逃げ出した伯爵
馬上槍試合第三日。会場ではレーヴェン伯対シュルツ男爵に、俄然注目が集まっていた。
歴戦の猛者の復活なるか、はたまたシュルツが新たな王者となるか……。
ただ一部では、レーヴェン伯を危惧する者もいた。
「レーヴェン伯爵は、突然弱くなったような気がする」
「弱いと言うか、下手になったような」
会場に向かうリディアは、近くの会話を聞いた。リディアは他人に気付かれないように、うなずいた。
レーヴェン伯爵が位置に着いた。シュルツ男爵も位置に着いた。
両者がにらみ合った。
エルザは桟敷に座っていた。
「今度こそ勝ちますように。旦那様の本当の姿が見れますように」
胸の前で手を組み、ひたすら祈っていた。
リディアは桟敷の陰から見ていた。
「言ったことは守ります。だから戦えば必ず勝ちます……」
リディアは呟いた。
「でも……」
シュルツ男爵が先に駈歩を始めた。
――そのとき。
「うわぁ!」
レーヴェン伯の声が聞こえた。おおよそ武人らしからぬ声だ。レーヴェン伯は馬を返させると、一目散に会場から逃走した。
呆気にとられる観衆。エルザも何が起こったかすぐには把握できなかった。
シュルツ男爵さえも呆然と立ち尽くした。
桟敷の陰にいたリディアは、黙って目を閉じて天を仰いだ。
「駄目でしたね……」
つぶやくリディアの脇を、レーヴェン伯騎乗の馬が逃げ走った。馬上のレーヴェン伯は息を切らせていた。
「さようなら……」
リディアは目を閉じたままうつむいた。レーヴェン伯は遠くに消え去った。
* * *
馬上槍試合の第三日から一か月が経った。ローゼンタール家にコンラートがやってきた。
「で、レーヴェン伯爵が復縁を申し出ると?」
リディアの父親であるローゼンタール子爵が尋ねた。
「その通りです」
コンラートがうなずいた。
子爵は顎をさすった。
「私は決めかねるな……。リディア、どうだ?」
リディアはコンラートを真っ直ぐ見据えた。
「お断りします。私にも守る人ができましたから」
リディアは言い切ると、柔らかく微笑んだ。
コンラートは目を閉じて、うなだれた。リディアも子爵もコンラートを見つめていた。
しばらくして、コンラートが顔を上げた。
「分かりました。もう無理なのですね」
「はい」
コンラートは観念したのだろう。勢い良く立ち上がった。
「悪いのはレーヴェン伯爵です。復縁は虫が良すぎます。お邪魔しました」
ローゼンタール子爵家の父と娘はコンラートを見送った。
「リディアはいつから守るべき人ができたんだ?」
小さくなったコンラートの背中を見ながら、子爵が尋ねた。
「え?いませんよ?」
「え!?」
子爵は吹き出した。
「いないのにいるって言ったのか?」
子爵は楽しそうに尋ねた。
「いけませんか?」
「いや。いや。いけないことなんて何もない」
子爵が言った。
リディアは手を勢いよく上げて、背伸びをした。
「お父様、私、本当にせいせいしたのよ」
リディアの手が勢いよく下りた。
子爵はリディアの背中を軽く叩いた。
「おまえの守るべき者は、今度は慎重に選ぼう!」
「ええ。慎重に行きましょう」
二人は邸宅に戻った。
* * *
「……とのことです」
レーヴェン伯爵の居城。コンラートから報告を受けた伯爵は、ため息をついた。
「やはり駄目か……」
力なく立ち上がった。
「伯爵、どちらへ?」
コンラートが尋ねた。
「寝室に行くだけだ」
寝室に入るなり、レーヴェン伯はエルザを呼び寄せた。
「いかがしましたか?旦那様」
エルザが尋ねた。レーヴェン伯爵はベッドに腰かけている。
「私のあの醜態を見ただろう?」
「……見ました」
「お前に勝利を捧げるなどと言っておいて、あのざまだ」
「……そうでした」
「かっこう着けても、実力が伴わないんだ。ばかだよな。こんな私みたいな男、捨てた方がいい」
レーヴェン伯爵がそう言うと頭を抱えた。
――これで私には守るべきものがなくなったのだ……。
エルザは伯爵の隣に寄り、伯爵の頭を自分の胸に抱いた。
「ダメです。捨てるだなんてできません」
レーヴェン伯は驚いて身動きできなくなった。
「そんなこと……」
エルザはより強く抱き締めた。
「強がるけど不器用な子、私は好きですよ」
レーヴェン伯はエルザの背中に手を回した。
「でも本当に格好悪かったですね」
エルザが言った。
「皆まで言うな」
レーヴェン伯爵は涙声で言った。
最後までお読みいただきありがとうございました。
手軽なサイズで勘違い夫を描けたと思います。
よろしければ評価、ブクマなどつけていただけると幸いです。
よろしくお願いします。




