イングリッド1
~Ingrid~
その日、公爵夫人のオフィスを訪れたのは初老の警部だった。
彼は先日の公爵の死に対するお悔やみを慇懃に述べると勧められたソファに座り、遠慮のない視線で夫を亡くしたばかりの公爵夫人を眺めた。
夫の葬儀を済ませた夫人は翌日には職務に復帰していた。彼女は黒を基調とした清楚な装いで喪に服してはいたが、その白く硬質な顔からはいかなる感情も読み取ることは出来なかった。
(雪の女王。全くその呼称に相応しい女だな)
「日本に行って来ましたよ」
警部は直球を放った。
「ミズキという、今は警部補になっている男ですが、彼が十年ほど前に担当していた殺人事件について聞くことが出来ました。貴女は勿論よくご存知でしょう…何せご自分が犯人として収監された訳ですから」
「それと、今回の面会に何の関係があるのです?」
動揺の片鱗すら見せず冷淡に返した夫人に警部は内心舌を巻く。彼は恰幅の良い身体を動かしソファに座り直した。
+ + +
「まあ、ゆっくりと話をさせて下さいよ。私が日本に渡ったのは、公爵邸の殺人現場に居合わせた榛統也についての情報を手に入れる必要があったからです。色々と、面白い話を聞く事が出来ましたよ。
彼は今でこそ堅気だが、十代の頃は街の不良少年共を束ねていた大ボスだったそうです。その頃の彼には特に目をかけていた少年がいました。そりゃあ人目を惹く天使みたいな美しい少年で、悪ガキ共の中にはその少年と榛統也が特別な関係なんじゃないかと揶揄していた連中もいたらしいです。まあボスを取られたやっかみといったところでしょうね。
その少年は美しいだけでなく非常に頭が切れて冷酷で、しかも謎めいた存在でした。大ボスの榛統也を筆頭に他の連中を上手い事誑かしたあげく、敵対していた不良グループを壊滅させた事もあったそうです。しかし少年の目的は別のところにありました。天使みたいな容姿とは裏腹に悪魔の素質を持っていたのでしょうね、なんと少年は、非情にも自分を気に入っていた統也に、街で起こった連続殺人事件の濡れ衣を着せようと目論んだのですよ、ええ、自らの犯した殺人の、です。
そうですよね?公爵夫人?」
警部は公爵夫人を凝視したが、夫人の瞳にはいかなる動揺も映ってはいなかった。彼女は酷薄とも言える表情と声音を警部に向けた。
「その事件の事なら私も知っています、同じ街に住んでいましたしね。素行の悪い男達がローティーンの少女を暴行目的で拉致しようとした。それは簡単に実行出来る筈でした。しかし少女は反撃し、結果的に男達の内二人を死に至らしめた。完全な正当防衛でしょうね」
「しかし貴女はその後数年間収監される事になった。犯行を目論んだ残りの男について徹底的に調べた上で計画的に殺害したからです。そう、十代の少女がやらないだろうと誰もが思う事を貴女はやってのけた。少年のふりをして榛統也のグループに入り、敵対していたグループに属していた男を、自分を暴行しようとした事に対する復讐として意図的に殺した訳ですからね」
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「全く、ゴシップ好きの連中が大喜びしそうな話だこと」
夫人はひとごとのように呟き、警部は肩をすくめた。
「夫人、誤解なさらないで下さい。私は別に昔の、しかも極東の港街で起こった事件についてどうこう言う気はありません。まあ、ゴシップのネタにはなるかもしれないが、各界に影響力のある公爵一族のスキャンダルを掘り起こすのは賢明ではないと言うのが上層部の意見でしてね。それに貴女の仰る通り十代の子供が巻き込まれた不幸な事件には違いない。
しかし榛統也はどうなんでしょうね?私が一番腑に落ちない所はそこでした。最初私は、彼と貴女の間に何らかの因縁がありそれが今回の公爵の死に関係しているのではと推測していました。日本に渡りそれは確信に変わりましたよ、榛統也は昔自分を陥れようとした貴女に復讐でもするつもりだったんじゃないかとね。しかしミズキ警部補はそうは考えてはいなかった…警部補は言いました。榛統也は終始貴女を庇っていたと、事件の全てが明るみになった後もそれは変わらなかったと。それどころか彼は貴女に、特別な感情を抱いていたようだったと。
これは、貴女にとっては極めて不利な事かもしれませんね。榛統也は貴女に特別な感情でもって執着し続け、ついには邪魔な公爵を殺した、そういうシナリオだってありえる訳ですから」
「陳腐な筋書きですね。榛統也に直接お聞きになったら如何?」
「残念ながら今は無理ですけどね」
警部は今度こそ優勢を確信して夫人を真っ直ぐ見つめた。
「彼は公爵殺害の容疑者として指名手配されました。現在行方不明です」




