ノ内線に乗れば、17時42分に帰社できるのです。ですから、死亡推定時刻である17時から17時半の間に佐々本幸次を殺害することは、理論上は十分に可能なんです。あと、念のため付け加えておきますが、殺害日の9月17日、16時から18時までの時間帯について、列車の遅延はなく、平常どおり運行されていたことは、JRや東京メトロに確認済みですので。

 それから、おそらく山口は、事前に予行演習を何度か行っているはずです。なぜなら、山口の部下の奥谷真弓も、山口がCYC通信との定例会議後に、佐々本幸次の殺害実行時と同様に、何度か単独行動をとったことを証言していますし、それを物語っています」

そこまで聞いた段階で、本郷が口を開いた。

「うん、ここまでの説明はわかった。それでは、速水は、西日暮里で山口を見かけたという佐伯香里の証言が、偽証だと言いたいのかね?」

「ええ、その通りです。佐伯香里の証言があるからこそ、山口のアリバイは成立するのであって、それ以外の事実は、彼が犯人だということを物語っています。それで警部、1つお願いがあるのですが」

「何だ、言ってみろ」

「佐伯香里の証言の真偽については、ひとまず置いておいて、あくまでもこの図は、パソコンの『路線案内』ソフトと地図を見て考えた、紙上での話です。ですから、考えた通りに移動できるかどうか、明日実験をしてみたいのですが。何か新たなことがわかるかもしれませんし」

「わかった。やってみようじゃないか。それで、この図を見る限り、3つのグループに分ければいいのか?」

「はい、できれば2名ずつ、3つのグループに分けたいと思います。この図で言うところの、『青』『緑』『赤』の時刻で示したところに相当します」

「了解した。それでは、速水と高杉は『青』、つまり山口の証言に従ったコースを、吉野と竜崎は『緑』、つまり実際山口が移動したであろう、速水が推理したコースを、梅さんと遠藤君は『赤』、つまり佐伯香里のコースを担当することで、明日の午後に実験を決行しよう」


翌日、実験を行う時刻が近づき、梅沢刑事と遠藤刑事が大手町の千代田システムエンジニアリングへ、そして速水、高杉、吉野、竜崎の4人の刑事が、王子神谷の石崎淳子の自宅前に移動した。本郷が本庁の方で待機し、あらかじめ決めておいた、いくつかの連絡ポイントでの連絡を受けて記録することとし、全員の準備が完了した。


時刻は午後4時48分となり、まず吉野と竜崎が石橋淳子宅を出発した。その2分後、速水と高杉が出発、そして、午後5時5分となり、梅沢と遠藤が、千代田システムエンジニアリングを出発した。ついに実験が開始されたのである。

本郷のもとには、着々とポイント通過の連絡が舞い込んできた。今のところ、速水が作成した図で示した時刻と、寸分たがわなかった。実験は順調に進んでいた。


 時刻は、5時35分となった。まず、梅沢から、ゴールである北千住駅前の歯医者に到着した旨、連絡が入った。そして、その5分後に速水から、さらに2分後に吉野からゴールへの到着の連絡が入り、実験は無事終わった。結果は、速水が考えた図の通りで間違いないことが証明された。


速水、高杉、吉野、竜崎の4人が揃って本庁に戻ってきた。皆が実験結果を気にしていたが、本郷から大成功だったことを聞き、みんな安堵の表情になり、満足気だった。

 しかし、間を空けずに、速水が難しい表情をして本郷に報告した。

「警部、予想通り、佐伯香里の証言は完全に偽証ですね。実際、地下鉄千代田線の西日暮里駅へ行って確かめました。JR京浜東北線から地下鉄千代田線に乗り換えるわけなんですが、千代田線のあの駅は、反対方向に行く電車が見えるような、ホームが1つという駅の構造ではそもそもないのです。わかりやすくいえば、大手町・代々木上原方面のホームが地下1階だとすると、北千住方面、つまり反対方向のホームは地下2階なんです。つまり立体構造になっているわけで、ですから、理論上、確かに駅に到着するのは同じ時刻なんですが、逆方向の電車やホームの乗客を見ることは、物理的に不可能なんです。だから、北千住へ向かう電車に乗っていた佐伯香里が、大手町へ行こうとした山口貴之を見たというのは、絶対あり得ません。こういう構造の駅は、都内にいくつかあることを以前に聞いたことがあったはずなんですが、うっかりしてました」


しばらくして、北千住へ行っていた梅沢と遠藤が帰ってきた。彼らも実験結果をとても気にしていたが、本郷から結果を聞くと、他の刑事と同様、満足気だった。そして、遠藤も速水と同じ理由で、佐伯香里が山口貴之を見ることはできないということを強調した。


皆を集めて本郷が言った。

「みんな、ご苦労様。実験はうまくいったし、佐伯香里の証言が偽証だということも、山口貴之に殺害が可能であることも実証された。だが、これは殺害が可能、つまりアリバイが崩れたことにすぎない。9月17日に、佐々本幸次のアパート近くで山口貴之を目撃した者がいないかどうか、再度洗ってみよう」

ここで、間髪入れずに高杉が割って入った。

「すみません警部、今の時代だと、首都圏の鉄道では、ほとんどの人がSUICAやPASMOなどの非接触型ICカードを利用していると思います。一定の金額をチャージしておけば、わざわざ切符を買わずにスムーズに乗れますからね。山口貴之も電車通勤していますから、当然そのICカード乗車券を持っていると思われますので、その記録を調べてみてはどうでしょうか」

それに対して、これまた想定内という顔をして、即座に速水が答えた。

「うん、それはそうなんだが、ヤツはもともと頭がいいし、それにシステムエンジニアだ。その辺は十分わかっているだろう。ICカード乗車券のシステムに関すること、特に技術的なことは、我々よりもずっと詳しいだろうからね。きっと、犯行当日も記録が残らないよう、それを意図的に使用せずに、わざわざ切符を買ったにちがいない。ただ、ヤツも人間だし、うっかり使用したかもしれない。調べてみる価値はあると思うよ」

それに対し、高杉はあからさまに不機嫌になったが、最後に本郷が纏めた。

「ああ、では高杉、君がそのICカード乗車券の記録を調べてみてくれるか」


翌日、本郷は、吉野と竜崎に、豊島区南大塚の、佐々本幸次のアパート周辺の目撃者探しの指示を出した。そして、佐伯香里の偽証の件では、本人に確かめるために、同性の遠藤を指名した。3人はそれぞれ部屋を出て行った。速水はまた会議室へ引きこもり、例のポーズを続けていた。

 さらに、高杉は、鉄道会社と連絡をとりながら、ICカード乗車券の記録を調べ始めていた。

 1人残った梅沢は、立花健夫と宮部良彦、あるいは山口貴之との接点を探すのに躍起となり、机の上に積まれた資料を読み返していた。


遠藤からの報告により、佐伯香里が、山口貴之に偽証を依頼されていたことを白状したということが伝えられた。香里は、追及するまでもなく、あっけなく素直に認めたらしい。おそらく、いつかはこうなることを悟っていたのだろう。

 遠藤が香里に詳しい話を聞いてみると、どうやら、貴之はマネージャという自分の立場を利用して、時折遅刻をする香里の、遅刻をもみ消してあげたことで、彼女は貴之に「借り」があったため、香里も無下に断れなかったらしい。この件でも、貴之の計算高いところが垣間見えた。


 一方、吉野と竜崎は、佐々本幸次が殺害されたアパート周辺の聞き込みで、17日の午後5時10分ごろに山口貴之らしい人物を目撃したという女性を見つけた。その女性は、蓮沼杏奈という30代の主婦で、佐々本幸次のアパートの近所に住んでいた。しかし、よくよく聞いてみると、残念ながら、顔写真だけでは断定できないということであった。

 そこで、明日、実際に山口貴之を見てもらい、彼女が目撃したのが貴之で間違いないかどうか、確認してもらうことにした。


翌日、捜査本部は、あらかじめ山口貴之が午後から顧客先に出かけるという情報を入手していた。吉野と竜崎は蓮沼杏奈をつれて、先回りして車を千代田システムエンジニアリングのビルの入口近くに駐車し、そこで彼が出てくるのをじっと待った。待機をしてから20分ほどして、貴之がビルから出てくるのが見えた。吉野が蓮沼に言った。

「蓮沼さん、あの男なんですが、あなたが見た男ですか?」

「ええ、背格好や雰囲気はよく似ているんですが、顔はちらっとしか見ていませんので。・・・・あ、あの鞄・・・・ 」

「彼の鞄がどうかしたんですか?」

「ええ、鞄につけているあの人形、見覚えあります! 私が見たのはあの人に間違いないと思います。たしか名前は『サルボボ』っていう、岐阜県の飛騨高山の民芸品なんですけど、あれをつけている男性ってとても珍しいと思って、すごく印象に残っているんです」

「わかりました。ご協力、どうもありがとうございました。竜崎、たしか、山口貴之の出身地は岐阜県の高山だったよな?」

「ええ、そのとおりです。これで山口貴之も終わりですね。吉野さん」

「ああ、すぐに警部に報告だ」


残念ながら、高杉が独自に行っていたICカード乗車券の記録の調査は不発に終わったことで、捜査本部は非常に重苦しい雰囲気に包まれており、本郷も、神妙な面持ちで吉野からの報告を受けたのだが、新たな有力情報がもたらされたことで、辺りはにわかに明るくなった。


 これで、まず三角形の一角が崩れた。



3.事件aと容疑者B(池田敏明と宮部良彦)


三角形のうち、一角がようやく崩れたが、まだ2つも残っている。


今度は、事件a、つまり池田敏明が殺害された、9月10日金曜日の、夜10時から10時半までの、容疑者B、つまり宮部良彦のアリバイ調べに入った。


宮部良彦に事情を聞くため、遠藤刑事と高杉刑事が、千代田システムエンジニアリングへ向かった。

7階の会議室で、事情聴取が始まった。まず、遠藤が口火を切った。

「宮部さん、早速なんですが、新たな事実が浮かびまして、9月10日金曜日の午後10時から10時半までの間、どちらにいらっしゃいましたか?」

宮部も、山口と同じように、びっくりした表情をした。

「え、9月10日ですか? この前は確か、17日のことを訊かれましたけど・・・・」

「ええ、詳しいことは申し上げられないのですが、捜査で進展がありまして、関係者の方全員にうかがっているのですよ」

さすがに女性らしく、相手を逆撫でしない、やわらかい表現である。

「ああ、そうなんですか。刑事さんもたいへんですね。ええと、10日の金曜日の夜ですよね。多分仕事のために、まだ会社にいたと思いますけど・・・・。ちょっと待ってください」

宮部はそういって、手帳を開いて確認した。

「ああ、やっぱりその日は11時半ぐらいまで仕事をしてますね」

「そうですか。それを証明できますか?」

「さあ、どうかなぁ。もう2週間以上前のことですしねぇ。あ、上司の正津でしたら、証明してくれるかもしれないですが・・・・」

その後、高杉が口を挟んだ。

「あの、前に別の方からお話を聞いたときに、セキュリティシステムの記録を見れば、誰が何時に、どこのドアから入室したかがわかる、とうかがったのですが、退室のときも同じ仕組みのようにお見受けしたのですが、この記録によって、あなたの入退室の時刻は確認できませんかね?」

すると、先ほどよりもさらに驚いた表情で、宮部が答えた。

「刑事さん、よくご存知ですね。もしかしたら、うちの山口から聞いたのではないですか。おっしゃる通り、入室も退室もカード、暗証番号、静脈認証の3つが必要なんですよ。・・・・そうか、それで私がずっと会社にいたことが証明できますね」

 答えた後、かなり明るい表情になった。

 早速、9月10日の宮部良彦の入退室記録を出してもらった。今回は、画面だけでなく、紙に印刷してもらった。特に午後9時前後から11時ぐらいまでの時間帯を、重点的に確認することにした。

 遠藤と高杉が目を凝らしてその記録を見ていたが、宮部については午後10時18分に退室、そして10時31分に入室の記録があることがわかった。その後の退室の記録は、午後11時32分であった。また、午後9時代の入退出記録はなかった。遠藤が言った。

「午後10時代に、2回記録がありますね。入退室一度ずつですが」

「ええ、あ、これですか。10時18分と10時31分。うーん、それだったら、多分トイレ行って、その後、コンビニへ夜食を買いに行ったんじゃないかと思いますね。まあ、外出していたのが13分間なので、間違ってはいないと思いますけど」

「そうですか、わかりました。この後、念のため正津さんにもお話をうかがっていきます。ご協力ありがとうございました」


宮部の上司である正津の答えは、明確に覚えていないということで、有効な証言は得られなかったが、セキュリティシステムの管理者の名前を訊き出し、念のためデータの改竄がなかったかどうか確認してから帰ることにした。2人で確認したセキュリティシステムの記録は、宮部による池田敏明の殺害が不可能であることをはっきり示していた。


遠藤と高杉が本庁へ戻ってきて、本郷に報告した。それに対して本郷が言った。

「そうか、ご苦労様。宮部のアリバイは有か。うーん、そのシステムの記録は間違いないんだろうね。誰も改竄していないという、先入観での捜査はまずいぞ」

「ええ、もちろん大丈夫です。念のため、システム管理者にも話を聞いてきました。改竄はされていないと断言していました」

会議室でそのやり取りを聞いていた速水が、ハッと気づいたように、ホワイトボードの内容を凝視していた。

(先入観か・・・・)


本郷が、遠藤からの報告内容を速水に伝えるために、会議室に入って行った。

「どうやら、宮部良彦にはアリバイがあり、実行犯ではなさそうだ。また君の推理は、はずれた形になってしまったが・・・・」

 それに対し、速水は黙って大きく頷いた。ただ、ショックを受けているようには見えなかった。

そして、また、例のポーズがはじまった。


 20分ほどして、速水は本郷のもとへ歩み寄った。

「警部、宮部が犯人である可能性はまだ残っています。この事件の視点をちょっと変えてみたんですよ。池田敏明は、殺害される前にお台場でデートしていて、婚約者とりんかい線の駅で別れた直後、正確には30分後から1時間後までの間に殺害されています。しかも、遺体発見現場がお台場のテレコムセンター駅近くであり、それ故、当然のように殺害場所はお台場だ、と思い込んでいたとしたらどうでしょう。つまり、私は、殺害現場はお台場ではないと思うのです。例えば、何とか理由をつけて、池田を大手町の千代田システムのビル近くまで呼んでいたとしたら、宮部でも殺害可能ですよね。タクシーにしろゆりかもめを使ったにしろ、大手町なら池田が移動する時間はたっぷりあったわけですから。それに、宮部の外出が確認されている「13分間」があれば、首を絞めてどこかに死体を隠すだけのことは十分できますからね。仕事が終わった後で、ゆっくり死体をお台場まで運べばいいわけです。それから、通話記録によれば、死亡推定時刻の少し前に、立花健夫と池田敏明は、何度か電話で会話していることが確認されています。おそらく立花が言葉巧みに、池田が大手町まで来るように仕向けたんじゃないでしょうか」

「なるほど、それで、宮部が一旦帰宅した後、おそらく車を利用して再び会社へ行き、隠していた死体をお台場まで運んだ・・・・」

「はい、私はそう思っています。千代田システムエンジニアリングのビルは、何度も行っていますので、よくわかっているのですが、1階はテナントが入っていないですし、空室があります。さらに表口は午後7時には閉まってしまうことを確認しました。すなわち、夜7時以降は一般にはわかりにくい裏口を通ることになり、一時的に死体を隠すことは十分可能と思われます。それと、確か、宮部は車を持っていましたよね?」

速水の問いに、竜崎が答えた。

「ええ、持っていますよ。白のセダンです」


物的証拠も、目撃証言もまだないが、少なくとも宮部のアリバイは崩れた。これで宮部が殺害したという可能性は非常に高くなった。


 これで、三角形の、もう一角が崩れた形となった。

   


4.事件cと容疑者A(大森由起恵と立花健夫)


三角形のうち、二角を崩すことができた。残りは、あと一つである。


最後は、事件c、つまり大森由起恵が殺害された、9月24日金曜日の、午後3時から5時までの、容疑者A、つまり立花健夫のアリバイ調べに入った。


立花健夫に事情を聞くため、吉野刑事と高杉刑事が、城東銀行新橋支店へ向かった。

1階の応接室で、事情聴取が始まった。まず、吉野が口火を切った。

「立花さん、お忙しいところ、恐縮です。単刀直入にうかがいますが、実は新たな事実が浮かびまして、9月24日金曜日の午後3時から5時までの間、どちらにいらっしゃいましたか?」

「はい? 9月24日ですか? この前は10日の事件のことを随分訊かれましたけど」

立花も、宮部や山口と全く同じ反応を示した。

「私は10日、新宿の名曲喫茶へ行っていましたから、犯人であるわけはないですが、てっきりそれが証明されたのだと思っていましたよ。それで、池田を殺した犯人は逮捕されたんですか?」

「いいえ、残念ながらまだ逮捕にまで至っていない状況です。詳しいことは申し上げられないのですが、捜査で進展がありまして、24日のことを是非うかがいたいのです。これは、関係者の方全員にうかがっています」

「ああ、そうなんですか。ええと、あ、その日は隅田川で若い女性の水死体が発見された日ではありませんでしたか? そうですよね? あの若い女性、名前は存じ上げなかったのですが、あの名曲喫茶で相席した女性によく似てるとずっと思っていたんですよ」

吉野と高杉は、立花の予想外の答えに、呆気に取られた。吉野が続けた。

「ええ、大森由起恵という、32歳の女性です。彼女が殺されました」

「え? 殺されたんですか。彼女」

「はい。正確に言うと、殺害された可能性が高いということになります。今はその線で捜査を進めています」

しかし、立花は、大森由起恵が殺害されたということを聞いても、驚きや悲しんでいるような様子は全くなく、ずっと表情を変えなかった。

「そうですか。お気の毒ですね。・・・・それで、なぜその大森さんが殺された日の私のアリバイを調べているんですか? まさか私が犯人とでも?」

「いえ、全くそんなことはありません。先ほども言いましたとおり、念のため関係者の方全員にうかがっているんですよ。ご協力願えませんか?」

それに対し、立花も一見事情を理解したような、だが一方では迷惑そうな、複雑な顔をした。

「うーん、わかりました。それはかまいませんが、ええと、あの日は連休の谷間で、以前休日出勤した分の代休を取っていました。4連休にしたかったのでね。ですが、せっかくの休みに体調を崩してしまって、ずっと家にいましたよ」

「わかりました。それでは、ご家族の方がそれを証明していただけますね?」

「いいえ、それが、妻と息子が、ちょうど旅行に出かけてましてね、私1人だったんですよ。だから、それを証明するといってもねぇ・・・・」

立花は困った顔をした。

しばし考えてから、またぼそっと話し始めた。

「午前中は誰にも会いませんでしたね。電話もありませんでした。どうも風邪を引いたらしくて、熱と咳があったもんですから、ずっと布団で横になっていました」

「病院には行かなかったのですか?」

「ええ。自宅で休んでいました。・・・・」

そこから、また少しの間があって、立花は少し明るい表情に変わって続けた。

「ああ、そう言えば、夕方になっても熱が下がらず、咳も止まらなかったので、薬局へ薬を買いに行きました。薬の知識は全くないですし、久しく風邪など引いてなかったので、薬剤師さんにいろいろ訊きましたよ。覚えていてくれないかなぁ」

期待と希望が入り混じった感じの話し方だった。

「薬局へ行ったのは何時ごろだったですか?」

「ええと、4時半少し前、ってとこですかね。すみませんが、正確には覚えていません」

「そうですか。わかりました。ありがとうございました。あ、最後にもう一つだけ・・・・」

一瞬だけ立花の顔が曇ったのを見逃さなかったが、吉野は、そんなことはお構いなしとばかり続けた。

「実は、大森由起恵さんなんですが、24日は誰かと会う約束をしていたようなんですよ。相手はもしかして、あなたではありませんか?」

「はあ? 私は名曲喫茶で一度会っただけで、彼女の名前も知らなかったんですよ? 私がそうだという証拠でもあるんでしょうか」

何故か、立花が急に剥きになったように思えた。

「いいえ、念のためうかがってみただけです。ところで、喫茶店で会った女性が大森さんだということを、以前にうかがったときに話していただけませんでしたね。なぜですか?」

 立花の顔が一瞬引きつったようになった。

「・・・・ああ、テレビで彼女の水死体が発見されたというニュースを見て、あのときの女性だと確信したからですよ」

「ほう。本当はもっと前からご存知だったのではないですか?」

「そんなことは絶対ありません!」

 最後には、かなり憤慨した態度をとった。

(とうとうボロを出した感じだな・・・・)

ここで、立花が薬を買いに行ったという薬局の名前と場所を訊いて、立花への事情聴取を終わらせることにした。


帰り際、立花の上司の津山和哉に、24日の立花の代休のことを確認したが、事前にきちんと申請されて許可が出ており、立花の話は紛れもない事実であった。

吉野と高杉は、城東銀行を出た後、すぐに本郷に報告を入れて、立花のアリバイについて詳細に説明した。そして、そのアリバイのウラを取るために、大井町の薬局へ向かった。


大井町の薬局では、薬剤師の滝口蔵之介が対応してくれた。滝口は、堅物で気難しそうな、博士タイプの52歳の男である。この薬局は、処方箋も受け付ける薬局で、定休日は日曜日のみである。滝口は、日曜日と月曜日以外は、毎日出勤するという勤務体系であった。

早速、吉野が、24日の立花健夫についてのことを切り出すと、

「ああ、この人ね。よく覚えていますよ。ああ、お客さんにこんなことを言ったらまずいですけど、いろいろうるさい方でしたねぇ。咳と熱に効く薬がほしいと言うもんだから、いくつか選んでみたんですけどね、どこがどう違うんだとか、成分表をみながら、『アセトアミノフェン』は何だとか、『ブロムヘキシン』だったかな、その効能は何だとか、それは細かいことを訊いてきましたよ。一応、訊かれたことには全て答えましたけどね」

 と、差し出した写真を見ながら言った。吉野が続けた。

「へえ、そうだったんですか。それで、この人はよく来ますか?」

「いや、私は長いことこの薬局に勤めてますけど、初めて見る方ですね」

「わかりました。それで、この人が何時ごろ来たか、覚えていますか?」

「ええ、正確ではないのですが、大体4時ちょっと過ぎぐらいだったか、あるいは4時半ぐらいだと思います。夕方だったのは間違いないです」

「そうですか、わかりました。ありがとうございました」

(アリバイありか・・・・)

そして、吉野と高杉は本郷へ報告を入れて、急ぎ本庁へ向かった。


吉野の報告を受けた本郷は、会議室で例のポーズを続けている速水に、吉野からの報告内容を伝えた。一見、24日の立花のアリバイもゆるぎないものであるかに思えた。


本郷が速水に伝えてから、30分ほどしたであろうか、吉野と高杉も既に戻ってきていた。立花のアリバイの件について、その場の刑事達が議論をしている中、速水が会議室から出てきて、本郷のもとへ歩み寄った。吉野、遠藤、高杉が早速、速水の話を聞こうと、本郷のもとへ集まってきた。

「24日の午後4時ごろの、立花が薬局に行ったということについてはさっき聞きましたが、まあ、立花のアリバイも証明されたことにはなりません。現在までの捜査で、大森由起恵が、9月24日の午後3時から5時までの間に死亡した、おそらく殺害されたのでしょうが、それは確かにわかっていますが、多分、隅田川で殺害されたのではありませんね。事故である可能性も考えて、吉野が荒川遊園よりも上流の隅田川で目撃者探しを行っても、目撃者は出ていないし、有力情報も全くあがっていません」

「速水さん、ちょっと待ってください。確か検死報告では、大森由起恵は、隅田川の水を飲んでいたことがわかっているんでしたよね?」

すかさず高杉が言った。速水は、その問いは想定済みとばかり、答えた。

「ああ、その通りだ。だが、それは隅田川の水で殺害されたというだけで、隅田川で殺されたこととは違うんだ。つまり、隅田川へ行かなくても、川の水がありさえすれば問題ないわけだよ。事前に、ポリタンクか何かに汲んできておけばね。その水を使って、いつでも好きなときに殺害できるわけだよ。これは昔からある、古いトリックだ。それから、立花を犯人だといえる理由がまだある。吉野が立花に24日のアリバイを尋ねたとき、彼は自ら『若い女性の水死体が発見された日ですよね?』と口走ってしまったのだよね。吉野が、24日がどういう日かということをまだ何も言っていないのにだ。実際に水死体が発見されたのは26日の日曜日であって、多少の勘違いはあったのかもしれないが、それにしても自分からその話を持ち出すのはおかしいと思わないか?」

「なるほど・・・・」

 と高杉が頷いた。立花にアリバイを聞いていた当の吉野も、

「その場では気づかなかったけど、確かに、言われてみれば、立花が自分が犯人だと言っているようなものですよね」

 と自分自身を納得させるがごとく、独り言のように小さく呟いた。

 さらに、速水が続けた。

「いろいろ考えた末、宮部が池田敏明を会社近くに呼んで殺害した可能性が高いのと同じで、『犯人』が動いたのではなく、『ターゲット』を移動させたのではないか、と気づきました。それと、大森由起恵が働いていたスーパーの店員の証言等も加味すると、由起恵は立花のことを好きになってしまったのではないかと思いますね。彼女の様子が変わったという時期的にもピッタリですし、手段は分かりませんが、おそらく何度か連絡を取り合っていたのでしょう。だから、彼女の自宅にあったカレンダーに『☆』があったのも、立花と会う約束をしていたのだと推測されます。立花は、大森由起恵を自宅に呼び、殺害した直後、または殺害の前かも知れませんが、意図的に薬局へ行ってあれこれ質問をし、店員に自分を印象付ける芝居をしたんですよ。アリバイ工作のためにね。体調を崩したというのも、怪しいものです。そうなると、殺害場所は立花の自宅と見て間違いありません。おおかた、深夜になってから、車で死体を隅田川まで運んで川に捨てたんでしょう」


本郷は、難しい顔をして、速水の話をずっと聞いていたが、筋の通った説明に、すぐに納得した。そして遠藤と高杉に向かって言った。

「さあ、速水の仮説を証明するぞ。遠藤君と高杉は、9月24日、立花の自宅周辺で、大森由起恵が目撃されていないか、徹底的に目撃者を探してくれ」

2人が元気よく返事をして、部屋を出て行った。


しばらくして、遠藤から本郷に電話が入った。本郷が電話に出た。

「ああ、警部。遠藤です。速水さんの仮説は正しかったですね。目撃者が見つかりました。下柳愛さんという、近所の主婦なんですが、立花健夫さんの家の前で大森由起恵さんが立っているのを見かけたそうです。その後、立花さんが出てきて、彼女を家の中に入れたそうです。大森さんの写真も何枚か見てもらいましたけど、間違いないということです。

 大森さんの写真は、テレビのニュースやワイドショーで日夜出ているので、それを見て、『自分が立花さんの家の前で見た女性と良く似ているなぁ・・・・』とずっと思っていたそうなんですけど、死体が発見された隅田川とはだいぶ距離が離れているので、多分別人だろうと考えるようにしていたらしいのです。ですので、気になってはいたけれども警察へ通報するところまではいかず、今日我々が聞き込みを行っているのを知って、下柳さんも確信をもったようです。大森さんが立花さん宅を訪れたのは間違いないと思います」

「そうか、わかった。これで立花が犯人である事は間違いないだろう。それで、その下柳さんが由起恵を見かけた時刻についての証言は取れたのか?」

「それは、はっきりしないそうです。午後2時から3時ぐらいだったそうですが、正確にはわからないと言っています」

「了解。ではすぐに戻ってきてくれ」

そう言って本郷は電話を切った。

速水以下、その場にいた刑事達たちは、みな揃って、安堵の表情を見せた。


 これで、三角形の、全ての角が崩れた形となった。

   


5.AとBとCのつながり


梅沢刑事と竜崎刑事は、本郷や速水たちとは別に、立花と宮部の接点について独自に調べていた。

速水の仮説どおりであれば、三角形の3つの角は崩れたが、そもそも現段階では、まだ三角形が成り立っているわけではないのである。


梅沢と竜崎は、捜査資料や、仕事関係、大学関係などを中心に調べていたのだが、立花と宮部の接点は依然として浮かんでこなかった。梅沢は、長年の刑事のカンから、立花と宮部の過去にヒントがあるのではないかと思うようになっていた。

 そして、まずは妻の宮部美智代に話を訊くことにした。


梅沢と竜崎は、宮部良彦の自宅がある、渋谷区恵比寿に向かっていた。到着すると、まだ弟の死の悲しみから抜け出せずにいる美智代が、玄関で力なく彼らを出迎えた。そして、梅沢の顔を見て、ちょっと驚いた顔をした。

「突然すみません。以前、弟さんの事件についてお話をうかがった警視庁の梅沢です。ちょっとあることを調べてまして、またお話をうかがいたいのですが。こんなときに申し訳ありません」

「はい、わかりました。どうぞ」

美智代の声は小さく、全く元気がない。

 2人の刑事は、そのまま家の中へ入った。ソファに座るやいなや、梅沢が言葉を発した。

「実はですね、弟さんの件もそうなんですが、まだ残念ながら犯人逮捕には至っていません。それで、ある人物に疑いがかかりまして、事件の関係者の方々に、その人物との関係を念のためうかがっているんですよ。その人物は、立花健夫という、36歳の銀行員なんですが、あなたがこの男をご存知か、あるいはご主人から名前を聞いたこと等はありませんか?」

「いいえ、私はその方は存じませんし、主人から聞いたこともありません」

「そうですか。確か、あなたもご主人も出身大学は多摩学院大学ですよね。失礼ですが、大学で知り合ったのですか?」

「ええ、知り合ったといっても、大学時代は特に付き合っていたわけでもなく、話もほとんどしたことはなかったんですよ。つまり、同じ経営学部の同級生だっただけです。・・・・あるきっかけで、付き合い始めることになったんですが、それは卒業してから何年か後です。・・・・それが今回の事件と何か関係があるんですか?」

「いいえ、特にそういうわけではないんですが・・・・。それでは、ご主人の宮部良彦さんは大学時代に、何かサークルに入っていましたか?」

「さあ、その頃の話はあまりしたことないですけど。・・・・多分入っていなかったと思いますよ」

サークル活動から、何かつかめるかもしれないと思い、かなりの期待を持って尋ねてみたのだが、美智代の答えを聞いて、2人の刑事とも落胆した。梅沢が、なお続けた。

「それでは、ご主人の趣味のことを聞かせてくれませんか? 現在だけでなくて、昔のことでもかまいませんが」

「主人の趣味ですか。今は仕事が趣味のような感じですね。それから、たまにDVDで映画を観るぐらいかしら。・・・・それでも、あ、そういえば、いつだったか、『これでも昔はアウトドア派で、山登りなんかもしたんだぞ』って自ら言い張っていたことがありましたけどね。・・・・最近は旅行ですら、ほとんどしてませんから、本当かどうか怪しいものですけど」

 それを聞いていた竜崎が、美智代に聞こえないように、静かに梅沢に耳打ちした。

「確か、立花健夫も大学時代、山岳部に入っていましたよ」

その後、梅沢と竜崎は顔を見合わせた。そして、今度は竜崎が言った。

「その山登りは、現在はやられていないようですが、いつまで山登りをしていたとか、なぜ止めたか等の話は聞いていませんか?」

「はあ、あまり詳しく聞いたことはないですね。さっきも言いましたけど、そもそも、アウトドア派だったという話が、本当だとは思っていなかったので、その時はただ笑って受け流しましたから」

それを確認して、梅沢と竜崎は、宮部邸を後にした。


本庁に戻ってきて、すぐに梅沢が本郷に報告した。

「警部、立花と宮部が結びつくかどうか、まだ何とも言えませんが、手がかりはつかめました。どうやら、宮部良彦は、昔はアウトドア派で、山登りを趣味としていたようですね。いつごろの話かははっきりしていません。また、いつ止めたのか、なぜ止めたのかもわかりません。少なくとも、現在は全く山には登っていないようですが」

本郷が目の輝きを鋭くして言った。

「梅さん、それですよ。接点は。よし、みんなで手分けして、まず都内の登山関連の店をしらみつぶしにあたってくれ。何としても2人の接点を見つけるんだ」

 その後、6人の刑事が元気良く部屋を出て行った。


翌日、速水と遠藤から、報告が入った。

「警部、やりましたよ。御茶ノ水にある登山用品店で、2人の接点を見つけました。店の主人である、脇坂涼という47歳の男から聞いた話ですが、12、3年ぐらい前まで、立花、宮部、脇坂と、もう一人、今泉という同世代の男の4人で、よく山登りに出かけていたそうです。ところが、初秋の槍ヶ岳で、今泉が足を踏み外し、滑落して死亡したということがあって、それ以来、立花も宮部もショックを受けて、登山をやめてしまったらしいです。2人とも、脇坂とは、現在でも時折連絡を取っているようですね。私から見ても、脇坂は世話好きの『いい兄貴分』といった感じを受けます。それから、これが最も重要なんですが、立花と宮部は、年も同じだったので、4人の中でも特に仲がよかったと証言しています。警部、これで決まりですね!」

本郷も喜びを隠せなかった。

「よくやった、ご苦労さん」


立花健夫と宮部良彦の接点と、宮部良彦と山口貴之の接点から、宮部が仲介役となって、立花と山口を結びつけたことは容易に推測できた。また、立花と山口の出身大学が同じであったことから、なお一層2人の結びつきが強固なものになったのかもしれない。


しかし、いずれにしても、これでようやく、『三角形』を形成することができた。なおかつ、同時にその3つの角を、崩すことができたのである。

このように、3つの殺人事件の犯人がほぼ特定できたところで、同時に3人の捜査令状をとり、家宅捜索を行うこととなった。それぞれの自宅や乗用車等の大々的な捜索に入った。これは、所轄がメインで行われたのだが、さまざまな証拠を押収した。主な物的証拠は、次の3点である。もちろん、押収物はDNA鑑定も行っており、殺害の証拠としては十分であった。

 ・宮部良彦の車の中より、池田敏明の毛髪

・立花健夫の車の中より、大森由起恵の毛髪

・立花健夫の自宅より、大森由起恵の毛髪


これらの物的証拠と、殺害動機、さらには数々の目撃証言が決め手となり、3人の逮捕状が請求されることになった。

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