悲報田代君
東京の最も南のエリアに大田区がある
大田区の中で最も大きな街が蒲田だ
新編武蔵風土記によると、かつて蒲田は梅の木村と呼ばれ、梅の名所だった
江戸時代には歌川広重が蒲田の梅を描いていて、蒲田梅屋敷と呼ばれたらしい
現在でも蒲田の属する大田区の「区の花」は梅である。
JR蒲田駅より東急池上線の蓮沼駅の方が近い場所にそのアパートは建っていた
年季の入った木造モルタルの2階建て
ひび割れ模様の広がった外壁
歩くとギシギシときしんだ音がする渡り廊下
風呂なし共同トイレで部屋は6畳一間
そのアパートの名前は「泉荘」
笑い転げる日が多かったが
辛く悲しいこともあった
夏も終わり秋の気配が漂い始めていた日だった
渋谷のアルバイト先の電話が鳴った
事務員の女性が僕宛だと言って受話器を差し出す
簡単な事務職のアルバイトをしていたのだが
僕宛に電話などかかるはずもなかったので
誰だろう?と思いつつ受話器を取った
泉荘の伊藤君だった
「・・・あのさ・・・田代君がさ、交通事故で死んだとって・・・」
「え?なんて?」
伊藤君の言葉が耳からは聞こえてはいるのだが
頭で伊藤君の言葉をすぐに理解することができない
その後の電話でのやり取りを未だよく思い出せないのだが
1時間後に田代君を知る数人の友達と渋谷駅で待ちあわせることになった
渋谷の南平台というところでアルバイトをしていた僕は
道玄坂の上の方にある246号線を横切る少し薄暗い地下道を通るとき
つい「なんでや~!」とコンクリートに向かって叫んでいた
反対側から歩いてきたアベックがぎょっとして立ち止まっている
待ち合わせ場所の渋谷駅ハチ公前には
伊藤君、佐藤君、浜口君・・・・泉荘に出入りしているほとんどのメンバーが集まっていた
田代君とは小学校から高校までずっと一緒だった
自宅も近くソフトボールの練習や試合もいつも一緒だった
田代君は成績も良く運動神経も抜群で
同級生なのに他の友達から「くん」や「さん」付けで呼ばれていた
クラスではいつも学級委員長、鼓笛隊では指揮者
中学校では野球部のキャプテン
喧嘩も強く誰からも一目を置かれる存在だった
高校を卒業した一年目の夏の出来事
田舎の繁華街で酒に酔った大阪帰りのヤクザもんが
制服の警官と取っ組み合いになり
誰もが怖くて傍観しているときに
田代君は毅然とヤクザもんに殴られながらも仲裁に割って入る
そんな男だった
そして2浪した後、東京の大学に進学した矢先だった
田代君の住んでいた最寄りの駅に着くと
駅前に田代君のお母さんとお父さんがいた
その時の憔悴しきった田代君のお母さんの
しゃがみ込んだ姿と顔は一生忘れられない
あれから何十年と経つが
夢の中で田代君と何回会っただろうか
少し顔色の悪い田代君はいつもやさしく笑っている
先日田代君のお母さんが亡くなったという訃報が届く
きっと何十年ぶりに田代君と積もる話をしているのだろう
お読みいただきありがとうございました。




