安藤君の物語
東京の最も南のエリアに大田区がある
大田区の中で最も大きな街が蒲田だ
新編武蔵風土記によると、かつて蒲田は梅の木村と呼ばれ、梅の名所だった
江戸時代には歌川広重が蒲田の梅を描いていて、蒲田梅屋敷と呼ばれたらしい
現在でも蒲田の属する大田区の「区の花」は梅である。
JR蒲田駅より東急池上線の蓮沼駅の方が近い場所にそのアパートは建っていた
年季の入った木造モルタルの2階建て
ひび割れ模様の広がった外壁
歩くとギシギシときしんだ音がする渡り廊下
風呂なし共同トイレで部屋は6畳一間
そのアパートの名前は「泉荘」
「泉荘」によく遊びに来た同じ郷里出身の安藤君のお話
安藤君は旧家の歴史のある家柄で
小学校の時から友人達の中ではちょっとだけ裕福な子供だった
少し長めの髪に冬でも短パンと白のハイソックス姿だった
小学校6年生で同じクラスの時
安藤君が最新の飛行機のプラモデルを学校に持ってきて
休み時間に3階の教室の窓から
ゴムで巻いたプロペラを器用に左手で止め
思いっ切り校庭に向かって飛ばす
教室にいた全員が窓から顔を出し
その飛行機の放物線を息をのんで見つめる
得意げな安藤君の横顔を今でも良く覚えている
中学3年生で同じクラスの時
いつのまにか身長がどんどん伸びてしまった安藤君は
いたずら好きで、上履きに器用に鏡をつけると
当時、ミニスカートで教壇に立っていた女性の先生の動きに合わせて
右足を動かして鏡を覗き込んでいた
先生に見つかり真っ赤な顔をして怒った先生に
その鏡で思いっきり頭をはたかれていた
高校ではその体格を活かし応援団に入り
いつの間にか後輩達から恐れられるような存在になった
高校を卒業し千葉の大学に進学した後も応援団らしき団体に入ったようだった
「泉荘」に現れる時は異常に詰襟の高い学ランか
ぶかぶかの白いジャージ姿だった
髪型は短めのパンチパーマにきれいなソリが入っていた
街で安藤君を突然初めて見た老若男女全員が
5メートルくらいは避けて通り過ぎて行った
ある晩、渋谷の喫茶店でアルバイトをしていた僕の所へ
ぐでんぐでんに酔っ払った安藤君が現れた
喫茶店の椅子にのけぞってへらへらしている安藤君のそばには
緊張した学ラン姿の後輩が手を後ろに組んで二人立っていた
他のお客さんたちがそぞろ立ち上がりお会計して出ていく
困ってしまった僕は「安藤君、もう帰ろうや」
と大学の後輩たちは先に帰し
泉荘へ連れて帰ることになった
相変わらずへらへらしている安藤君の肩に手を回し
渋谷駅へ向かう
ハチ公前の人だかりは
どういう訳か、僕らを見てすーっと道ができる
渋谷の駅までは、肩は重いが道は空いていた不思議な光景だった
翌日、安藤君はほとんど何も覚えていなかった
安藤君は「電話を貸して」といって
部屋の隅でどこかへ電話をかけていた
恐らく大学の先輩にかけていたと思われるのだが
「オース、オスオス、オス?オスオス、オース
オースオース、オスオスオス・・・・・・・・・・・・」
何と30分ほどの会話には「オス」しか出てこなかった
電話が終わった安藤君に
「あれで先輩と話は通じると?」
と聞くと
「うん、だいたいはね」
と安藤君
安藤君の顔から目を離し、僕は佐藤君と笑うのを
必死にこらえていた
追伸
安藤君は酔うと必ず歌う歌があり
あまりにも何回も歌うので覚えてしまった歌がある
なんと印象が深すぎて僕も今でも歌える
たまに風呂に入りながら歌うこともある
1、 或る晴れた日に 俺は死ぬ
空の蒼さに とけて死ぬ
そのとき俺は 恋人の
名前をそっと 呼ぶだろう
2、 ただひたすらに 靖国の
庭につづいて いるいのち
いつでも俺を 呼んどくれ
霞ヶ浦で 待ってるぜ
3、 もし貴様より この俺が
先に死んだら たのんだぜ
この髪の毛を ひとにぎり
送っておくれよ ふるさとへ
4、 ああもういちど お母さん
逢ってお別れ したかった
巡検ラッパ きくたびに
明日をすてて 散るを待つ
明日をすてて 散るを待つ
ネットを検索すると西郷輝彦が歌った記述が
出てくるが微妙に歌詞と順番が違うのなぜだかわからない
風呂で歌うたびに安藤君を思い出す
お読みいただきありがとうございました。




