池袋乱闘
東京の最も南のエリアに大田区がある
大田区の中で最も大きな街が蒲田だ
新編武蔵風土記によると、かつて蒲田は梅の木村と呼ばれ、梅の名所だった
江戸時代には歌川広重が蒲田の梅を描いていて、蒲田梅屋敷と呼ばれたらしい
現在でも蒲田の属する大田区の「区の花」は梅である。
JR蒲田駅より東急池上線の蓮沼駅の方が近い場所にそのアパートは建っていた
年季の入った木造モルタルの2階建
ひび割れ模様の広がった外壁
歩くとギシギシときしんだ音がする渡り廊下
風呂なし共同トイレで部屋は6畳一間
そのアパートの名前は「泉荘」
泉荘によく現れる友達に神田君がいた
何をやらせても機敏で運動神経の良かった神田君は
野球をやっても卓球をやっても一番上手かった
ただ、どういう訳か体育会系のクラブ活動には入らず
高校時代はどこからか用意した16オンスくらいのグローブで
ボクシングの真似事を教室でやっていた
曲がったことがきらいな神田君は
仲の良い友達以外に対して
特に道理が通っていないことがある時など
少し喧嘩っ早いところがあった
ギターを弾いて即興で友達を茶化す歌を歌うのが得意だった
朝、寝起きにはいつもうまそうにシケモクを吸っていた
今でも忘れられない池袋の夜は僕の21回目の誕生日の日だった
池袋の居酒屋で神田君と佐藤君と僕の3人でお酒を飲んでいた
僕の誕生日を祝って集まってくれた訳ではなく
たまたま3人で飲んでいた日が僕の誕生日だった
別に「おめでとう」などと言われることもなく
3人で安酒をあおっていた
「今日は俺さ、誕生日なんだよ」
なんてこともあえて言わない
22時過ぎにお店を出ると酔って少し目の据わった神田君が突然
「俺は、今日、誰かと喧嘩ばしたくなった~~」
佐藤君と僕に宣言すると
池袋の西口の繁華街の歩道で仁王立ちになり
まず腰に両手を置き
反対側から歩いてくる男の人に対して誰でもお構いなしに
ガンを飛ばし、右こぶしを、高く掲げ挑発している
「佐藤君、神田君ば止めんと大変ばい」
佐藤君に言うと
「神田君はあーなったら止められんばい」
佐藤君も僕も少し酔っていたため
この時点ではまだへらへらと笑っていた
神田君の気がすんだら泉荘で飲みなおそうと高をくくっていた
「神田君、気がすんだや?池袋は怖い街やけん、そろそろ帰ろうや」
僕が言う
「神田君、そろそろ帰って泉荘で飲みなおそうや」
佐藤君が神田君に声をかけたその時
神田君を囲むように二人の男性が神田君に近づいてきた
190センチ近くある大きな男性と165センチくらいの肉付きのいい男性の二人組だった
「佐藤君たち~やっと相手の見つかったぞ」
振り返り、笑いながら神田君が言う
少し離れていたため神田君とその二人組の会話は
聞こえなかったが
3人でどこかへ歩き出すのを僕と佐藤君がついていく形になった
相変わらず神田君はニコニコしている
たまにボクシングのファイティングポーズからシャドーボクシングをして
振り返り僕らにウィンクしてピースまでしている
まるでボクシングの試合相手がやっと決まったみたいな感じだ
「佐藤君、と、とんでもないことになったばい、ど、どうする?」
僕が言うと
「もう、つ、ついていくしかなかね」
佐藤君も僕も声は震えているし、顔は半分泣きそうになっている
しばらく歩くと人気の少ない空き地に出た
その二人組は池袋の街を良く知っているようだ
あいかわらずニコニコしている神田君が
「俺の相手はどっちの人?」
と聞く
背の低い方の男性がすーっと一歩出たかと思うと
神田君の顔面にストレートパンチが入った
神田君が一瞬よろける
「あ!、突然や!」
神田君がそういうと神田君も反撃に出た
神田君の右ストレートはよけられたが
右足を踏み込んで反転気味の左フックがきれいに顔面にはいった
続けざまに神田君の右ストレートが決まった
すると背の高い方の男性が二人の間に割って入ってきた
その大きい方の男性から神田君の顔面へのパンチが決まった
また、神田君がよろけた
「二人相手は、無理ばい」
顔から笑顔の消えた神田君が言う
背の高い方の男性が神田君のお腹に蹴りを入れ
神田君が「ウッ」と言ってうずくまる
少し離れたところで僕と佐藤君は見ていたのだが
神田君が二人からボコボコにされそうだったので
僕もカーッと頭に血が上り
「1対1でやらんば~」
と言って大きな男の方の腕をつかんだ
その瞬間
その男性の大きなこぶしが飛んできて
僕は後ろに転倒していた
その後のことはあまり良く覚えていないが
5人でもみくちゃの乱闘になっていた
いつのまにか騒ぎに人が集まって来ていた
知らない人が止めに入った時
「警察~」という声が耳に入り
佐藤君が大きな声で「逃げるぞ~」と言って
神田君と佐藤君と僕の3人で一目散に駆け出した
どこをどう走ったのか分からないが
JR池袋駅の改札の中に入っていた
3人で蒲田の泉荘へ向かった
興奮は続いていたが酔いもさめた僕らは
電車の中では無言で窓の外を眺めていた
翌朝、体全体の筋肉痛で目が覚めた
横で起きたばかりの神田君はシケモクを吸っている
振り返った神田君の左目はうさぎの目のように真っ赤だった
鏡を覗き込んだ僕の顔も左の頬がぱんぱんに腫れていた
無傷の佐藤君はもしかしたら乱闘に加わっていなかったのかもしれない
「佐藤君、僕は昨日誕生日やったとばい」
僕が言うと
「神田君に一生忘れられん誕生日にしてもろうたね」
無傷の佐藤君が笑って答えた
PS
数年前、長崎の田舎町にいる神田君の近況を共通の友達に聞くと
「この間、偶然町で会ったら神田君は前歯の全部無かったよ」
50代になった神田君の燃える魂は未だ健在のようだ
お読みいただきありがとうございました。




