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12. 返品できないご依頼

 お嬢さんは、フードの下に月色の髪を隠していた。仕立ては王都でも三本の指の工房のもの、所作は完璧、なのに目が泳いでいる。椅子を勧めると、座る前にスカートの裾を三回直した。緊張の作法まで完璧である。


「ご、ごきげんよう。わたくし、その、さる家の者ですけれど」


「はい。ご依頼ですか?」


「……あの、ね」


 お嬢さんは店内を見回し、誰もいないのを確かめてから、意を決したように頭を下げた。月色の髪が、フードからこぼれ落ちる。号外の似顔絵で、王都中が知っている髪の色である。


「聖女の役目を——返品して、ほしいんです」


 ……なるほど。さる家の者、というのは本当らしい。目の前のお客様は、浄化の儀に失敗し続けている当代の聖女、セラフィナ様である。


「事情を伺います。まず——聖女のお役目は、ご自分で受けられたものですか?」


「宣誓式で、署名を。家のために、と言われて……祝詞の暗記が得意なだけで選ばれましたの。浄化なんて、できたことも、なくて」


 なるほど、同情の余地はある。あるが――。


 私は正直に言うしかなかった。嘘のつけない商売である。


「署名済みのものは、返品できません。ご自分で受領されたものは、私のスキルの対象外です」


「そん、な……」


 お嬢さんの完璧な猫かぶりが、音を立てて崩れた。


「あたし、もう無理なんだって! 毎晩、儀式のたびに死ぬかと思うんだって……! 家のためって言うけど、あたしはお菓子屋になりたかったんだって……!」


 敬語が剥がれて、下町の言葉が出てくる。堰を切った話は、痛々しかった。祝詞の暗記が得意だっただけで代役に選ばれたこと。儀式のたびに体中の力が抜けて、三日は起き上がれないこと。失敗のたびに、号外が「無能の聖女」と書き立てること。


 聞けば、乳母が市場筋の出で、子どもの頃はこの辺りで焼き菓子を買い食いしていたそうだ。敬語より、こっちの言葉のほうがずっと生きている。


 私は黙って、試作の焼き菓子を一枚、彼女の前に置く。セラフィナ様は一口かじって、ぼろっと泣いた。


「美味しい……これ、バターの匂いのやつ。乳母のと、同じ匂い」


「……そう?」


 私は彼女の涙に胸がキュッとした。このバターの風味が分かるものはもう仲間である。


「落ち着いたら、続きです。——返品はできませんが、道がないわけではありません」


「えっ!?」


 キラリと青い瞳が輝いた。


 私は手帳を開き――新しいページに、論点を書く。『一、説明の内容。二、説明した人。三、証拠』。


「署名が『錯誤』……つまり、騙されてしたものなら、契約自体を無効にできる余地があります。署名のとき、お役目の中身を、どう説明されました?」


「『名誉なお勤め』としか。浄化が命がけだなんて、聞いたのは式の後で……」


「その説明をしたのは、どなたですか?」


「……大神官様。ゲオルク様が、直々に。『ただの儀礼だよ』って、笑って」


 手帳のペンが、一瞬だけ止まった。額に金の印章を貼りつけた、あの作られた笑みを思い出す。……あの人は、笑いながら、子どもに命がけの署名をさせるのか。ふぅ……。


「では、それを証明する物を探しましょう。ご依頼、お受けします。着手金は——その焼き菓子に泣いてくれた涙で十分です」


「え。でも、泣いただけ……ですよ?」


「そのバターの風味で泣いた涙は特別なんです。受領済みのものは、返品できません」


 セラフィナ様は目を丸くして、(はな)をすすって、初めて笑った。年相応の、菓子屋の店先みたいな笑顔である。この笑顔は、大神殿の祭壇より、菓子屋のカウンターのほうが似合うと思う。


 帰り際、彼女は思い出したように振り返った。


「証拠なら、心当たりがあるかも。……大神官様の書庫の奥にね、変な帳簿があるの。誰にも触らせないの。『浄化受領記録』……とか、いう」


 帳簿。


 ……嫌な予感のする言葉である。私の九年の経験上、「誰にも触らせない帳簿」には、触られると困ることが書いてある。


 セラフィナ様を裏口から見送って、私は手帳の新しいページに書き付けた。『浄化受領記録。大神官の書庫。誰にも触らせない』。文字にすると、予感はいっそう嫌な形になる。


 のれんを仕舞いに出ると、路地の向こうで、神官服の影がひとつ、音もなく離れていくのが見えた。


 ——見られている。


 翌朝、私は二つの備えをした。一つ、台帳の魔法の写しを灯火亭の金庫へ。一つ、セラフィナ様との連絡は、ネリちゃんを通じて花の色を合図にすること(白は「異常なし」、赤は「緊急」)。


 監視には監視の、書類には書類の備えである。


 だが、まあいい。うちは、来る人を選ばない店である。来る理不尽も、選ばない。全部まとめて、送り主に返すだけだ。

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