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15/22

15. 臨時休業のお知らせ

 翌朝の仕事は、閉店命令の検分から始まった。


 『王都営業許可令第九条』。発令、市政庁布告官モルガン。申立人、聖光教会。手続きの体裁だけは、憎らしいほど整っている。手帳の論点欄に書く。『一、規則の効力。二、命令の決裁。三、申立人の狙い』。


「営業許可令なんて聞いたことないよ! あたしゃこの町で三十年宿をやってるんだ!」


 マルタさんの雷が朝の路地に落ちる。同感である。存在を知らない規則は、守りようも破りようもない。


 私は市政庁の公示室へ出向き、銅貨二枚で官報の写しを繰った。カビと古紙の匂いのする薄暗い部屋で、書記官の欠伸(あくび)だけが時を刻む。窓の外では鳩がのんきに鳴いていた。――指先が、一行の上で止まる。


『王都営業許可令、制定』


 日付は、五日前。うちの開店より、後である。後から作った規則で、前からある店を違法にする。それは規則ではなく、狙い撃ちという。


 店には札を下げた。『臨時休業(手続き中) 再開予定・近日』。命令に従ったわけではない。争いの最中は、相手に「違反」の口実を与えないのが事務の作法というだけである。


 札を書く手が、ほんの少しだけ強張っていた。九年勤めた会社で、休業の札など一度も書いたことがない。無遅刻無欠勤が、ささやかな誇りだったのだ。だから札の墨が乾くまで、私はしばらく、それを見つめていた。


 再開予定・近日。近日、を私は必ず守る――――守らねばならない。


 札を下げても、軒先は静かにならなかった。夕方までに、差し入れの芋がひと山、パンがふた抱え、花が三束。誰も何も言わずに置いていく。下町の応援は、言葉ではなく物品で来る。帳簿の「借り」の欄が、温かく埋まっていく。私は一つずつ、几帳面に品名と差し入れ主を書き付けた。いつか、一つずつ返す。善意も、貸し借りである。そのほうが、気楽に受け取れる。


 ネリちゃんは店の前で泣きそうな顔をしていたけれど、勝手口の花は今朝も白。だから私は膝を折り、目の高さを合わせて、大丈夫だよ? と笑ってみせる。


 こんな日でも合図は白。世界は案外、律儀にできている。


 おばあちゃんに至っては、長椅子から動かない。


「あたしは客じゃないよ。備品だからね」


「備品は帳簿に載せますよ。減価償却も」


「おや。あたしゃ年々値打ちの上がる備品だよ」


 ついプフッと吹き出してしまった。年々価値の上がる資産の仕訳はどうするのだろうか?


 昼過ぎ、市政庁の役人が今度は紙を一枚持ってきた。『違反金・前払イ請求書 金貨十枚』。前払い、ときた。罰というものは、確定してから請求するものです。


「これは、受け取りません」


 ぽん。【差戻】。請求書は発行の決裁者、布告官モルガンの机へお帰りになった。役人さんは空になった自分の手と私を三度見比べ、無言で帰っていく。お勤めご苦労さまです。


 夕方、レナート様が来た。定例より二日早い。閉まっている店の裏口から、当然のように入ってくる。白湯を出すと、今日は何も言わずに一口で半分を飲んだ。急いで来た人の飲み方である。


「監査院として、布告の制定記録の開示を市政庁に求めた。それと――財務局から押収した例の帳簿に、面白い支出があった」


 黒手袋の指が、写しの一行を叩く。


『布告官モルガン殿ヘ、御礼。金貨二十枚』


 日付は、営業許可令の制定の三日前だった。


 金貨二十枚。規則ひとつが、その値段で作られた。人の暮らしを違法にする紙が、別邸の絨毯(じゅうたん)より安く売られている。腹が立つより先に、その値付けの安さに、少し寒くなった。


「賄賂で規則を作った、ということですか」


「監査の用語では『対価性のある寄附』と言う。……まあ、賄賂だ」


「規則が無効なら、命令は根拠を失いますね」


「失う。残るのは、申立書の決裁印だけだ」


 レナート様は、もう一枚の写しを卓に置く。閉店命令の申立書。その末尾の署名を、行灯の火が照らし出す。荘重な、見事な筆である。


『聖光教会ヲ代表シ、之ヲ申シ立テル――大神官ゲオルク』


 ……ようやく、ご本人のお出ましか。


「君の店を潰すために、王都の公印が使われた。――不愉快だ」


 監査卿様の声は、いつもどおり平坦だった。平坦なまま、少しだけ低い。この人の怒りは、声ではなく仕事の速さに出るらしい。定例より二日早い理由が、それで分かった。



 その晩のこと――――。


 帰宅しようと扉に鍵をかけていた私の背後から、ふ、と香の匂いが立った。


 振り向くと、白と金の法衣。額に貼りついたままの、金の円盤。老人は、あの日と同じ慈愛の笑みを浮かべて、行灯の光の縁に立っていた。


「――夜分に失礼する、聖女殿」

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