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24. 祝勝会と、覚えのない請求書

 査問会の翌晩、灯火亭の祝勝会は、樽が三つ空いたあたりから本気になった。


 揚げ物の油の歌、麦酒の匂い、調子の外れた合唱。梁からは誰が飾ったのか色紙の輪飾りが下がり、卓という卓が肩と肘でふさがっている。窓という窓は人いきれで曇り、拭いたそばからまた曇って、灯りが滲み、店じゅうが蜂蜜色だった。屋台のおじさんは「逆転魔女裁判揚げ」なる新作を売り出し(中身はただの揚げパンである)、荷運びの兄さんたちは査問会の再現劇を始め、ラング役が樽から転げ落ちて喝采を浴びている。事実とは細部が違うが、訂正はしないでおく。宴会に検収は、無粋である。


 北の詰所長さんまで、干し肉の包みを抱えて顔を出した。「聖女様のおかげで、在庫の合う夜は眠れるのです」と拝まれてしまう。返品屋です、の訂正は、今夜はもう諦めている。


 台所では、フードのお嬢さんが腕まくりをしていた。


「バターは、けちらない。乳母の教えなの」


「その手つき、素性がばれますよ」


 セラフィナ様の型抜きは、私より正確だった。祝詞の暗記より、よほど才能だと思う。竈の中でバターがじゅわりと歌い、鼻の頭に粉をつけたまま、ご本人は真剣そのものである。焼き上がりの甘い匂いに、ネリちゃんが戸口から鼻だけを突っ込んでくる。焼きたての一枚を持たせると、母親の膝まで一直線に駆けていった。花売りのおかみさんは今夜、売り物ではない花を、店じゅうの卓に一輪ずつ挿して回っている。


 おばあちゃんはといえば、早速、台所の隣に長椅子を運び込ませていた。


「別嬪だねえ。うちの孫にどうだい」


「ばあちゃんの孫って、どこにいるんだい?」と、マルタさん。


「さあねえ。いい子を見るたび、心の孫は増えるんだよ。カッカッカ」


 定例外の来客は、宴もたけなわの頃に現れた。銀灰色の髪が、戸口で明らかに、帰るかどうか迷っている。マルタさんに首根っこを掴まれ、隅の席へ据えられた。


「……監査だ。宴会の原価計算に、興味がある」


「白湯で、よろしいですか?」


「もらおう」


 レナート様は騒ぎの真ん中で白湯を飲み、焼きたてをひとつ食べて、「概ね適正」と言った。焼いた人が目をパチクリさせている。慣れてください。あれで、最大級の賛辞です。


 ――その喧騒に場違いな沈黙が刺さったのは、樽が四つ目に入った頃である。


 戸口に、神殿の使いが立っていた。昨日の今日で、である。宴がしんと静まる中、使いの神官は気まずそうに目を伏せ、一通の書状を差し出した。厚い紙、重い封蝋。脂っぽい、乳白色。見慣れた蝋を、こんな夜にまで見たくはなかった。


『査問会開催費用 一式 金貨五十枚也 宛名:返品屋リカ様』


 ……自分を裁くのにかかった費用を、裁かれた本人に請求してきたのである。


 指先が、一瞬だけ、あの雨の夜の冷たさを思い出した。軒先の雨だれ、濡れた石畳、三回読み直しても減らなかった金貨三百枚。――大丈夫。もう、あの夜の私ではない。


「懐かしい書式ですね」


 あの組織は、席が替わっても、書式だけは決して替わらないらしい。決裁印は『聖務局長代理』。局長が査問行きになった翌日には、もう代理の判が動いている。妙なところだけ、逞しい職場である。


「お使い、ご苦労さまです。お返事は、いつも通りで失礼します」


 使いの神官が、心得た様子で三歩下がった。……神殿の使いの皆さんの間で、何か申し送りができている気がする。


「これは、受け取りません」


 ぽん。朱印が灯り、荷札がひるがえり、光の粒が夜空へ舞い上がる。渡り鳥が一羽、月を横切って神殿の方角へ飛んでいった。宴が、爆ぜるように沸き返る。


「見たかい、あれが噂の!」「渡り鳥だ!」「聖女さまに乾杯だ!」


「返品屋です」


 反射的に口をついた訂正は、乾杯の音にかき消された。そう、今夜は祝勝会だった。


 夜が更け、客が三々五々に引けた頃。竈の残り火が、時おり思い出したように爆ぜる。洗い場の水音と、それだけの夜になった。皿を拭く私の隣の席で、レナート様が静かに切り出す。


「……で。何かいい情報でもつかんだか?」


 察しのいい人である。私が何を考えているかなど、この人にはお見通しらしい。私は布巾を置いて、答えを口にした。


「門外不出の帳簿があるようです。ですが、盗みません。脅しません。――出させます。『公文書開示請求』という書式があります」


 私は事務員である。事務員として王道で適正を求める以外ない。


「ほう、帳簿……。だが、相手は王国でいちばん古くて、いちばん意地の悪い書庫だぞ」


「書庫は嫌いではありません。埃と、規定の匂いがするので」


 監査卿様は白湯を飲み干し、卓に銅貨を三枚、几帳面に揃えて置いた。白湯は無料だと、毎回言っているのだけれど。


「開示請求には、監査院の様式集が要る。明日、持ってくる」


「定例が、増えますね」


「……悪いか」


「いいえ。歪んだ帳簿は、早めに正さねば……」


「だな……」


 窓の外、東の空には今夜も靄が低い。あの灰色の中に、四十年分の「受領」が眠っている。宛先のない理不尽にも、必ずどこかに差出人がいる――次の書式で、それを出させるだけである。


 祝勝会の残り火が、竈の中でぱちりと爆ぜた――。

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