第十一話 恐怖の起点 前編
私が20代の頃、母方の祖母が病院で亡くなり、そのまま葬儀会社の霊安室ではなく実家に戻って来た。
葬儀屋さんは一階の居間に祖母を寝かせると、棺桶を取りに戻っていった。
そこで布団に横たわる祖母に、私が死に化粧をすることになった。
本来ならプロにやってもらった方がいいのだが、近所の人がお悔やみに来るからせめて綺麗な顔で会わせたいと母が言い、その場にいた女二人のうち若い方ということで私がやる流れになったと記憶している。
ハッキリ言って私はメイクが得意ではない。
祖母の化粧箱の中は使い慣れない昔ながらの白粉や紅などで、人生最後の化粧を私なんかがやっていいのか凄く緊張した覚えがある。
それでもやって来た人たちが『〇〇さん、綺麗な顔して眠っているようだねぇ』と言ってくれたのでひとまず胸を撫で下ろす思いだった。
その後お棺を持って戻って来た葬儀屋さんが、あらためてお直ししてくれたかは覚えていない。
この頃はまだご遺体を直接見たのは二度目だったと思う。それにこんなに間近で長く見ていたのは初めてだった。
そのせいかもしれない。
祖母のお葬式が済んで三日ほどたった頃、夢に祖母が現れた。
何故か私は祖母の布団に一緒に入っていた。そしてすぐ真横に祖母の顔があった。
その顔は目を閉じていて青白いというものではなかったが、代わりに口があんぐりと大きく開いていた。
驚いた私が慌てて布団を飛び出したせいで、ガクガクと頭と共に揺れたその口が、まるで あ”~~~ と、耳には聞こえぬ声を発しているように見えた。
祖母は生前、少々ボケが入ったとはいえ身だしなみに気を付け、いつも着物をきっちりと着ている人だった。髪もしっかりと結いまとめ、だらしない姿を見たことがなかった。
だから人に向かって大口を開けたままの姿なんて想像もしなかった。
祖母には申し訳ないが、その力無くぽっかり開いている口がとにかく恐ろしかった。
家族が脱ぎ残していった着物が部屋に落ちている。
そのこんもりと盛り上がった着物の中には、なにやら得体のしれないモノが入り込んでいた。
その時感じる身の内から湧き出てくるザワザワ感。そんな不気味さを残す夢だった。(ばあちゃんごめん!)
もちろん祖母自身は無事に天に召されているだろう。こんな祖母を見たのはこれ一回きりだった。
まあ似たような夢なら他にもあった。
ふと目を覚ましたら知らない女が隣にいて、目が合って飛び起きるというあるあるだ。
ただの見知らぬ人よりも、なまじ近しい人のほうが、その衝撃と生々しさが相まって恐ろしさが倍増するものだ。
そういえばタイ王国は日本と同じ仏教国であるが、亡くなったら人は仏様になるのではなくお化けになるという考えだそうだ。
なのでお墓を残すという習慣がない。死者は敬うというよりも恐れるものらしい。
たとえ生前は愛した身内でも、死んだら別モノ、迷ってこちらに戻って来ないでと願うのだ。
これがまた伝統的文化というよりも、本気で怖がっているらしいのだ。
例えば不幸があるとその家ではしばらくの間、夕暮れ以降はなるべく外に出ないようにするという。
万が一、家のまわりをウロウロしている家人と出くわすかもしれないからだ。
また家のまわりに砂(?)を撒き、結界で故人が家に入れないようにしたりするとか。
亡き家族にそこまで怯えるのもなにやら切ない気もするが、先の夢を思い出すとその感覚もわかる気がしてくる。
ただその反面、赤ん坊のミイラや、ご遺体の体から採取した屍油をお守りとして有難がる文化はよくわからないのだが。
まあ畏怖という言葉があるように、恐怖と神秘的な力による恩恵は、かなり近い存在なのかもしれない。
(*『クマントーン(赤ん坊のミイラ)』 現在、本物で作るのは違法。ただしすでに作られていたモノを所持するのはお咎めなし)
そういえば日本でも土葬が主流だった頃、棺桶に座らせたご遺体に石を抱かせる『抱石葬』という埋葬方法があった。
途中で迷って戻ってくる者は、たとえ生前に善人だったとしても、”死”という穢れを残したままという不安があるからではないだろうか。
恐怖を感じるポイントは色々あるが、得体のしれないモノは特に想像力も加わって脅威の対象となるだろう。
何しろ未知の相手は何をしてくるかわからない、どう対処していいのかわからない、よしんば方法がわかったとしても、果たして出来ることなのか。
そういった警戒心と危機感・不安が、恐怖として知覚されるのじゃないだろうか。
だから私は『未知との遭遇』を素晴らしいと感じると共に、奥底でいつ掌返しされるのかドキドキしていた。
あの圧倒的な科学力を前にして、いきなり侵略されても抗議する力もないだろうから、もしやエンドロール後に不穏なシーンが出てくるのではないかと。
何しろ相手は未知なる高度文明人なのだ。あえて初対面は友好的な態度をとってくる可能性もあるじゃないか。
そんなまわりくどい事をするかって?
そりゃあ恐怖やストレスを与えると、お肉がマズくなるからさ!
―― この映画を好きな方すいません~~~~(~_~;)
人も異星人もナニカも、善悪どっちもいるので、ついナナメに警戒してしまう青田であった。
とにかく”得体のしれないナニカ”というのは大体恐怖の対象になる。
それは行動や考えが予測できない人間も同じで、最近流行りの”無敵の人”なんかも、もう人というよりこの得体の知れないナニカの部類に入れてもよさそうな気もする。
ちなみに『生きている人間が一番怖い』という言葉をよく聞くが、ここで『悪霊というのは、あちらの無敵の人』と言い換えればどうだろう。
少し恐さのポイントが変わっただろうか?
実は当初、前半の祖母のエピソードと別エッセイ『ちょっぴり奇妙……』の第20話とでまとめる予定だった。
目覚めた時、傍にいたナニカという共通項で括るつもりだったのだ。
そこで恐怖を感じる、または起こさせるポイント、逆に怖さを感じない場合との違いを書こうと思っていた。
だがその矢先、ある事を体験して急遽内容を改めることにした。
それまで私は、人が恐怖を感じるのは、その危険な対象の存在をまず認識する――例えば山で熊に遭遇したとか――、または脅威の対象を想像して、不安や恐れを抱くのだと考えていた。
だが世の中にはまだまだ知らない恐怖の起こり方があったようだ。
一言で言うと、そんな脅威の存在を知らなくても一瞬で戦慄させられる場合があるということだ。
ちなみにドラッグや精神疾患など、脳の暴走は除外である。
思わせぶりで申し訳ないが、長くなりそうなのでここは次回にまわさせていただこう。
私の体験したものが、皆さんの想像の斜め上をいっていることを祈って。
いつも読みに来てくださりありがとうございます。
ただいま煮詰まっている『アナザーライフ』に、ちょうどジャストなテーマだったのでエッセイから書いてみました。
後半もほぼ出来ているので、近日中にあげたいと思います。




