第1話:勇者パーティを去る日
パチパチと爆ぜる焚き火の音が、夜の静寂に響いていた。
街道沿いの野営地。立ち上る火の粉を見つめる三人の男女と、そこから少し離れた大きな岩に腰を下ろす青年――レイン。それがこの勇者パーティの日常の縮景だった。
「……レイン、いいか」
不意に、重苦しい沈黙を破って勇者が立ち上がった。
聖剣に選ばれた若き英雄。その端正な顔には、苦渋の色が滲んでいる。
「はい。何でしょうか」
レインは静かに応じ、座り直した。くすんだ黒髪が夜風に揺れ、灰色の瞳が真っ直ぐに勇者を見つめる。その表情に波風は立っていない。あまりに平坦なその反応に、勇者は一瞬言葉を詰まらせた。
「単刀直入に言う。……お前とは、ここで別れたいんだ」
勇者の背後に座る他の仲間たちが、気まずそうに視線を逸らした。
彼らに悪意があるわけではない。ただ、一年半にわたる旅の中で、一度も武器を振るわず、魔法も使わず、ただ「周囲の状況を記録する」だけだったレインの存在価値を、彼らは見出せなくなっていた。
「戦いは激しさを増している。戦闘能力のないお前を連れ歩くのは、お前の命にとっても、俺たちの目的にとっても、もう限界なんだ。……すまない」
勇者の声には、仲間を切り捨てることへの真摯な後悔が混じっていた。
レインは数秒、自分の指先を見つめた。
――一年半。
食事の準備をし、地図を記し、魔物の気配をいち早く察知して伝えてきたつもりだった。けれど、そのすべては彼らにとって「当たり前」の範疇に過ぎなかったのだろう。
「わかりました」
レインは立ち上がり、丁寧すぎるほど深々と頭を下げた。
叫ぶことも、泣きつくこともない。その淡白な態度が、かえって勇者たちの胸を締め付けた。
「お世話になりました。皆さんの旅に、幸多からんことを」
手短にまとめた荷物を背負い、レインは背を向けた。
背後から「すまない」という勇者の掠れた声が聞こえたが、振り返ることはしなかった。感情を言葉にするのが遅すぎるレインにとって、今できる最善の礼儀は、速やかに彼らの負担を取り除くことだったから。
一人、夜の街道を歩き出す。
月明かりが、誰もいなくなった道を引き延ばしていた。寂しい、という感情はまだ届かない。ただ、明日からどこへ向かえばいいのかという空白だけが胸にある。
しばらく歩いた先で、前方からやってくる二人の人影とすれ違った。
薄暗がりの中、言い争いながら歩く男女。
「もういい! あんたとは、これっきりだ!」
「こっちこそ願い下げだ。さっさと消えろ!」
激しい罵り合い。だが、その横を通り過ぎる瞬間――レインの視界に「それ」が映った。
闇の中に、淡く光る一本の糸。
男の胸と、女の胸。それらを繋ぐ、今にも千切れそうで、けれど決して断ち切れない細い光の筋。
(……光?)
レインは足を止めた。
男女はすでに遠ざかっている。光も、一瞬の錯覚のように消えていた。
「……気のせい、ですね」
レインはポツリと呟き、再び歩き出す。
行き先はない。帰る場所もない。
けれど、足は止まらなかった。




