お前のスキル、何の役に立つの?
新作だよ!!!!
焚き火が、ぱちりと爆ぜた。
その音さえも、俺は【記録】する。
火の粉が舞った角度、燃えた小枝の質量、炎の揺らぎが描いた軌跡。誰にも頼まれていないし、誰にも知られていない。それでも俺の中の"何か"は、勝手にそれを刻み続ける。
息をするように。瞬きをするように。
「――ノア」
低い声に呼ばれて、俺は顔を上げた。
焚き火の向こう、勇者アルフレッドが俺を見下ろしている。
銀の鎧は四天王との戦いで黒く焼け、けれどそれが逆に英雄らしい翳りを彼に与えていた。整った顔立ち、優しげな垂れ目。村娘たちが噂で頬を染める、絵に描いたような勇者の顔。
その目だけが、笑っていなかった。
「単刀直入に言うぞ」
アルフレッドは焚き火を回り込んで、俺の隣に腰を下ろした。馴れ馴れしく肩に腕を回してくる。鎧越しでも、彼の体温が熱いほどに伝わってくる。戦いの興奮が、まだ抜けていないのだろう。
「お前、明日からパーティー抜けてくれ」
ぱちん。
焚き火が、また爆ぜた。
俺は数秒、その言葉の意味を【記録】の中で検索した。
"抜ける"――脱退。解雇。離脱。除籍。
あぁ、なるほど。追放、か。
「……理由を、伺っても?」
「理由?」
アルフレッドは鼻で笑った。
笑い声まで、彼は美しい。
「お前のスキル、何の役に立つの? 【記録】って。
見たものを覚えるだけだろ? それ、別に俺らじゃなくてもできるじゃん。日記でも書いてろよ」
そばで装備の手入れをしていた聖女ミレイユが、くすっと声を漏らした。
笑いを噛み殺すように口元を押さえている。長い金髪が焚き火に照らされて、聖女の象徴のように輝いている。
「ふふっ、ごめんなさい。でも、勇者様の言う通りかも……。ノアくんが頑張ってくれてるのは知ってるけど、四天王戦でも結局、後ろで震えてるだけだったし……」
震えていた、か。
俺は確かに前線には立たなかった。立てなかった。ステータスは確かに低い。けれど、震えていたつもりはない。
あの夜、俺はずっと、四天王ヴェルガの呼吸を【記録】していた。アルフレッドが踏み込んだ瞬間に肩が落ちる癖、ミレイユの聖光が地面の魔素を一瞬だけ濁らせること、シルフィの剣筋が左足の重心移動とコンマ三秒ずれること。
俺の頭の中には、あの戦闘の三十七分二十四秒が、全て一秒単位で残っている。
だから次に四天王と当たっても、おそらく俺一人でも――
いや。
そんなことを言っても、無駄だ。
「分かりました」
俺は静かに答えた。
自分でも驚くほど、声が凪いでいた。
「えっ」
聖女が、笑いを引っ込めた。
泣くと思っていたのだろう。縋ると思っていたのだろう。三年間、俺は彼らに対して一度も、声を荒げたことがなかったから。
「分かりました、と言いました。ご厄介になりました。荷物をまとめて、夜のうちに発ちます」
「……お、おい、ノア」
賢者グリモアが、本を閉じる音がした。
ローブの奥で、彼の瞳がじっと俺を見ている。
彼だけは、知っている。
俺の【記録】が、ただの記録ではないことを。
最初に俺をパーティーに引き入れたのは、他ならぬこの男だった。
「……アルフレッド、本当にいいのか」
「グリモア? 何だよ、お前まで」
「いや、なに。後悔しなければ良いがな、と」
グリモアはそれだけ言って、また本を開いた。
助け舟ではない。彼はいつだって、俺にも、勇者にも、平等に冷たい。
ただ、世界の摂理にだけ忠実な男だ。
そして――
「……」
剣姫シルフィが、立ち上がった。
無言で、俺の前にしゃがみ込む。
氷のように整った顔。前髪の隙間から覗く、灰色の瞳。
「これ」
差し出されたのは、小さな木彫りの笛だった。
俺が一週間前、暇つぶしに削っていた、なんの変哲もない笛。シルフィが「綺麗な音がするね」と言ってくれて、俺がそれを彼女にあげたものだった。
「返す」
「……いいのに」
「ううん」
シルフィは首を横に振った。
そして、ほんの一瞬、本当に一瞬だけ、唇を動かした。
声は出さなかった。けれど、【記録】はそれを逃さない。
『――ごめん』
俺は笑った。
たぶん、この三年間で一番、自然に笑えた気がした。
「ありがとう、シルフィ」
笛を受け取って、懐にしまった。
俺は立ち上がり、テントから自分の荷物を引きずり出した。
たいしたものはない。着替えと、薬草と、ノート。
ノートには、三年間で俺が【記録】しきれなかった分の"手書きの記録"がびっしりと詰まっていた。
仲間の好きな食べ物。苦手な天候。寝る前にぽつりとこぼした弱音。誕生日。
全部、いつか役に立つかと思って、書き留めていた。
馬鹿だな、俺。
焚き火の前を通り過ぎる時、アルフレッドがにやりと笑った。
「ノア。一応、餞別に言っといてやるよ」
俺は足を止めた。
「お前みたいな"記録するだけ"の雑魚はな。生きてる意味、ねぇから。
田舎帰って、畑でも耕してろ。それがお似合いだ」
聖女が、今度はもう、堪えなかった。
甲高い笑い声が、夜の森に響いた。
賢者は本に目を落としたまま、何も言わない。
剣姫だけが、背を向けて、震える肩をこちらに見せないようにしていた。
「……はい」
俺は深く頭を下げた。
「三年間、ありがとうございました。
――どうか、ご武運を」
そして、踵を返した。
夜の森に、一歩、踏み出す。
その瞬間。
【――記録権限を、"内部"から"外部"へ切替。】
頭の中で、聞いたことのない声が響いた。
俺自身の声でもない。誰かの声でもない。
強いて言うなら、世界そのものが俺に向かって囁いたような、そんな声。
【ホスト・ノア=クロウリーの登録を確認。同行対象から"勇者パーティー"を解除。】
【上書き権限、開放。】
【――"再生"、可能。】
足が、止まった。
なんだ。
今のは、なんだ。
振り返ろうとして、やめた。
振り返ったら、きっと俺はまだ、彼らに何かを期待してしまう。聖女の優しい嘘に、勇者の英雄じみた台詞に、賢者の沈黙に、剣姫の背中に。
だから俺は、振り返らずに、もう一歩、踏み出した。
森が、深くなる。
焚き火の灯りが、遠くなる。
仲間の笑い声が、闇に溶けていく。
その時だった。
頭の中で、ぱらり、と、見えないページが捲れた。
三年分の【記録】が、勝手に整列していく。
アルフレッドが酔って漏らした、王家への裏切りの計画。
ミレイユが教会の上層部と交わした、聖女詐称の取引。
グリモアが封じたはずの、"本当の魔王"の在処。
シルフィが俺にだけ見せた、たった一度の――涙の理由。
全部、ここにある。
俺の手のひらの中に、世界が、ある。
「……あぁ」
俺はぽつりと呟いた。
自分の声が、ずいぶん遠くから聞こえた。
「皆さん。
――もう、遅いですよ」
森の奥で、ふくろうが鳴いた。
夜風が、俺の前髪を撫でて吹き抜けた。
その風さえも、俺は【記録】した。
新しい人生の、最初の一秒として。
――その夜、北の辺境の村ハーゼンの外れで、ひとりの青年が銀髪の少女を拾うことになる。
記憶を失くした、裸足の、奇妙に整った顔立ちの少女。
彼女はノアの【記録】に触れて、ただひとつ、こう言った。
「やっと、見つけた」
そして微笑んだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。
――"世界"、巻き戻してみない?」
第一話 / 了
【次回予告】
勇者パーティー、ノア追放から三日後。
四天王・第二席ザガンとの再戦。
切り札のはずだった"魔王の心臓"が、なぜか、起動しない。
「……どうして」
焦るアルフレッド。蒼ざめるミレイユ。
賢者グリモアだけが、ぽつりと呟いた。
「あぁ……あいつを切ったのか、お前ら」
同時刻、北の辺境。
銀髪の少女の隣で、ノアは静かにページを"再生"する。
「魔王の心臓、ですか。
――その起動鍵、三年前に俺が【記録】したまま、ずっと持ってるんですけど」
第二話「もう遅い、お前たちの切り札は、最初から俺の手の中にある」 / 続く
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