修学旅行の思い出
商店街の中にある珈琲店。カウンターにはスーツを着た男が座っている。
「そういえば、修学旅行の時に見つけた椅子のこと、覚えてる?」
スーツの男は、カウンターの中でチーズケーキを切っている店員に訊いた。
「椅子?」
店員はチーズケーキを皿にのせ、クリームとブルーベリージャムを添えて男に出した。
「ほら、浜辺にあった椅子だよ」
店員は小さく首を傾げる。男はたチーズケーキを一口食べ、話し出した。
「ホテルの前にある浜辺に夕日を見に行っただろ。その時、波打ち際に一つ椅子が置いてたんだよ。背もたれと座面が黒い皮で覆われた木の椅子」
店員はまだ思い出せていないようで、顔を顰める。
「みんな興味津々で、近寄って見たけど薄汚くて誰も触れようとはしなかったんだよ。いよいよ日が沈むって時には、みんな椅子のことなんて忘れて海と太陽に夢中で」
男はブルーベリージャムをチーズケーキにのせて、口に運ぶ。
「日が沈む時も、俺はその椅子のことが気になって、ずっと見ていたんだ。誰も近付かない、座らない椅子を。俺が後ろを向くと、お前も椅子を見ていたことも覚えている」
「俺もその椅子を見ていたの?」
「そうだよ。だから今、この話をお前にしているんだよ」
店員は自分のカップで珈琲を一口飲んだ。
「その椅子には誰も座っていなかった。それは確かなんだ。でも、俺の記憶の中ではその椅子に人が座っているんだよ」
男はカフェラテを一口飲み、大きくため息をついた。
「肩くらいまで伸びた黒髪の男がいるんだよ。後ろ姿しかわからないから、本当に男かはわからないけど」
「それは初めからいるの?」
「いや、椅子を見つけた時はいなかったんだ。太陽が海に沈む時にいた。いつ来たのかもわからない。ただ、気付いたら座っていたんだよ。それをお前も見ていたんだ」
男は店員の目を見て言う。その視線から避けるように、店員は俯いた。
「忘れているのか、気付いていなかったのかはわからないけどさ」
店員は少し寂しそうに言った。
「俺、修学旅行には行ってないよ」
男は苦笑して言った。
「それも、覚えている。でも記憶の中にはお前もいるんだよ」




