第4章 事件の進展①
第4章 事件の進展①
1.事件bと事件cの共通点
9月10日から、3週連続で金曜日に殺人事件が起こって、そのどれも解決するどころか、糸口すら何もつかめない状況であった。
動機を持っている、疑わしい人間はそれぞれの事件で挙がっているのだが、確実に犯人ではないという、確固たる完璧なアリバイがあったのだ。
事件aでは、殺害された池田敏明の直属の上司で、城東銀行新橋支店の融資部の立花健夫である。彼は、池田敏明の死亡推定時刻には、新宿の名曲喫茶『アンダンテ』にいたことが、喫茶店のマスターの目撃証言によって証明されている。
事件bでは、殺害された佐々本幸次の義理の兄で、千代田システムエンジニアリングのエンジニア宮部良彦である。彼は、佐々本幸次の死亡推定時刻には、遠く離れた秋田県の角館(妻の実家)に、妻と一緒に訪れていたことが、これも複数の目撃証言により証明されている。
事件cでは、殺害された(正確には、殺害されたと思われる)大森由起恵の、昔の交際相手で、千代田システムエンジニアリングのエンジニア山口貴之である。彼は、大森由起恵の死亡推定時刻には、勤務している会社にずっといたことが複数の社員の証言によって証明されている。
要するに、殺害された3人の、最も疑わしい容疑者に、ことごとく確固たる完璧なアリバイがあるということなのである。
3つの事件とも、メインの捜査は所轄に移行しており、各所轄が懸命に捜査をしている状況であった。共犯者の可能性も考えられたのだが、それを鑑みても特に大きな進展は見られず、一向に新たな容疑者が浮かんでこなかった。
突然、捜査の進展がないことに業を煮やした、課長の西原警視が本郷のもとにやってきた。西原とは、西原浩久のことで、本郷の直属の上司にあたる。出世のことしか頭にないような、まさしくいやみな感じの52歳の男である。そのため、いわゆる、上司に弱く部下には強いという、典型的な嫌われ者だ。
「おい、本郷、現在の捜査状況について、倉持警視正が事情を聞きたいとおっしゃてる。すぐに一緒に来てくれ」
自分の威厳を示すが如く、わざと部屋中に聞こえるような大きな声で怒鳴り、その後西原と本郷は捜査一課の部屋を出て、倉持警視正の部屋へ向かった。
倉持とは、倉持茂のことで、西原浩久の上司にあたる。西原とは正反対の、部下には慕われている、人情派の58歳の男である。
いつもは人情派の倉持も、現在の捜査状況について、さすがに気になったのだろう。次のように本郷をたしなめた。
「おい、本郷君、君ともあろうものがどうなっているんだ。村瀬という容疑者を引っぱってきたことは聞いているが、まだ自供しないのかね?」
倉持の声は、妙に静かで穏やかで、またゆっくりした口調だ。が、それが逆に大きな威厳を感じさせた。その感触は、西原の場合の数倍、いや数十倍はあるだろう。
本郷は、上司連中にねちねち説教されるのは慣れっこだったので、事件の解決とはほど遠いという現在の状況を口では説明しながら、ひたすら頭を下げて腰を低くしていたが、実際はうわの空であった。最後に、最大限努力する旨を伝えて、そそくさと倉持警視正の部屋を出た。本郷が出て行った後、西原も本郷に続けて、倉持に対してぺこぺこ頭を下げるのであった。
警視庁捜査一課の会議室に、速水刑事がたった1人、ホワイトボードを見たり、捜査資料に目をやったり、自分のメモとにらめっこしながら考え事をしていた。
その際、左右の手の人差し指を、それぞれ額の左右のコメカミに当てる、『例のポーズ』を決めていたのであった。傍から見ると、よほど頭痛がひどいのか、あるいは何かに悩んでいるようにしか見えない、一風変わったポーズである。
ただでさえ、速水の推理力、直観力、分析力は、捜査一課内で一目置かれているのだが、それに加えて、このポーズが出ると、捜査が進展するというジンクスがあり、捜査一課の刑事たちは皆揃って大きな期待感を持ち、少なくとも彼の邪魔をしないよう配慮し、だからこそ会議室には速水以外は誰もいなかったのだ。
かれこれ、2時間ぐらい経ったであろうか、何かにひらめいたのか、自分の手帳をやおら開き、ページをパラパラ捲ると、新しいページにすぐさま何やら書き始めた。
事件を一つひとつ見るのではなく、3つの事件を一くくりにし、共通点などを書き始めたのである。
・共通点①:全ての事件が金曜日
・共通点②:容疑者の動機は全て明白
・共通点③:容疑者3人の年令は全て同じで、3六歳
・共通点④:容疑者全てに完璧なアリバイ
・その他①:事件bと事件cの容疑者は同じ会社に勤務
宮部良彦(B)&山口貴之(C)
2人は立花健夫(A)と関係がある?
手帳にメモを書き始めてから、また30分ほどの時間が経過した。
速水は、そのメモを再度読んだ後、やおら立ち上がり、大股で本郷班長のもとへ歩み寄った。
「おう、どうだ、速水。何か事件について気になることでもあったか?」
本郷は、大きな期待感を持って速水に尋ねた。
「ええ、警部、ちょっと気になることがありまして、是非調べてみたいんですが。ずっと3つの事件の資料を眺めてまして、ちょっとメモ書きにしてみたのですが、見ていただけますか?」
速水はそう答えて、先ほどから手帳に記しているメモ書きを本郷に見せた。
本郷は、とても興味深そうにそのメモを見て言った。
「ほう。ということは、この3つの事件は個別の事件ではなく何か関連性がある、って言いたいわけか?」
「ええ、そうです。もしかしたら、関連するのは3つではなくて、後の2つだけかも知れませんが。ちょっと自分の考えを説明したいので、会議室までよろしいですか?」
速水はそういうと、早々に会議室の方へ歩いていった。本郷は、その場にいる刑事たちに対し、一緒に話を聞いてもらうように促した。梅沢、遠藤、高杉が本郷と一緒に会議室へ入っていった。
既に速水は、ホワイトボードに説明する内容を書き始めていた。そして、全員が揃うと、書きながら説明を始めた。
「9月10日から、9月24日までに起こった3つの殺人事件について、ちょっと気になることがあったので、個別の事件ではなく、事件に関連性があるという仮定のもとに、いろいろ考えてみました。
まず、わかりやすいように、9月10日の事件をaとし、容疑者をAとしましょう。同様に9月17日の事件はbとB、9月24日の事件をcとCとします。ですので、Aは立花健夫、Bは宮部良彦、Cは山口貴之になります。当然、aの被害者は池田敏明、bの被害者は佐々本幸次、cの被害者が大森由起恵となります。
次に、共通点を考えてみたのですが、犯行手口はまるで違うので、同一犯であることはまず考えられません。気になるのは、全ての事件が『金曜日』に起きていること、容疑者の年令が36歳で全て同じであること、全ての容疑者に明白な殺害動機があって、かつ完璧なアリバイがあること。それから特筆すべきは、BとCは同じ会社の人間であるということです。
つまり、何を言いたいと言うと、要は『交換殺人』なのではないか、ということです。ただし、AとB、あるいはAとCのつながりは今のところ何もわかっていないので、事件aだけは無関係かもしれませんが・・・・」
と流暢に説明すると、そこにいた刑事たちは、その説明に納得はしたものの、誰もが、新しい悩みを抱えたような、何か浮かない顔をしていた。
しばし沈黙があったが、一番年長の梅沢刑事が初めに口を開いた。
「うん、可能性としてあるかもしれないが、それはさすがに考えすぎのような気もするがねぇ」
それに対し、本郷が次のように言った。
「全て金曜日だったり、3人の年令が同じというのはたまたまかも知れないが、BとCが同じ会社の人間だというのは事実で、調べてみる価値はあるかもしれない。このまま所轄の報告を待っているだけでは埒があかないから、この速水の推理に掛けてみようじゃないか」
すると、それに続けて遠藤が話し始めた。
「それじゃ、速水さんの推理と言うのは、宮部良彦さんが容疑者となっている佐々本幸次さん殺害を、山口貴之さんが実行し、逆に山口さんが容疑者となっている大森由起恵さん殺害を、宮部さんが行ったということですか?」
「ああ、そうだ。事件bの実行犯がC、事件cの実行犯がBということになる。私は、その可能性が非常に高いと思っている」
速水が答えた。それに対して、本郷が捜査指示を出した。
「それでは、2人の別の日のアリバイをもう一度調べてみることにしよう。梅さんと遠藤君は、9月24日の、宮部良彦のアリバイをお願いします。それから、速水と高杉は9月17日の、山口貴之のアリバイを調べてみてくれ。吉野と竜崎には、彼らが帰ってきたら、立花と宮部や山口とのつながりがあるかどうか、調査をさせようと思っているよ」
本郷の指示に異議を唱えるものはいなかった。
本郷は、いつも通り、渋いコーヒーを啜りながら、速水が説明するために書いたホワイトボードを1人でじっと睨んでいた。
(なるほどね。ひょっとしたら、何か進展があるかもしれないぞ・・・・)
宮部と山口の捜査であるため、4人の刑事が揃って千代田システムエンジニアリングへ向かうことになった。速水はもう4度目の訪問となる。宮部と山口の勤務するフロアは別であるため、それぞれ別々の会議室に向かうことになった。
速水と高杉は、山口貴之が勤務する、8階のフロアの会議室にいた。そこで、山口貴之を待った。10分ほどして、彼が入室してきた。そして、ソファに座るか座らないうちに、山口貴之がいかにも面倒だな、というような口調で切り出した。
「ああ、刑事さんですか。まだ私に何か? 大森由起恵さんを殺したのは私じゃないですよ。それは証明されたと思ってましたがねぇ。それはそうと、そもそも本当に彼女は殺されたんですか?」
そう言ってどっかと腰をおろした。
「ああ、お忙しいところ恐縮です。大森由起恵さん殺害の件ではないのですよ。実は、また新たに確認したいことが出てきまして、すみませんが、お話を聞かせていただきたいのです」
冷静な速水らしく、貴之を逆撫でしないように丁寧に受け答えた。
「ああ、そうなんですか。それで、一体何が訊きたいんですか?」
そう言った貴之の顔からは、まだ嫌がっている様子がありありとわかる。
速水は、そんなことはお構いなしとばかり、本題に入った。
「単刀直入にうかがいますが、山口さん、9月17日金曜日の、午後5時から5時半までの間、どちらにいらっしゃいましたか?」
「え? 17日ですか?」
「そうです。大森由起恵さんが殺された24日ではなく、その1週間前の17日です」
「はあ? ああ、それは確か、うちの宮部が取調べを受けたと噂で聞いてますが、あの誰でしたっけ、若い男性が殺害された事件の日ということですか?」
「ええ。その通りです。どちらにいらっしゃいましたか?」
「ちょっと待ってください、その殺された男性のことなど、私は全く知らないんですよ!」
貴之の態度がかなり高潮してきた。
速水はそのまま平然と続けた。
「あの、今は詳しいことは申し上げられませんが、捜査上の進展があったのでね。皆さんにうかがっているのですよ。何もあなたを犯人だと言っているわけではないんです。むしろ、事件に関係がないことを証明したいんです。捜査というものは、それらを積み上げていくんですよ。是非お願いします。それとも、何かお話できない理由でも?」
「・・・・そうですか。わかりましたよ。ええと、その日は・・・・」
貴之は、持っていた手帳を開き、その手帳を見ながら話し始めた。
「ええと、17日は、顧客との打合せがあったので、午後から渋谷のCYC通信という会社に出かけてますね。それで、ええと、自社に戻ってきたのは5時半ぐらいですね。これでいいですか?」
「5時半に戻られたということを証明できますか?」
「うーん、誰かと話をしたかな。・・・・・・・・ あ、ちょっと待ってください。セキュリティシステムの履歴を見れば証明できるかもしれないな。社内システムに詳しい担当者に話を聞いてみますので、ちょっと待ってもらえますか?」
そう言った貴之は、内線電話で担当者に電話をしているようだった。その会話の中で、『エスキューエル』やら『DBレプリケーション』やら『アイピー』やら、おそらくITの専門用語であろうが、2人の刑事には、ちんぷんかんぷんな用語がいくつも出てきた。15分ほど経ったであろうか、メモを取りながらのかなり長い電話が終わったあと、彼はすっと立ち上がり、
「すみません、5時半ごろに確かに戻ってきたという証拠をお見せできると思いますよ。パソコンを持ってきますので、少々お待ちいただけますか?」
と言うと、貴之は自分の手帳を置いたまま会議室を出て行った。
山口貴之が戻るのを待っている間、速水の携帯に、遠藤刑事から電話がかかってきた。内容は、宮部良彦のアリバイの件であった。9月24日の午後3時から5時までの彼のアリバイは完璧で、複数の社員が、宮部はずっと会社にいたことを証言したということであった。考えてみれば、その日時は平日の就業時間帯であったので、無理もないことである。
捜査の進展を目論んで、かつ期待して行った再捜査であったが、速水の『交換殺人』の推理は、一方が壊れたことで、早くも頓挫することになってしまった。しかし、速水は何故か一切あきらめ顔を見せず、今は山口貴之のアリバイのウラを取ることで頭がいっぱいだった。
5分ほどして、ノート型パソコンを持った山口貴之が会議室に戻ってきた。慣れた手つきでそのパソコンをセットすると、これまた慣れた手つきでマウスを操作し、画面に何やら表示していた。
「あ、お待たせしました。ええと、うちの会社は、既にお気づきだと思いますが、セキュリティの関係で、社員以外の方は、社員が誰か立ち会わないと入室することができません。入室するためには、あらかじめ各社員に配布されているカードをまずかざして、4桁の暗証番号を入力、それから手の静脈認証を行って、その3つが全て一致したときだけ入室することができるシステムになっています。仮に、誰かのカードと暗証番号を不正に入手したとしても、静脈認証でエラーとなるので、絶対に本人しか入室できません。静脈認証というのは、生体認証の1つで、大手の銀行などでは本人確認するための機能として使われ始めている、あれのことです」
それに対して、高杉が一度説明を遮った。
「はあ、本人しか入室できないということは、まあ何となくわかりましたけど、それと5時半に戻ったことの証明がどう結びつくんですか?」
と、勇み足極まりない態度を取った。
「あ、気にしないでください。説明を続けてください」
そう速水が促したことで、貴之の説明が続いた。
「入室するのに必要なIT情報は、全てデータベースで管理されていますし、誰が何時にどのドアから入ったのかは、履歴として全て記録されるんですよ。バックアップも含めると、約3ヶ月間はその履歴を保存する社内ルールとなってます。ですから、9月17日の私の記録を見ていただければ、証明できると思いますのでね。今からお見せします」
そういうと、先ほどの内線電話中に書いていた自分のメモを見ながら、これも慣れた速いタッチでパソコンのキーを打ち込んでいた。
「わかりました。それではお願いします」
速水がそう言って、貴之の素早い動きを感心して見ていたが、画面に何かが表示されたようで、
「この画面を見てください。これが私の入室記録になります。今画面に表示したのは、9月17日のものですが、日付、曜日の後に、名前と時刻が表示されています。ご確認いただけますか?」
貴之は、該当のデータを指指しながら言った。
速水と高杉が画面を確認してみると、確かに、日付は『9月17日』で、曜日は『FRI』、名前が『T.YAMAGUCHI』で、時刻は『17:42』と表示されていた。
「はあ、これを見る限りでは、どうやらあなたの言っていることは正しいことが証明されたようですね。しかし、このデータは、誰か人間が意図的に改竄することはできないんですか?」
「ああ、変更することは可能ですよ。ですが、変更した場合は、変更したという『印』と、変更者の情報が必ず残ってしまいます。これはシステム管理者以外、消すことはできません。このように画面に出せばすぐにわかります。その印ですが、この欄に表示されます。まだ疑うのでしたら、システム管理者をここに呼んできてもかまいませんが」
貴之は、画面の中で「FLG」と書かれている欄の部分を指差しながら言った。
それに対して、速水がすぐさま答えた。
「いえ、今はそこまでは結構です。ただし、いずれシステム管理者の方に、お話を聞くことがあるかもしれませんがね」
貴之は、それを聞いて、さらに続けた。
「わかりました。まあ、今回のように、余程のことがない限り、この情報を見ることはありませんし、システム管理者ですら、ほとんどアクセスすることはありません。当然誰も変更などしないですし、その必要もないので、全く印はついてないですけど」
「なるほど、わかりました。5時42分にこちらに戻られたのは確かなようですね。最後になりますが、一応念のため、CYC通信の担当者の方にも確認を取りたいんですが、名前を教えていただけますか」
(もう、しつこいなぁ・・・・)
貴之は見るからに嫌な顔をしたが、仕方なく、CYC通信のシステム開発担当者の名前を口にした。
速水と高杉は、この後、本庁へ戻ることにした。速水は思った。
(どうも、入室記録によるアリバイ証明については、既に用意していたようなフシが見えて、何か引っ掛かる・・・・)
2.事件bでのCのアリバイ①
翌日、速水と高杉は、CYC通信会社のビルがある、渋谷区の道玄坂に来ていた。
昨日の事情聴取で、9月17日の山口貴之のアリバイも完璧なものと思われたが、念のため、千代田システムエンジニアリングの顧客である、CYC通信会社の担当者から事情を訊くためである。
受付で、警察手帳を見せながら、山口から聞いていた担当者名を出すと、受付嬢が内線電話でその担当者に連絡を取っていた。担当者は在席しているらしく、すぐに1階の応接室に通された。
CYC通信会社は、渋谷に本社ビルを構える大手の通信関連会社である。千代田システムエンジニアリングとは昔からの長い付き合いであり、ITに関連する部分は、千代田システムエンジニアリングがほぼ独占状態であった。それほどのお得意様である。山口貴之がプロジェクトマネージャを務める経理システムも、このCYC通信会社から千代田システムエンジニアリングが一括受注したものであった。
応接室で待っていると、担当者の三浦晃と、小林正文が揃って入ってきた。この2人は、CYC通信会社のシステム部の所属であり、今回の経理システム開発プロジェクトを遂行する、顧客側の窓口兼責任者であった。三浦晃と小林正文は、上司と部下という関係である。2人とも、大手の通信会社を代表する人間らしく、礼儀正しい模範的な態度で応対した。
速水が早速切り出した。
「お忙しいところ、突然申し訳ありません。ご存知かもしれませんが、去る9月17日に、佐々本幸次という30歳の男性が殺害された事件についての捜査をしています。実はその関係者について現在裏付を取っているところでして、お宅が発注している経理システム開発の、千代田システム側の担当者である、山口貴之さんのことで、少々うかがいたいのですが、よろしいでしょうか」
それを聞いた三浦と小林は大変驚いた顔をしたが、上司の三浦が言った。
「ええ、あの事件はもちろん知ってますけど、千代田システムの山口さんが、あの事件と何か関係があるということなんですか?」
「事件に関係があるといっても、まあ、これは一応念のため、少しでも事件に関わっている関係者全員に対する、いわば儀礼的な捜査です。別に彼が犯人、または容疑者だといっているわけではありません。むしろ、確実に彼が犯人ではない、という確証を得るための捜査だと思ってください。ご協力をお願いします」
このように、山口への疑いが悟られないよう、慎重に言葉を選びながら速水は答えた。
三浦と小林は、それを聞いて、随分と安心したことが、彼らの表情から読み取れた。
三浦の話によると、経理システム開発プロジェクトの、千代田システムエンジニアリングとの定例会議が、毎週金曜日行われているが、9月17日も通常通り行われ、山口貴之もその会議には始めから終わりまで、ずっと出席していたことは、間違いないということであった。三浦の傍らで手帳を見ながら話を聞いていた小林が、より正確な時刻を伝えようと、その話に割り込んできた。
「三浦の話を補足しますと、その日は、私の記録によれば午後1時に会議が始まって、3時には終了していますね。普段は、4時とか、会議の内容によっては5時ぐらいまでかかることもあったんですが、17日は、早めに終了しています」
「それは確かですか?」
「ええ、その都度手帳に記録しているので、間違いないです。そういえば、この日は事前に山口さんの方から申し出があって、早めに切り上げることになったと記憶しているんですが・・・・」
記憶が曖昧な小林を、三浦がフォローした。
「ええ、小林の言う通りです。17日は会議の議題も多く、できればもう1時間程ほしかったんですが、自社でどうしても抜けられない会議があるから、3時で切り上げてほしい旨、当日の午前中に山口さんからメールで連絡があったのをはっきり覚えています。そのメールも残っていると思います。定例会議で時間が足りなかった分は、後で電話やメールで何とかなりましたけれど」
「あれ、そうだったんですか。なるほどねぇ」
速水も高杉も、腑に落ちないと言う顔をしたので、それを不思議に思った三浦が、すかさず刑事たちに尋ねた。
「あの、会議が早く終わったということは、山口さんから聞いていないのですか?」
「ええ、17日の午後に打合せがあったことだけしか聞いていないのですよ。それで、山口さんが帰社したのが、午後5時40分ぐらいだったので、この2時間半の空白はどう考えればよいのかと思いましてねぇ・・・・」
と、速水が受け答えた。
「ああ、でしたら、山口さんの部下で、奥谷さんという女性のエンジニアの方も一緒に会議に出席されていますので、何か事情を知っているかもしれないですね。申し訳ありませんが、会議が終わった後のことについては、我々もお答えしようがありませんので・・・・」
三浦と小林に丁重に礼を言い、速水と高杉はCYC通信会社を後にした。
山口貴之が、顧客先での会議を早めに切り上げるように申し入れていたことと、昨日の事情聴取で、そのことを隠していたことについては、もちろん、本郷に報告した。そして、奥谷真弓に事情を聞くべく、また千代田システムエンジニアリングへ向かうことにした。その途中で、高杉が速水に言った。
「渋谷から大手町までなら、地下鉄の半蔵門線を使えば、乗り換えなしで15分足らずで到着できますよね。空白の2時間半、何をしていたんでしょうね」
「ああ、17日の山口のアリバイには、釈然としない、何かウラがありそうな感じがしてならないね」
3.事件bでのCのアリバイ②
速水刑事と高杉刑事は、CYC通信会社を出たその足で、大手町に向かっていた。もちろん、千代田システムエンジニアリングで事情を聞くためである。速水は、既に5度目の訪問となる。今日こそは、シロクロはっきりさせたい気持ちが非常に強かった。まず奥谷真弓から話を聞き、その内容によっては、山口貴之から再度事情を聞く。あわよくば、事件の解決につなげたいと思っていた。
いつもの会議室で、奥谷真弓から話を聞けることになった。2人とも、以前に1度真弓と会っているので、軽く会釈した。今日は、速水ではなく高杉が先陣を切った。
「実は、あなたの上司の山口貴之さんのことをまだ調べてまして、9月17日金曜日のアリバイなんですが、どうもはっきりしませんでねぇ。山口さん本人は、午後から打合せでCYC通信会社に行って、5時半ごろ帰社したと話しているんですが、その件でCYC通信の三浦さんと小林さんからも話をうかがって、双方を照らし合わせると、空白の時間帯ができてしまうのですよ。三浦さんは、あなたが事情を知っているかもしれないということでしたのでね、こうしてお話をうかがっているわけなんですが」
奥谷真弓は、相当驚いた顔をした。
「え、9月17日ですか? あの、この前は由起恵のことをいろいろ調べているようでしたけど、違うんですか?」
「ええ、この前うかがったのは、確かに大森由起恵さんが殺害された件で、24日のことを調べていました。今は詳細を申し上げられないのですが、新たな進展がありまして、大森さんが亡くなった日の、1週間前のことを調べているんです。是非ご協力お願いします」
高杉がそう話すと、真弓も少しは納得したようだった。
「わかりました。それで、先ほど、空白の時間帯がどうとかおっしゃってましたけど、私に訊きたいことって、CYCさんとの定例会議が、いつもより早く終わったという件についてでしょうか?」
「ええ、おっしゃるとおりです。CYCの三浦さんの話だと、その日は3時には会議が終わったということでしたが、間違いありませんか?」
「ええ、そうなんです。実は山口があらかじめ申し出ていたそうなんですよ。私もそのときまで知らなくて。3時に終了したのは確かです」
「それでは、会議が終わってから帰社された5時半まで、2時間半も山口さんはどこで何をしていたのでしょうか」
「すみません、それについては私もわからないのです。会議が終わって渋谷駅まで来たときに、ちょっと寄るところがあるから、先に帰社するように言われたんです。渋谷駅で別れたので、彼がどこで何をしていたのか、詳しいところまではわかりません」
「え、そうなんですか。それは彼の方から言ってきたのですね?」
「ええ、急に言ってきたので、多少は驚きました。その日も、六時前には帰社するということでしたが、どこに寄るのかまでは聞けませんでした。実は、こういうことは、今回が初めてではなくて、今までも何度かあったので、あまり気にしなかったんです。多分、以前担当したシステム開発の顧客でも訪問するのかな、と思ってましたし」
これに対して、今度は速水が言った。
「そうですか、わかりました。そうなると、また山口さんから話を聞かざるを得なくなりましたね。今日はいらっしゃいますか?」
「ええ、出社しています。呼んできましょうか?」
「ええ、お願いします」
そう言って奥谷真弓は退室した。
5分ほどして、山口貴之が入って来た。そして2人の刑事の顔を見て、
「まだ何かあるんですか?」
と、見るからにもううんざりだという嫌な顔をした。
速水は、今度はかなり強い口調で言った。
「山口さん、隠し事をしてもらっては困りますよ。9月17日、あなた午後3時から5時半までの2時間半、どこで何をしていたのですか? きちんと説明してください!」
貴之は、観念したようで、つぶやくように説明し始めた。
「ああ、やはりわかってしまいましたか。実は、会社に知られるとまずいことがありまして。これから話すことは絶対秘密にしていただけますか? それを守っていただけるならお話します」
「ええ、もちろん捜査で得た情報は、誰にも口外しませんよ」
「実は、私がいま付き合ってる、石橋淳子という女性がいるんですが、彼女と会っていました。近々結婚する話が進んでましてね。最近はずっと仕事が忙しくて帰りが遅くなっていまして、彼女と会う時間がほとんどないのですよ。ですので、この日は打合せを利用して、ほんの少しの時間ですけど彼女と会うことにしたんです。会社に戻ったら、立場上、ミーティングやら何やらで、彼女に電話する暇もないくらいなんで」
石橋淳子は、北区王子に住んでいる28歳の女性で、自宅の最寄駅が地下鉄南北線の王子神谷であること、17日はCYC通信会社を出てからまっすぐに彼女の自宅へ向かい、1時間ほど2人の時間を楽しんだ後、会社に戻ったということであった。その話が本当であれば、空白の2時間半は埋まったことになる。
詳しい話を聞いた後、速水が山口に言った。
「わかりました。それで、石橋さんにも確認してみますが、彼女の証言だけだと、証拠としてはちょっと弱いんですよねぇ。あなたが彼女に頼んで都合のいい証言をさせてるかもしれませんしねぇ。誰かに会ったとか、あなたが彼女の家に行ったということを証明できませんか?」
「はい、思い出してみます。・・・・ええと、その日は彼女の家を出てから王子駅まで歩いて、そこで小腹がすいたから立ち食いそばを食べて、京浜東北線に乗って、千代田線に乗り換えて・・・・ あ、そういえば、途中で、庶務の佐伯とばったり会いましてね。ええと、千代田線の西日暮里の駅だったかな、時刻ははっきり覚えてないですが。彼女に訊いてみてください」
山口貴之の話が本当かどうか、佐伯香里に話を聞いたが、その話は本当であった。
香里は、月に2度、第1と第3の金曜日、定期的に歯の矯正治療をするために、自宅の最寄駅の北千住駅前にある、歯医者へ通っているということ、その歯医者の診察受付終了が午後六時のため、治療に行く日は会社を早退していること、そして通常午後5時ぐらいには退社すること、早退することは会社も了解済みであり、同じ部署の社員は皆知っていたこと、等々が徐々にわかってきたのだ。
佐伯から一通り話を聞いた後、速水が彼女に確認した。
「最後にもう一度確認しますが、山口さんと会ったのは、9月17日、西日暮里ということで間違いありませんか?」
「ええ、間違いないです。地下鉄千代田線の西日暮里駅です。会ったというよりは、見かけたと言ったほうが正しいかもしれないですね。山口も私のこと気づいていましたし」
「それで、その時刻は午後5時25分ぐらいということですね?」
「ええ、歯医者の予約は、いつも5時半にしているんですけど、17日はちょっと遅れてしまって、北千住の駅に着いたのが、ええと5時半ぐらいだったんです。それから逆算すると、西日暮里は5時25分ですね。西日暮里から北千住までは5、6分で着きますから」
速水と高杉は、千代田システムエンジニアリングを後にした。奥谷真弓、佐伯香里、そして山口貴之本人の話は、速水が全て本郷に報告した。
「結局、山口の言っていることは間違いなさそうですね」
そう高杉が言ったが、速水は頷いただけで、何も言わなかった。
速水と高杉が本庁に戻ってきた。速水は全く浮かない顔で自分の席に腰を下ろした。
本郷はあらかじめ速水から受けた報告のウラを取っていた。そして、速水のもとへ歩み寄り、
「北千住の歯科医にも確認してみたが、9月17日、5時35分に受付した旨、記録が残っていたそうだよ。佐伯香里の証言も間違いないね。それから、念のため、梅さんと遠藤君が、石橋淳子に話を聞くために、王子へ行っているよ」
と言った。
梅沢と遠藤の報告を待つまでもなく、山口貴之のアリバイもほぼ証明されたことで、速水の『事件bと事件cの交換殺人』の推理は、完全に崩れ、所詮推理に過ぎないと思われた。
そんな折、ちょうど電話を受けていた吉野刑事が、かなり興奮した様子で急ぎ本郷のところへ歩み寄ってきた。




