第18話「俺じゃない」
神の領域。
豪奢な黄金の玉座に一人の男が居る。
漆黒の長い髪。
金色の瞳。
黒を基調とした衣服には金の装飾が施され、その姿だけを見れば神々しいとすら言える。
トリックスターこと邪神ロキ。
初めて凪を攫った時、彼はこの玉座へ腰掛け、足を組み、頬杖をついていた。
あれから一ヶ月と少しが経過した現在。
あの時の面影はない。
片方の肘掛けに首と後頭部を預け、反対側の肘掛けには両膝の裏。
そこから先の長い足は無造作に玉座の外へ投げ出されている。
腰と背中は座面へ沈み込み、漆黒の長髪は玉座から溢れるように床へ流れ落ちていた。
まるで玉座に横抱きされているような格好だ。
「ほぉ」
バリッ。
煎餅を齧るロキの視線の先には、異世界へ放り込んだ一人の男。
水瀬凪。
ロキは暇だった。
兎にも角にも暇だった。
だから偶然目に付いた凪を異世界へ放り込んだ。
そしてその後、暇である事に変わりなかったロキは、何だかんだと凪の生活を眺め続けている。
木の実を食べ、川で水を汲み、屋根を作り、壁を作り、床を作り。
時折、自分も直接顔を出した。
その凪の生活に変化が訪れたのは数日前。
初めて、凪がこの世界の人間と出会った。
シオン・ロウ。
瀕死の冒険者。
そしてーー。
「まさか傷を治すとはなぁ」
バリッ。
また一枚、煎餅を齧る。
凪がシオンに水を飲ませた時、その様子をロキは勿論見ていた。
当然、傷が治っていく瞬間も。
凪が驚き。
シオンが驚き。
ロキも驚いた。
「そんな機能付けてないんだが」
携帯浄水器に何か特別な力を与えた覚えなどない。
凪が持っていく物として選んだ、ただの道具。
少なくともロキにとってはそんな認識だった。
それなのに、瀕死だった人間をあっという間に回復させた。
この時ばかりは流石のロキも身体を起こした。
けれどーー面白かったので、そのまま高みの見物を決め込む事にした。
そして今日。
またやった。
「骨折まで治ったぞ」
ロキが肩を揺らす。
「ははっ」
楽しそうに笑いながら煎餅へ手を伸ばす。
凪の持つ携帯浄水器。
その水で怪我が治る。
しかも、ちょっとした擦り傷程度ではない。
瀕死の重傷。
骨折。
どちらも瞬く間に治した。
「面白い」
自分が与えた力なら、こうも興味は持たなかっただろう。
だが、原因が自分にも分からない。
だからこそ面白くて仕方がない。
ロキは凪を眺める。
今度は商売を始めるらしい。
「随分と話が進んだな」
数日前まで森の中で葉っぱの上に寝ていた男が、今では王都にいる。
友人まで出来た。
人らしい家に住み、金を稼ぐ方法まで見つかりそうになっている。
「人間ってのは逞しいな」
バリッ。
最後の一枚を口へ放り込む。
咀嚼しながら携帯浄水器へ視線を向けた。
「……」
傷を治す。
体力も回復させる。
そんな力を付与した覚えはロキにはない。
「一度見てみるか」
床まで垂れていた髪を払い、立ち上がった。
◇
ーー夜。
俺は間借りしている部屋のベッドに寝転がっていた。
「商業ギルドかぁ……」
昼間、ジェイクさんに言われた言葉を思い出す。
『それで稼げるぞ』
俺の手には携帯浄水器。
日本では、ただ水を綺麗にするだけだった道具。
それがこの世界では人の傷を癒す。
未だに意味が分からない。
「本当にこれの水を売って生活できるのかなぁ」
「出来るんじゃないか?」
「うわぁあああああ!?」
飛び起きた。
「何だ、うるさいな」
「どっから湧いて来た!?」
いつの間にか部屋の中にロキが立っていた。
長い黒髪。
金色の瞳。
胡散臭いくらいの美形。
俺をこの世界へ放り込んだ張本人。
「お前っ……急に出てくるなよ!」
「今までもそうだっただろ」
「そうだけど!」
心臓に悪い。
「と、言うか……久しぶりだな」
「そうか?」
「そうだろ。暫く見てなかった気がする」
「俺は毎日見てるぞ」
「……」
聞き間違いだろうか。
「今なんて?」
「毎日見てる」
「何を?」
「お前を」
「怖ぇよ!」
思わずベッドの上で後退る。
「何でだ」
「こっちの台詞だ!」
「暇なんだから仕方ないだろ」
「暇だったら人の生活覗いていいのか!?」
「俺は神だぞ」
「神なら何してもいいと思うなよ!?」
「そもそもお前がここにいるのは俺の暇を紛らわせる為だろう」
「好き好んでこの状況に陥ってるわけじゃないんだけど!?」
ロキは気にする様子もなく、俺が持っている携帯浄水器へ視線を落とした。
「それ、貸せ」
「これ?」
「あぁ」
言われるがまま差し出す。
ロキは携帯浄水器を受け取ると、くるくると回しながら眺め始めた。
「何してんの?」
「調べてる」
「……もしかして」
「ん?」
「この水の事、知ってる?」
「あぁ」
「やっぱりお前か!!」
「違う」
「どっちだよ!?」
ロキが眉を寄せた。
「俺は毎日見てたって言っただろ。あの男に水を飲ませたところも当たり前に見てた」
「シオン?」
「名前は知らん」
「毎日見てたんじゃなかったのかよ!?」
「お前以外に興味ないからな」
「覚えてやれよ!シオンの事も!」
「嫌だ」
「何でだ!?」
「とにかく、水に妙な効果がある事自体は知ってる」
「じゃあ、これに何かしたわけじゃ」
「何も」
「ほーんーとーかぁ?」
「本当だ、俺じゃない」
「俺をこの世界に飛ばした時に、なんかこう……特別な力付けたとか」
「付けてない」
「浄水器を魔道具にしたとか」
「するかそんな事、面倒くさい」
「じゃあ何で水飲んだら怪我が治るんだよ!」
「知らん」
「神だろ!?」
「神が何でも知ってると思うな」
「役にたたねぇ!!」
思わず叫んだ。
シオンが今出掛けててよかった。
ロキは全く気にしていない。
それどころか、少し楽しそうに笑っている。
「で?」
「で、って?」
「何か分かった?」
「いや」
「え……」
ロキが携帯浄水器を俺へ返してくる。
「お前が持って来た時と何も変わってない」
「……は?」
「妙な力が何者かに付与されたわけでもなさそうだし、魔道具になってるわけでもない」
「じゃあ……」
手元に視線を落とす。
これは本当にただの携帯浄水器?
それなら、どうして。
「分からん」
「……」
「だから面白い」
ロキの口元が楽しそうに弧を描いた。
「俺は面白くないんだけど」
「そうか?」
「そうだよ」
こっちは生活が掛かってるんだ。
「まぁ、いいんじゃないか?」
「何が」
「それで生計を立てられるんだろ?」
「多分」
「なら売ればいい」
「軽いなぁ……」
「俺には関係ないからな」
「お前が俺を飛ばしたくせに!」
「それがどうした」
「その高慢ちきな態度が腹立つ!」
ロキが声を上げて笑う。
本当に、どこまでもいい加減な神だ。
でもーー
ロキにも分からない。
その事実だけが少し引っ掛かった。
この携帯浄水器は何も変わっていない。
なのに、この世界では人を癒す水を創り出す。
「……何なんだろうな、これ」
「さぁな」
俺の呟きにロキは楽しそうに答える。
「そのうち分かるんじゃないか?」
「適当だなぁ」
「急ぐ必要もないだろ。もっと俺を楽しませろ」
そう言い残してロキがスゥッと姿を消した。
「……」
静かになった部屋で俺は携帯浄水器を持ち上げる。
「こんな機能、俺の世界ではなかったんだけどなぁ……」




