表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/12

だまらせる

「ウチ、どこで人生間違ったんやろ……」


 バラデュール商会の秘密を()()()()()あと、ヴェラはノエルと共に出かけていた。目的地はヴェラの服を購入するための商店である。


 好意を抱いている異性と、服を買うために連れだって出かける。普通なら気分が浮き立つところだが、今のヴェラの場合はそれどころではない。知ってしまった秘密の重さに気が気ではないのだ。


 それにあれから少しだけ銃の練習をしたのだが、人を傷つけるのに十分なその威力を目の当たりにして、銃が紛れもない武器なのだと改めて実感してしまった。人に向けて躊躇わずに引き金を引くのはかなり難しそうだとわかり、さらに気が重くなる。


 そんなヴェラを見かねたノエルが、気晴らしに買い物を提案してきたのである。それにヴェラの借りていた部屋にもう何日も戻っていないので、様子を見に行くという用事もあった。


 現在、ヴェラはなし崩し的にバラデュール商会で生活している。ヴァンサンが押し掛けて来た時のように無理矢理連れ帰られることを警戒して、商会の客室に滞在していたのだ。その心配が無くなった今は客室とは別の一室を改めて割り振られている。そのためマレゴワール海運時代から借りている部屋は使っておらず、引き払うことを決めたのだ。


 とはいえ、この決断に対してヴェラにはわずかながら迷いがあった。


 実のところ、ヴェラは既に借金を負っていないため、バラデュール商会との雇用契約を反故にしても特に問題はない。それにマレゴワール海運からの未払い給与や賠償金が入ってくるので、しばらく生活に困ることもないだろう。なので逃げるという選択肢は確かにある。


 だがヴェラは自分がそれを選べないことも重々承知していた。元々ハーフリングとしてはあり得ないほど義理堅い性格な上、なんだかんだ言ってノエルへの好意はかなり強い。今だって一緒に服を買いに行くという行為自体はとても嬉しいし、そういう提案をしてくれたノエルの気遣いもまた嬉しかったのだ。少なくともこの想いがある間は、ノエルから離れることはできないだろう。


 だがそういった自分の感情の何もかもがノエルの手の平の上のような気がして、釈然としないのもまた事実だった。


「ほんま、見事にハメられたよなウチ」


「あの、非常に人聞きが悪いのでそういう発言は家の中だけにしてもらっていいですか」


 一方のノエルは、ヴェラが思っているほど何もかもを思惑通りに進めているわけではない。ヴェラの生活を整えることは最初から考えていたが、その過程で時折ヴェラが見せる嬉しそうな笑顔に心を乱されているのも確かなのだ。ただ表面に現れていないだけで。


 ノエルの計画通りならば、今頃ヴェラとの間には強い信頼関係ができていたはずだ。だが今2人の間にあるのは似て異なる関係である。こんな計画を立てた覚えはない。


 元々借金が無くなった時点でヴェラがバラデュール商会から離脱する可能性は、考慮も覚悟もしてあったのだ。なのに今の自分はそうならないように、姑息で危険な手を打ってヴェラを逃さないよう立ち回っている。繰り返すが、こんな計画を立てた覚えはない。


 ノエルとしては自分の感情を何度もかき乱すヴェラが、いかにもノエルのせいで弱っている様子に釈然としないものを感じていた。


 つまるところ2人とも、お互いに自分こそが被害者であると思い込んでいたのである。


「まあええわ。幸い懐には余裕あるし、こうなったら色々と()うたるねん」


「そうしてください。お付き合いしますよ」


 こうして2人は、マーセーユの街で最も品揃えが良いと評判の服飾店へと突入したのである。




 結論から言うと、店を出たときにノエルの両手は荷物で完全に塞がっていた。


「あー、その、ゴメン。調子に乗ってもうた」


「いえ、その、僕もちょっと悪乗りしてしまいましたしね」


 ノエルの抱える荷物の8割はヴェラの服と宝飾品であり、残りの2割はヴェラの服と合わせたノエルの服や宝飾品だった。ちなみに支払いは全てノエルが持っている。


 そもそもヴェラはハーフリング基準で見ればかなりの美女であり、人間基準で見てもやはり美少女なのだ。不精と不健康さがにじみ出ていた外見も、ここ数日の休養生活でかなり改善している。つまり、十分に人目を惹く存在なのである。それは店員が相手でも例外ではなかった。


 久々の買い物で、隣には好意を寄せる相手であるノエル。自然と表情が華やいでいたせいもあり、歴戦の店員達の審美眼が唸りを上げてしまったのは誰のせいでもないだろう。


 結果として店員達は次々にこれぞという組み合わせの商品を提案し、着せ替え人形と化したヴェラは可愛らしい少女と可憐な女性を行ったり来たり。その度に人知れず心を射貫かれたノエルが店員の圧に抗えるわけもなく、気が付けばかなりの数の商品を購入することになっていた。


 ちなみに2人で合わせた衣装もいくつかあるわけだが、これもまた店員達渾身の見立てによる品々だ。確かに文句なく似合っていたが、ここまで一度に購入する必然性はもちろんない。全ては雰囲気と勢いの産物であった。


「その、今日のウチの支払いはそのうち返すさかい、ちょお待っとってな? さすがに手持ちで払いきれる額やないから」


「そういう気遣いは無用ですよ。バラデュール商会への歓迎の証と、男の見栄ということで僕が持ちます。異論は認めません」


「あ、その、おおきに……」


 少し照れながらもきっぱりと言い切るノエル。購入したばかりの服に身を包み、やや赤面しつつ礼を述べるヴェラ。その姿はどう見ても仲睦まじい恋人同士にしか見えない。これでこの2人がまだ付き合っていないなどと、店員達の誰が信じるだろうか。


 そのようなわけで2人は店員達に微笑ましい目で生暖かく見送られながら、店を後にするのだった。




 ヴェラの借りている部屋についた2人だったが、ヴェラが断固拒否したため室内にノエルは入れてもらえず、荷物を一旦置くだけに留められた。部屋の中はヴェラが最後に見た時から何も変わっていない。当時は身の回りに気を使う時間も余力も無かったことで、かなり荒れた様相である。こんな部屋をノエルに見られたくないし、かといって買ったばかりの服で掃除を始めるわけにもいかない。ノエルを閉め出したのは当然の処置と言えるだろう。


 どの道引っ越しは今日明日の話でもないので、今日のところは貸主に契約解除の話を通しに行くことのほうが重要だ。もっとも、貸主と落ち着いて話ができるのかは疑問だが。


 実はこの建物の持ち主はパトリスであり、管理しているのは妻のデジレなのだ。そのような物件であったために、マレゴワール海運の関係者に出くわす可能性があるという理由で今まで放置していたのである。


 ちなみにこの部屋の家賃は決して安くない。いや、むしろ同程度の部屋と比べると割高だ。おまけにいつ仕事絡みの用事で呼び出されるかわからない上、従業員同士がお互いに監視しあうような雰囲気まであった。今はその従業員が全員牢に入っているので安全だと判断して来たわけである。


「今にして思うに、ウチって徹底的に逃がさんようにされとったんやな」


「マレゴワール海運にとっての生命線だったんでしょうね。けどそれならそれに相応しい待遇を用意するべきなんですよ」


 既にある程度の取り調べが終わっている水夫達の証言によると、彼らもまた相場よりかなり安くこき使われていたらしい。例外はヴァンサンだけで、水夫頭として標準以上の給与を貰っていたようだ。だが水夫達やヴェラから搾取した金銭がどこに流れたのかはまだはっきりわかっていない。もっとも、それがわからなかったからといってヴェラに影響は別にないのだが。


 マレゴワール海運及びパトリスの持つ資産のうち、現金と換金性の高い資産は既に差し押さえられている。だがそれだけでは賠償金の支払いには足りない。何しろ賠償金を請求しているのはヴェラだけでなく、7人の水夫達も連名で請求しているからだ。


 これはノエルが彼らに面会した際に提案した取引だった。水夫達の代理人としてパトリスから賠償金を引き出す代わりに、包み隠さずマレゴワール海運の内情を白状させたのである。パトリスのせいで前科者にされた水夫たちは実に協力的で、聞いていないことまでベラベラと喋ってくれた。


 これによりパトリスにとって不利な証言が素早く集まったのだが、同時に賠償金の総額が跳ね上がってしまったのだ。おそらくパトリス側はこの建物も船も売却するはめになるだろう。


 ちなみにノエルは水夫たちの代理人を引き受けてはいるものの、彼らとヴェラを同列で扱うつもりはない。まずヴェラの賠償金を満額確保してから、水夫達の取り分を引き出すつもりだった。パトリスの懐具合によっては、賠償金を全員が満額取り返せるかわからなかったからだ。


 2人は部屋を出て、管理人の詰め所に向かう。そこにはこの建物の管理を任されたデジレがいるはずだ。


「ウチらなんも悪いことしてへんはずやけど、奥さんに会うんはめっちゃ気まずいわ」


「まああちらの主観で言えば破滅の原因ですからね。あくまでも僕が、ですが」


 憎まれ役はあくまでも自分だと主張するノエルに、また少しヴェラの心が傾いてしまう。これを自覚してやっているのであれば大変な女たらしのすけこましだが、昨日の様子を見るに無自覚なのは想像がついた。とはいえこの場合は無自覚だからこそ質が悪いとも言える。


 果たして面会に応じたデジレは、憎々し気な形相を隠しもせずにヴェラを睨み罵った。


「うちが散々面倒を見てやったっていうのにこの恩知らず! あんたのせいでアタシら家族は不幸になるんだ! 自分だけ良い思いができりゃ満足なのかい!? この人でなし!」


 デジレが渾身の恨みを込めて放った呪詛だったが、ノエルが素早くヴェラを背後に庇ってしまい、先が続かない。それどころか、ノエルからの反撃を受けてしまうことになった。


「今更何を言っても貴方達の転落は避けられません。ただ、黙っていればこれ以上酷くなることもありません。今の状況でさらに交易ギルドから罰金を取られたくはないでしょう?」


 にこやかに言い放つノエルの言葉に、デジレは一瞬で青ざめた。ヴェラにはなぜここで交易ギルドの罰金などという話が出るのかわからなかったが、デジレには心当たりがあるらしい。


「闇取引の件を明るみに出しても僕たちの利益にならないから放置していましたが、改めて敵対するというのなら話は別です。ちょうど副ギルド長に伝手もできたところですし、帰りに寄って()()してきましょうか?」


 無言のまま必死に首を横に振るデジレ。顔色は青を通り越して白くなり始めている。どうやら余程恐ろしいらしい。


「まあ交易ギルドの調査が入れば、闇取引の相手にまで捜査の手が伸びるでしょうからね。ずいぶん危ない相手みたいですが」


 今度は縦に頭を何度も振るデジレ。もはや壊れた玩具のようだ。


「ま、僕たちもそんな組織と関わるのは真っ平ですので、さっさと手続きを済ませて縁切りにしましょう。それがお互いのためです。ね?」


 完全に委縮したデジレは、ノエルに言われるままヴェラの退去に関する手続きを震えながら済ませた。2人が帰るまで、決して目を合わせないように俯いたままで。


 手続きを終えた2人はもう一度ヴェラの部屋へ立ち寄り、荷物を引き上げ家路につく。


「なあノエル、さっきの話ってどういうことなん? もひとつ話が飲み込めんかってんけど」


「いえね、ヴェラの借金の元になった違約金、あれについて水夫達の証言を集めていたら、どうやら架空のものではなくて闇取引の違約金だったらしいとわかりまして」


「え? ウチそんな仕事させられとったん? 全然知らんかったんやけど」


「結構常習的にやってたみたいですよ? 法律違反だという感覚が麻痺してうっかり調停の場に持ち出すくらいには」


「船長、ウチが思とった以上にアホやってんな」


「それだけ頻繁に取引をしていたみたいです。よっぽど旨味があったのか、それとも何か弱味でも握られていたのかも知れませんね」


 完全に他人事の口調で言い放つノエル。例え裏組織に弱味を握られているのだとしても、パトリス達に同情する気配は全くない。


「ほなあれか、下手したらウチもいっしょくたに衛視隊に捕まってた可能性もあったゆうこと?」


「むしろその場合、全部の罪を押し付けられていたんじゃないですかね。あの人達ならやりそうですが」


 ひどい予測だがこれまでのパトリスやデジレ、ヴァンサンの言動を見ていれば、否定はできないヴェラだった。


「それにしても、どうやって闇取引の証拠なんか集めたん? 勤めとったウチですらわからへんかったのに」


「別に証拠なんてありませんよ? 鎌をかけた反応で黒だなと判断しただけです」


「はぃ?」


 あれほど堂々と追及していたのに、実はまだ証拠も何も掴んでいなかったというのか。このペテン師にかかればどんなハッタリでも真実に聞こえてしまいそうだ。ヴェラとしてはもう呆れるしかない。


「ウチ、この先もずっとノエルに騙され続けるんやろか」


「だから人聞きが悪いですってば」

こいつらがイチャイチャしすぎて話がなかなか進まない。


続きが気になる方、面白いと思われた方はぜひ登録と評価をお願いいたします。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ