二人乗り
気付くと、朝だった。
電気はつけっぱなし、暖房つけっぱなしで机にはノートと教科書が開いた状態で置いてあった。
私はというと、椅子に座っていた。
―――寝落ちした?!
そう言えば昨日、目が冴えてしまって眠くなるまで勉強をしようと試みたという事を思い出した。
しかし見たところ、ノートの開いたページは白紙だ。何も書かれていない。
「勉強する前に寝てしまった・・・」
「分かったなら早く支度しなさい、学校遅れるわよ」
お、ビックリした。
って、また盗み聞きですか、お母様。
もう黙っていて欲しい。
「って・・・」
一応時計を確認してみた私は、絶句した。
「は、8時?!」
あと30分で校門が閉まる!
家を出るまでに最低でも15分かかるし、学校までは走っても15分以上は必要・・・
あれ?遅刻・・・?
「迷ってないで、さっさとしなさいよ」
私は走る。道行く人を押しのけ、跳ね飛ばし、黒い風のように走った。
野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んで行く太陽の、十倍も速く走った。
――――――いやまあ、冗談なんですけどね。
道行く人を押しのける度胸は無いし、跳ね飛ばすほどの力もない。
確かに着ている服は黒いけど50Mの記録は6.64秒だし。
野原とか通ってないし、このご時世こんな時間帯から酒宴とかいないだろうし。
犬派の私に蹴とばせるはずないし、こんな都会に小川なんて無い。
太陽はむしろ上っているし、太陽の沈む速さはほぼ音速だし。
――――――まあ、そんなことはどうでも良いんだけれども。
要は頑張って走っていると言いたいのです。
パンを咥えて。
少女漫画か!
今日は12月15日。
冬らしく、外は恐ろしく寒い。
走っていても尚、寒いと感じてしまう程に。
体温が上がる気がしない。
カイロを触りたいところだけれど、そんなことをしていたら学校に遅れてしまう。
あー、寒い。
もう帰りたい・・・
そんなことを思いつつ走っている私は、十字路にさしかかった。
「危ないっっっ」
キィィィィィ!!
・・・いったい何が起こったんだろう。
甲高い音が聞こえたけど。
「す、すいません、急いでいたんですけど・・・って旭日じゃん」
そこには自転車に乗った彼がいた。
え?
「あ、た、橘君、どうしたの?こんな時間に」
「お前こそ、真面目な生徒なのに、とうとう不良に転向か?」
「そんなことしないわよ、あ、そんなことよりも」
自転車に乗せてもらえれば――!
「どうした?旭日」
「自転車の後ろに乗せて!」
「・・・分かった、乗れ」
「ありがとう」
どうやら察してくれたようだ。
「乗るよ?」
と、そこで気付いた。
気付かなかった方が良かったかもしれない。
ふ、二人乗り?!
わ、私が、た、橘君の後ろに?!
「ん?どうした?乗れよ、遅刻するぞ」
いや、この際仕方ない!
気にするな、私!
「このこと、誰にも言わないでね!」
クラスのみんなにあれこれ聞かれては困るし、噂がエスカレートする可能性だって・・・
「分かってる、真面目な生徒が2015年6月1日から罰則対象になった二人乗りなんかしてるってばれたら、株が下がるからな」
私そこまで真面目じゃないと思うんだけど・・・
というか、妙に博識だ。
普通日付まで覚えないでしょうに。
「にぶちん」
「何か言った?」
「何でもない」
私は少し熱くなった顔を隠す様にして彼の背中を掴んだ。
「出すぞ」
「飛ばして」
「あいよ」
そう言った彼は勢い良くペダルを漕いだ。
私の体は後ろに振られて落ちそうになる。
その慣性に抗うようにして私は精一杯、彼の背中にしがみつく。
風が気持ちいい。
この風は、さっきから上がりっぱなしの私の体温を冷ましてくれる。
寒さなんて、気にもならない。
―――ずっとこんな時間が続けばいいのに
なんて、それでは学校に遅刻してしまう。
せめて学校につくまでの短い時間だけでも、満喫しよう。
そう思った。
学校に着く直前の曲がり角。
そこで私の幸せは断ち切られた。
さすがに学校の中に二人乗りで入るわけにもいかなかった。
「先に行け、噂されたらお前が困るだろ」
その心配は無用というか、既に手遅れなのだけれど・・・
「うん、先に行かせてもらうわね」
私は角を曲がって、学校までのラストスパートを走った。
「へ~、そんなことが、ふ~ん」
本日12月16日。
昨日、あーちゃんは学校を欠席していた。
そして今日も。
私の用事があったため、昨日の報告が今日になってしまった。
そんなこんなで、私は昨日の事をあーちゃんに報告していた。
にやけ顔が手に取るようにわかる。
「からかわないでよ」
「別にそんなつもりは無いよ、ただ・・・」
「ただ?」
「意外と積極的だなぁと思って、隅に置けないねぇ、優等生さん」
からかっている、ぜったい。
「さっきも言ったでしょ、偶然なんだって」
「はいはい、そういうことにしておいてあげる」
あぁ、これできっと明日も質問攻め何だろうなぁ、いやだなぁ、学校休もうかなぁ。
「学校休もうなんて考えちゃ駄目だからね、真面目な優等生さん」
こ、心を読まれた?!
「私そんなに真面目かなぁ」
結構、はっちゃけていると自分では思っていたのだけれども。
「優等生は否定しないんだね」
違う、否定するのが面倒なだけだ。
確かに学校の成績は悪くないけど、所詮は中の上程度だ。
「私の趣味、知ってるでしょ」
「今はもうやってないんでしょう?」
反論できなかった。
まあ、それは本来正しい事なのだけれど。
「まあ、そんな事はどうでも良いんだけど」
どうでも良かったのか。
「閑話休題!」
彼女は大声でそう言った。
電話で大声を出さないで欲しい。
鼓膜が破れたらどうしてくれる。
「本題があったの?」
私は質問した。
彼女は私に言う。
「ミサ、橘君の電話番号知ってる?」
「いや、知らないけど・・・、それがどうかしたの?」
「え?!ミサ、まだ教えてもらってないの?!」
驚かれた。
素で驚かれた。
そんなに衝撃だったのか・・・
「別に困ってないし、聞く必要無いかなって思って、それに・・・」
それに、聞く勇気を私は持ち合わせていない。
「困るとか困らないとかじゃなくってさ、思ったりしないの?」
「何を?」
何か思うべきことがあるのだろうか。
「声が聴きたいって、思わないの?」
「思わないけど」
「思わないの?!」
また驚かれた。
私が間違っているのか?
「だって毎日学校で聞いてるし」
「それは聞こえてくるだけでしょ?」
「駄目なの?」
「駄目とかじゃないけどさ・・・、もっと話をしたいとかって思わないの?」
「それは・・・」
確かにそう思ったことはある。
でも、電話したいと思うほどではない。
「とにかく、今日中に聞き出してね」
え?!
じゃ、おやすみ!
一言、言い返す前に切られてしまった。
さっきの彼女の話を思い出す。
“声が聴きたいって、思わないの?”
思わない、思わないけど・・・
「そんなこと言われると、聞きたくなるじゃない・・・」
メールで聞くしかない。
昨日は結局メールできなかったんだから、今日こそ。
そうだ、今朝の話をしよう。
『こんばんは、橘君。今朝は自転車に乗せてくれてありがとう。』
こんな感じだろうか。
送信。
『気にするな、またいつでも乗せてやるよ。』
「約1分での返信は早いよね」
メールが来るのを待っていたんだろうか。
いやいや、そんなはずは・・・
返信文を書く。
『思ったんだけどさ、こんな会話ばかりじゃ履歴が嵩むだけだし、電話で話さない?』
送信。
あ、しまった、いきなりすぎたかな?
『ああ、良いぞ。俺の携帯の番号は――――』
約30秒での返信だった。
迷っていない?!
きっと即決だろう。
断られるかもと思っていたので調子が狂う。
『今掛けてもいい?』
『いいぞ、問題ない。』
許可が下りた。
即決だった。
さっきのメールを履歴から開いた。
書かれた電話番号を忘れないように何度も復唱しつつ、ダイヤルの画面を開く。
復唱している番号を間違いの無いように打ち込んでゆく。
最後に発信ボタンをタップした。
電話を耳に当てる。
心臓の音が聞こえる。
バク、バク、と脈打ち、リズムを刻みつつ血圧と体温を上げてゆく心臓。
そして、思考が今にも停止しそうな脳回路。
そんな最大限の緊張をしながら、彼の声を待つその瞬間はーーー
私の一生分の時間と思えるほどに長かった。
「もしもし」
彼の声だ。
緊張で舌が上手くまわらない。
「も、もすもしっ!」
噛んでしまった、落ちつけ私!
「なんだよ、緊張してんのか?」
「し、してないわよ!」
彼の台詞に反論すると、少し緊張が解けた。
結局30分以上は話しただろうか、よく聞くと、彼の声はかすかに震えていて、私の緊張をほぐしてくれた。
「じゃあまた明日、学校でな」
「うん」
おやすみ、と言おうとして
「あ、ちょっと待って、話したいことがあるの」
「な、なんだよ」
つい、引き留めてしまった。
こうなったら仕方ない。
やるしか、無いっ!!
「そ、その、電話じゃ言いにくいから、メールで伝えるね、じゃ、じゃあ」
彼の返事を待たずに電話を切った私はすぐさまメールの入力に取り掛かる。
『あのね、実は私・・・
あなたの事が○○○○〇なんだよ///』
送信
って、はぐらかしてどうするのよ、私っ!!!
『えっと、その〇って文字数合ってる?』
返信が来るまでに、たっぷり5分かかった。
まあ、当然か。
『ううん、正確には〇三つ。』
送信
いつの間にかクイズ形式になってしまった。
『“きらい”が入るとかじゃないよな?』
どうやら彼は心配性らしい。
小学生の時の虐めの後遺症だろうか。
『嫌いじゃないよ。』
送信
素直に好きって言えよ、私!!!!
『ありがとう
』
不覚にも、その言葉で私は燃えるように赤面した。
『また明日、学校で』
送信
携帯の電源を切った。
これ以上彼と話すと体がもたない。
結局、はっきり“好き”と言えなかってことに後悔を抱きつつ、私はベットにもぐりこんだ。
寝られるはずがなかった。
目が覚めた。
いやいや、寝られるはずがないって思っていたのに。
昨日の緊張で体が疲れていたのだろうか。
しかし、寝たおかげで、私の脳はすっかり冷静になっていた。
そこで、一つの不安が頭をよぎった。
彼からの最後の返信。
“ありがとう”の文の隣に、スクロールバーがあったのを思い出したのだ。
あの返信には続きがある―――!
携帯で今すぐ確認しないと―――!
しかし、私のスマホは電源ボタンをいくら押しても起動しなかった。
―――な、なんで?!
よく見ると、電池切れを示す0%の表示があった。
確かに昨日は充電をしないままで寝てたけど、それだけで一気に無くなる物だろうか。
どの道充電しなければいけないのだが、家で充電をしていたら学校に遅刻してしまう。
しかし私はバッテリーを持っていないのだ。
―――仕方ない。
携帯は家に置いていこう。
私は歩いて通学していた。
考え事をしながら。
もしも、あのメールの続きが断りの内容だったら・・・
『
でも、俺には無理だ。他に好きな奴がいるから。』
とか。
うわ、最悪だ。
むしろ災厄だ。
すると、いきなり後ろから肩を掴まれた。
「おはよう、ミサ」
何だ、あーちゃんか。
「おはよう、あーちゃん」
すると彼女は心配そうな顔をして私の顔を覗き込んできた。
「どうしたの?元気のない顔して、電話番号分からなかったの?」
「そうじゃないんだけどね」
「じゃあ、何があったのよ」
私は、思い出すだけで後悔の下敷きになりそうなさっきまでの出来事を彼女に話した。
「なるほどねぇ」
彼女は何かを考え出した。やがて口を開き
「面と向かって『付き合って』って言えば?」
「無理に決まってるでしょ!」
恥ずかしすぎるわ!!
「心配しなくても断られたりしないわよ、絶対に」
すごく自信満々の顔だった。
何故そこまで自信満々なんだ。
「だ、だとしても言わないからね、絶対なんだから」
その後の学校での部活にて私と橘君の間が気まずかったことを、部員全員が悟っていたのだった。