第50話:縁(えにし)の旅路
あの大戦の危機から、一ヶ月が過ぎた。
世界は、劇的な変化を遂げたわけではない。二大国の間には依然として緊張が残り、人々の心から長年の不信感が消え去るには、まだ多くの時間が必要だろう。
だが、決定的な「向き」が変わっていた。
東と西の王家は、リアが繋ぎ直した縁を糸口に、数十年ぶりとなる和平交渉のテーブルに着いた。小国群からは兵が引き揚げ、市場には再び、他国の言葉を操る商人たちの活気が戻りつつある。
セランは、あの館で静かに隠居の身となった。かつての野望の火は消え、今は亡き妻の面影と共に、止まっていた時間を慈しむように生きていると聞く。
そして、レインとリアは――。
「……また、手紙が届きましたよ」
街道沿いの木陰で、レインが封を解いた。
「今度は誰から? あの商売上手な旦那?」
隣で果実を頬張っていたリアが、身を乗り出して覗き込む。
「はい。商家同士の共同組合を作ったそうです。それから、あの父娘からも。来月、孫が生まれるので遊びに来てほしいと」
「へえ、おめでたいじゃん! あ、こっちの手紙は……勇者さんたち?」
レインは、勇者からの手紙をもう一度、丁寧に広げた。
一年半、共に旅をした仲間の筆跡。
『お前がいた頃、俺たちがどれほど多くのものに守られていたか、今になってようやくわかった。魔物を倒すことしか考えていなかった俺には、見えていなかった。……最近、パーティで笑い声が出なくなった。誰のせいでもない。ただ、何かが、もうそこにない。……正式に謝りたい。お前の旅が落ち着いた時で構わない』
怒りもなく、感傷もなく、ただ、あの夜の焚き火の温度だけが、指先に微かに残っている気がした。
縁は、切れていなかった。ただ、時間が必要だっただけだ。
レインは静かに手紙を畳んだ。
かつては「役立たず」として切り離された縁。だが、今のレインにはそれらを拒絶する理由も、執着する理由もなかった。すべての縁は、そこにあるべくしてある。ただそれだけのことだと、今の彼は知っているからだ。
「ねえ、レイン。……縁結び師って、何のためにいると思う?」
リアが、ふと思いついたように尋ねた。
かつて神殿で同じ問いを投げかけた時は、答えに窮した。だが今のレインには、迷いのない言葉があった。
「……縁を結ぶためだと、最初は思っていました。ですが、今は違います」
レインは、隣に座るリアの琥珀色の瞳を見つめた。
「縁を信じる人の、そばにいるためです。……縁は、信じる人がいれば決して消えません。私はただ、その背中を少しだけ押すために、ここにいるのだと思います」
リアが、眩しそうに目を細めて笑った。
「……いい答え。満点だよ、レイン」
レインは自分の内側を確認する。
封印の壁はもうどこにもない。視界に広がるのは、世界を網の目のように覆う、無数の光の糸。
以前と違うのは、自分もまた、その光の大きな輪の中にいることだ。
一人で縁の外側に立ち、冷たい風に吹かれていた「記録係」は、もうどこにもいない。
「……リアさん」
「ん、なあに?」
「……ありがとうございます。あなたが、私の縁になってくれたから、今の私があります」
「……もう、そういうのは一回だけでいいってば」
リアが照れくさそうに顔を背ける。だが、その指先は、レインの袖をそっと、離さないように掴んでいた。
丘の上から見下ろす世界には、どこまでも続く街道が伸びている。
その先には、まだ見ぬ誰かの笑顔があり、泣いている誰かの背中があり、そして、新しく結ばれるべき縁が待っている。
「次、どこ行く?」
リアが立ち上がり、空に向かって伸びをした。
「……決めていません」
「あはは! じゃあ、一緒に決めようよ。……どこまでも、一緒なんだからさ」
レインが頷き、立ち上がる。二人が歩き出す。
少し歩いたところで、リアが鼻歌を歌い始めた。旋律に、聞き覚えがあった。どこで聞いたか、思い出せない。ただ、温かかった。
どこへ行くかは決まっていない。けれど、隣に誰かがいる。それだけで、どこへでも行けた。
足跡が二つ、並んで街道を刻んでいく。
―― 完




