第8話
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トオルとユウマ十五歳の春、二人は揃って中学を卒業した。
留学するにあたって、一番の問題はトオルの語学力だったが、心を決めたトオルの意気込みは半端ではなかった。毎日必死になって勉強し、フランス語と英語を両方とも習得してみせた。但し、他の教科は目もあてられないまま終わってしまったが。
旅立ちの日、トオルとユウマは地元の空港へ来ていた。
見送りは、トオルの両親と姉、そして吉岡家の執事の四人だけだった。ユウマの母親は、多忙の為、日本へ帰って来られなかったので、現地で出迎えをする事になっていた。
二人にもそれぞれ見送りに来てくれる友達はいたが、断ってしまっていたので、少し寂しい見送りになっていた。
一度行ってしまったら、何年間も帰って来られない。そんな旅立ちを、このようなは寂しいものにした理由。それは、トオルは照れくさがったという事と、ユウマが、
『僕達は留学するって言っても、結局は大きな後押しがあったから、自分達の力じゃない。派手にするのは、立派な時計師になって、凱旋帰国した時にすればいい』
と言い、二人で決めたからだった。
「トオル、しっかり勉強するのよ。ユウマくんに迷惑かけるんじゃないわよ。でも、どうしてもダメだと思ったら、意地張らないでちゃんと帰ってくるのよ」
「私も来年、学校卒業したら奨学金でパリに留学する予定だから、それまでは頑張るのよ。私が遊びに行った時は、アンタにはしっかり道案内してもらうからね!」
心配してつい、子供扱いをする母親。弟を思い、彼女なりのエールを送る姉。
そして、
「頑張って来い」
とだけ言う父親。
トオルは、照れ隠しでぶっきらぼうに、
「じゃあなっ!」
とだけ言うと、くるっと背を向けて一人、搭乗口へとスタスタ歩いてしまった。
置いていかれた状態のユウマは、慌てながらもユウマらしく、
「お姉さんも必ずパリへ来て下さい。向こうで会えるのを楽しみにしています」
と、トオルの姉にさりげなく声をかけた。
そして、見送りの一行に軽く一礼すると、トオルを追って搭乗口へと入っていった。
飛行機へ乗り込むまでの間、トオルはチケットを片手にソワソワしていた。そんなトオルを見て、ユウマがクスッと笑った。
「トオル。もしかして飛行機、乗り間違えないかって気にしてるとか?」
「いいだろ、別に。ちょっと確認してただけだって。初めての飛行機なのに、いきなり国際線に乗り換えとか、海外で乗り継ぎなんだからよっ!」
「アハハハハ。なんだ。飛行機の心配ならいらないよ。僕はヨーロッパ線、熟知してるから。トオルは僕についてくればいいよ」
トオルは、飛行機の乗り間違えの心配どころか、初めての飛行機自体にすごく緊張していた。落ち着こうとしても、ドキドキして止まらない。そんなトオルの横で、余裕綽々のユウマ。
トオルは、半ば逆ギレっぽく言い返した。
「何だよっ!確かにな、今はオマエの方が何でも知ってるけど、学校入ったら違うんだからなっ!自慢の手先を活かして、オマエよりたくさんの技術を身につける。それこそ、ブレゲの再来って呼ばれてやるんだからな!」
すると、さっきまでトオルを見て笑っていたユウマだったが、ふと、表情を真剣なものに変えた。
「僕だって最高の時計師になるさ。そして、必ず『シュリ』で世界に通用する時計を作る。形は変わってしまうかもしれないけど、母のブランドは僕が受け継ぐ」
ユウマは、時計師の夢を追いかけながらも、母のブランドを守る決意を固めていた。
トオルには、まだユウマほど背負うものは無い。それは、プレッシャーが無い分、将来は、自分自身で切り開く他ないのだ。
トオルは、自分に言い聞かせるように言った。
「そうだな。まずは時計師にならない事には始まらないんだからな。気合い入れていかないとなっ」
下積みに五年。
十年から十五年で半人前。
二十年経って、ようやく一人前。
それでも、これで完璧という事は絶対に無い。
天才と言われる時計師でも、日々、勉強と努力を惜しまないという。
そんな、ゴールの無いようにも思われる、
厳しい時計師の世界。
だが、二人は臆するどころか期待に胸を膨らませ、足を踏み出そうと飛び立って行った。
自分達の思い描く夢を、その手で造りあげる為に。