おびきだす
ヴェラの新しい服が大量に増えた翌日の午後、ノエルはヴェラを伴ってある船大工の小さな工房に赴いていた。
「メルレ工房……? ウチ、ここ聞いた事あるねんけど」
「それはそうでしょうね。マレゴワール海運が船の整備を委託していた工房ですから」
ノエルがメルレ工房を訪れた理由は少々込み入っている。ノエルはヴェラ及びマレゴワール海運の水夫達の代理人として、パトリスへ賠償金を請求していた。だがパトリスの持つ資産の内、現金と換金性の高い資産だけでは賠償金に全く足りない。そのため船や建物を売る必要が生じたのだ。
とはいえパトリス自身は現在獄中にあり資産の売却手続きを行えない。また妻のデジレは投獄を免れているが、船の売却を任せると資産隠しに走る可能性があるということで、調停局が関与を禁止してしまった。そのため賠償請求側の代表であるノエルが資産整理をすることになったのだ。
さっそくノエルはマレゴワール海運が所有している中型帆船「永遠の団結号」の売却手続きを進めたが、整備状態が悪くかなり低い値をつけられてしまった。そこでノエルは一度修理したほうがまだ高値で売れる可能性があると判断し、修理見積の依頼をマレゴワール海運と付き合いのあったメルレ工房に依頼しに来たのだ。
「その修理って、メルレ工房でないとでけへんもんなん?」
「いえ? 他所の工房でも可能ですよ」
「ほな、ここに目当ての女がおるんやな」
「あいかわらず人聞きが悪いですよ」
ここ数日は書類と後処理に追われていたノエルだったが、いよいよ次の仲間を引き入れるために動き出せるようになった。ヴェラとしてはあまり気が進まないが、ノエルと2人だけでは小型船すら動かせない。協力を拒むことも考えたが、そうしたらノエルは1人で動くだけだろう。そのほうがヴェラとしては不安だった。
そんなヴェラの内心を知ってか知らずか、ノエルは工房の事務所へと入っていく。事務所にはドワーフの女性がおり、入ってきたノエル達に気付くとやや慌てた動作で立ち上がった。
「いらっしゃいませ! どのようなご用ですか?」
溌剌とした声で言葉をかけてきたドワーフ女性は、人間でいうと12歳程度の外見だ。赤い髪と朱色の目が活発な印象を与えるが、接客に慣れているのか物腰は丁寧だった。
「船の修理見積をお願いしたいのです。予定は空いていますか?」
「はい! 今はちょうど職人の手が空いていますので、すぐにでも対応できます!」
ノエルの問いかけに嬉しそうに答えるドワーフ女性。ヴェラは一瞬ドワーフ女性へ警戒心を抱いたが、まだ判断するには早いと様子を見ることにする。
「それではさっそくお願いします。ああ申し遅れました。私はバラデュール商会のノエルと申します」
「助手のヴェロニク言います。どうぞよろしゅうに」
「ご丁寧にありがとうございます! 私はメルレ工房のロザリーと申します」
一通りの挨拶を終えると、ロザリーと名乗ったドワーフ女性は2人を事務所の一角にある応接席へ促し、手際よくお茶を淹れた。その後ノエルから船の係留場所や船の形式等を聞き、手元の紙に整理して書き込んでいく。実に手慣れた様子で、さして待つこともなくロザリーは手元の紙を提示してきた。
「お見積りの費用がこれくらいかかりますが、問題ありませんか?」
「ええ、それでお願いします」
ロザリーの提示した金額を一瞥したノエルは、すぐに了承する。ヴェラには相場がわからないが、ノエルが即答したということはおかしな金額ではなかったのだろう。
「ありがとうございます。では職人を呼んで参りますので少々お待ちください」
そう言い残すとロザリーは事務所の奥へと入っていく。扉の向こうは工房のようだったが、作業音などは聞こえてこない。職人の手が空いているという話は本当らしいが、そうすると今は仕事がないということだろうか。事務所に2人だけになったので、ヴェラはノエルに疑問をぶつけた。
「なあノエル。ひょっとしてここってあんまり景気良うないん?」
「どうして僕がそんなことを知っていると思うんですか?」
「ノエルが前もって調べてないわけないやん。勿体ぶらんと教えてえな」
「はいはい」
苦笑しながらノエルが説明したメルレ工房の内情は、なかなかに大変な状況だった。
元々メルレ工房は親方であるオディロンとその家族だけで経営している小さな工房だ。10年前にオディロンの妻が亡くなったことで、現在は3人しかいないらしい。
オディロンは工芸ギルドでも名の通った腕の良い船大工ではあるものの、ドワーフらしい頑固さと職人気質が合わさり、あまり経営には向いていなかった。特に営業活動や接客が苦手であり、よく顧客と衝突していたらしい。そのためその点を補っていた妻が亡くなってから3年ほど前までの間に、かなり工房の経営は傾いたようだ。
現在は成人したオディロンの娘であるロザリーが営業や接客を担当することで、なんとか潰れずに踏みとどまっている状態と言える。だがオディロンは自分の経営手腕の酷さにあまり自覚がないらしく、経営の舵取りをロザリーに任せようとはしていない。ロザリーの下に息子のアントナンがいるが、こちらはオディロンと顔も中身もそっくりなので、経営的には全く期待できないそうだ。
「ちょっと待ってえな。ノエルはさっきのロザリーさんを引き抜くつもりなんやろ? そしたらここ潰れるんと違うん?」
「潰れるでしょうね。けれど親方も息子もどこかで雇ってもらえば済む話です。船大工としての腕は良いんですから。経営能力のない者が事業を潰した、これはそれだけの話です」
「あー、まあ、そう言われたらそうやね。けど、ほしたらなんで親方さんや息子さんのほうを引き抜けへんの? ロザリーさんって実はあの2人より腕利きなん?」
「そこは後で説明します。そろそろ戻ってきそうですから」
ノエルの言葉通り、工房の方から話し声と足音が聞こえてきた。ドワーフらしい野太く威勢のいい声だ。ただ奥で何かあったのか、機嫌が悪いらしく非常に語気が荒い。
「おう! パトリスんとこの船を整備しろっつってきたのはてめぇか!? パトリスはどうしたんでぇ!?」
ノエル達の前に現れた豊かな髭を蓄えた厳ついドワーフ男性が、開口一番に言い放った。パトリスと親交があったようだが、捕まったことはまだ知らないらしい。それはそうと、客に対してこの言葉遣いというのはいかがなものなのか。
「親方! やめてください! お客さんに失礼です!」
「うっせぇ! 女が口出しすんじゃねぇ!」
ロザリーが必死に制止したが、親方と呼ばれたドワーフはロザリーを怒鳴りつけて黙らせた。この男がオディロンなのだろう。事前に調べた以上に、悪い意味でドワーフ職人らしい性格のようだ。
怒鳴りつけられたロザリーはそれでも何か言いたげだったが、後ろから来たもう1人のドワーフ男性に押しのけられてしまう。
「姉貴は大人しく引っ込んでろよ」
ロザリーを姉と呼ぶのであれば、この男はオディロンの息子のアントナンであるはずだ。見た目はオディロンとよく似ていて、妖精族らしく外見に年齢が反映されないせいでまるで兄弟である。ちなみにアントナンのほうがわずかに背が高いので、こちらが兄に見えた。
「パトリスが船のことをヴァンサン以外に任せるはずがねぇ! どういうことだか説明しやがれ!」
「だから親方! そんなことはどうでもいいじゃないですか! 久しぶりのお客さんなんですよ! また怒らせたら仕事が!」
吠えるオディロンに対し、後ろに下がらされたロザリーがそれでも食い下がる。だがその常識的な行動は全く報われなかった。オディロンの目配せを受けたアントナンが、いきなりロザリーの頬を殴ったのだ。結構な力が込められていたのだろう、鈍く大きな音が室内に響き渡る。
この勢いであれば殴られたほうはただでは済まないはずだが、ロザリーはわずかによろけただけで踏みとどまった。かなり根性のある娘らしい。それとも、こういった暴力に慣れているのか。そんなロザリーに、殴ったアントナンが面倒くさそうに吐き捨てる。
「だから姉貴は黙ってろっての。生意気なんだよ」
その様子を見ていたヴェラは、思わず顔をしかめた。オディロンの目配せ1つでアントナンがロザリーへ暴力を振るったことを考えると、おそらくこのようなやりとりは日常的に行われているのだ。それが推測できたことで、ヴェラの中かから義憤めいた激情が吹き出しそうになる。
だが思わず口を挟みそうになったヴェラより前に、ノエルが動き出した。
「私はただの代理人ですので、詳しい説明は致しかねます。事情をお知りになりたいなら、ご本人にお尋ねください」
「んだと? 説明できねぇってのか? んだよてめぇ使いっ走りかよ紛らわしい」
ノエルは誰の代理人とは名乗っていないし事情も全て知っている。だが誤解されやすい言い方でオディロンを誘導し、嘘をつかずに返答を避けた。そしてあっさり誘導されるオディロン。説明しろなどと言っているが、これでは説明されても理解できる能力があるか怪しいところである。
「持ち主の方にご確認なさるならご自由にどうぞ。ただこちらも暇ではありませんので、待たされるということであればこのお話は他所に持っていかせていただきます」
「やらねぇとは言ってねぇだろうが」
「ご納得がいかないのでしょう? でしたら無理に引き受けていただく必要はございませんよ」
「だからやるっつってんだろうが! パトリスの船は儂が責任を持つと昔から決めてんだ! ごちゃごちゃ言わずに任せやがれ!」
慇懃に挑発するノエルの口車に、あっさり乗せられるオディロン。ロザリーとヴェラが呆気にとられているうちに、話はすっかり終わってしまう。
その後「永遠の団結号」が普段から係留されている場所にあると聞いたオディロンは、アントナンだけを引き連れて修理の見積をしに出掛けた。
ノエル達への謝罪をロザリーに押し付けて。
「本当にうちの親方がすいませんでした。あんな失礼なことばかり申し上げたのに、お仕事を下さって感謝いたします」
「ロザリーはん、そんなことええから頬っぺた冷やそ? 痛かったやろ?」
ヴェラが風の加護を使ってそよ風を呼び、ロザリーの頬に当てている。最初はロザリーを警戒していたはずだが、先ほどの騒ぎですっかり同情してしまったようだ。心配そうな表情でロザリーを気遣っている。
「お客様にそんなことをしていただくわけには……」
「そない言うならまず水で冷やして。ウチらなんか後回しでええから」
「……すいません……」
ヴェラに促されたロザリーが顔を冷やすために事務所を出る。しばらく戻って来ないことを確認すると、ヴェラはノエの元に戻って鋭く囁いた。
「ノエル、あの娘なんとしても口説き落とすで」
「それは予定通りですが、どいう風の吹き回しですか?」
ヴェラが新しい仲間として女性を迎えることに乗り気でないことは、ノエルもある程度察していた。ノエルとて逆の立場であれば、心穏やかではいられる自信はないからだ。なのでヴェラがどうしてもと言うのであれば別の候補の所へ行くことも考えてはいた。
だがそんなノエルの思惑は大きく外れたようだ。ヴェラは今までノエルに見せたことのない、憎々し気な表情で理由を吐き捨てたのだった。
「別に難しい話やあれへん。あのクソ親父共が心底気にいらんだけや。頭に来たよって、あの娘はウチの子にすんで」
2人目の不遇な女の子登場です。
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