第17 旅芸人一座・みなみ風
王都を旅立ってから十日が過ぎた。『旅芸人一座・みなみ風』と名付けられた一行の旅は驚くほど順調だった。
「よう座長! 今日もいい天気だな!」
「シュン! 荷馬車の手入れが終わったらこっちも手伝ってくれ!」
街道沿いの村々で一行は王都のエリート文官としての身分を微塵も感じさせることなく完璧に「旅芸人」として溶け込んでいた。
座長であるアルフォンスは持ち前の生真面目さで一座の長として堂々と振る舞う。他の文官たちも役者になりきることで逆に普段の堅苦しさから解放され生き生きとした表情を見せている。ティアはその持ち前の明るさでどこの村に行ってもすぐに人気者になった。
そして俊は荷物持ちの「シュン」として誰からも怪しまれることなくひたすらに雑用をこなし、その冷徹な目で道中の全てを分析していた。
(王都から南下するにつれて人々の服装や言葉の訛りが明らかに変わってきた。そして何より……)
俊は街道の脇に広がる黄金色の麦畑に目を細めた。
(……土地がとても豊かだ)
書斎のデータが示していた南の穀倉地帯。そこはアヴァロンの胃袋と呼ばれる王国で最も肥沃な土地だった。
そしてついに一行は、その中心都市であり宰相派と中立派の狭間で巧みな政治力を持つとされるヴァロワ侯爵が治める街『ドール』に到着した。
アイゼンブルクの荒涼とした風景とは何もかもが違っていた。街は活気に満ち市場には新鮮な野菜や果物が溢れすれ違う人々の顔にも余裕が感じられる。
一見するとこれ以上ないほど平和で豊かな街。だが俊の目にはその完璧な豊かさこそが最大の「違和感」として映っていた。
(……数字から感じた印象とは全く違うな…)
書斎で見た『五年も収穫量が全く変動していない』というあり得ない数字。この豊かな街の一体どこにそんな不吉な澱みが隠されているというのか。
その日の午後一行は早速街の広場で芝居の準備を始めた。物珍しそうに集まってくる大勢の野次馬。その中にはこの街の衛兵や役人らしき男の姿も混じっている。
アルフォンスはオリヴィエに叩き込まれた通り堂々とした声で口上を述べた。
「さあさあお立ち会い! 我こそは王都より参りました旅芸人一座『みなみ風』! お目にかけまするは南の大地に伝わる知られざる恋物語!『豊穣の女神と裏切られた若者の嘆き』! 見ていって損はさせませんよ!」
やがて芝居の幕が上がった。ティアが演じる豊穣の女神アリアがその澄んだ声で愛の歌を歌い上げる。
そしてアルフォンス演じる主人公カイトが恋人(宰相派の暗喩)に裏切られ絶望の淵で大地(王家の象徴)への変わらぬ愛を叫ぶ。
文官たちの演技はまだ拙い。だがオリヴィエと俊が作り上げた論理と感情が融合したその芝居は不思議な力を持っていた。
観客たちは最初はただの珍しい見世物として眺めていたが次第にその物語の世界へと引き込まれていくのが分かった。
そして芝居がクライマックス、女神アリアが裏切られたカイトにそっと手を差し伸べ「あなたにはこの大地と私がついている」と告げる場面。それは国王ライオネルが虐げられた民衆に救いの手を差し伸べるという俊が仕掛けた「暗号」だった。
そのあまりに感動的な場面に観客たちは心を奪われ堰を切ったような拍手と歓声が広場を包み込んだ。
しかしその熱狂のまさにその瞬間。
観客席の前列で見ていた数人の農夫たちだけがまるで幽霊でも見たかのように顔をこわばらせ周りの熱狂とは裏腹に慌てたようにその場を立ち去っていったのだ。その動きはあまりに不自然だった。
(……やはり、なにかあるな)
荷物持ちとして舞台の隅で全てを見ていた俊は、その熱狂と恐怖の奇妙なギャップ(綻び)を決して見逃さなかった。
その夜。視察団が宿とする宿屋の一室で、芝居の成功に興奮する文官たちを尻目に俊はアルフォンスとティアだけを呼び寄せ静かに指示を出した。
「アルフォンス。明日君は座長としてこの街の領主ヴァロワ侯爵に公演の挨拶と称して面会を申し込んでくれ。目的は探りを入れることだ。あの男が本当にデータ通りの『穏健な中立派』なのかそれとも何かを隠しているのか。君の目で見極めてきてほしい」
「承知いたしました」
「そしてティア」
俊はティアに向き直った。
「君には今日芝居の途中で立ち去ったあの農夫たちを探してもらう。市場の女たちの井戸端会議に潜り込み彼らが一体何に怯え何を隠しているのか。……その『理由』を探ってきてくれ」
「うん分かった!」
翌朝早くティアは雑用係の仕事である食料の買い出しを名目に街で一番大きな朝市へと向かった。そこはすでに大勢の女たちでごった返し活気に満ち溢れていた。
変装したティアは持ち前の人当たりの良さでパン屋や八百屋の女主人たちとすぐに打ち解け世間話を装いながら昨日の芝居の話題を巧みに切り出した。
「昨日の芝居すごかったですね! 王都の一座だなんて珍しい!」
「ああ見たよ。あの女神様役の子可愛らしかったねえ」
「それでね、うちの亭主が言うんだけどさ……」
女たちの声のトーンがわずかに下がる。
「あの芝居の『裏切られた若者』ってまるで自分たちのことみたいだ、ってね……」
ティアの耳がその小さな呟きを捉えた。
「それって、どういう……?」
「……しっ! 大きな声じゃ言えないよ。この街は豊かに見えるだろ? だけどね、それは全部ヴァロワ侯爵様とグルになっている一部の大農場主たちだけさ。あたしたちみたいな小さな農家は年々厳しくなる税と変わらない買いたたきで首が回らない。……昨日芝居の途中で帰ったのも、あの芝居の内容が、あまりにも自分たちの境遇に似ていて、怖くなったのさ。侯爵様に『自分たちのことを当てこすっている』なんて睨まれたら、あたしたちはこの土地じゃ生きていけないからね」
一方その頃アルフォンスは座長としてヴァロワ侯爵の屋敷を訪れていた。しかし彼は侯爵本人に会うことすら叶わなかった。
「あいにく侯爵様は所用で立て込んでおりまして」
そう言って応対に出たのは年の若い執事だった。その物腰は完璧に丁寧だったがその目の奥にはアルフォンスたちを見下すような冷たい光が宿っている。
「皆様のような素晴らしい旅芸人の方々に、わざわざお見せするような顔は持ち合わせていない、と。……これは手土産です。お引き取りを」
そう言って渡されたのは銀貨が数枚入った小さな袋だった。
あからさまな侮辱。アルフォンスは怒りに震える拳を握りしめたが座長としての役目を思い出し完璧な礼儀作法通りにそれを受け取り屋敷を後にした。
その夜。宿屋に戻った二人の報告は俊が予測していた通りのものだった。
「……なるほどな」
俊はティアが集めてきた『生の声』とアルフォンスが受けた『侮辱』という二つの情報を頭の中で高速で結びつけていた。
「この街は豊かさで腐敗を隠している。アイゼンブルクとは全く質が違う厄介な敵だ。ヴァロワ侯爵は『穏健な中立派』なんかじゃない。宰相派と結託しこの豊かさを独占している、まさに『張本人』だろう」
アルフォンスの報告で全てが繋がった。
「アルフォンス。君が追い返される時に何か気づいたことは?」
「……一つだけ。屋敷の裏手にある巨大な倉庫に小麦の袋が次々と運び込まれていましたが……その荷馬車の紋章は侯爵家のものではありませんでした。見たこともない、黒い蛇の紋章です」
「黒い蛇……」
俊の脳裏に電撃が走った。それはヴェリディア王国で俊が追っていた『鉄の鎖』の幹部たちが使っていたとされる裏の紋章とあまりにも酷似していたのだ。
(……間違いない。繋がった)
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