表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

24/24

不死の呪いと、僕の日常について 6

 翌朝、僕は起きたその足でまっすぐ警察へと向かった。電気が通っていないから、仕方なく最寄りの交番まで歩いたのだ。両親の死を伝えると、当直の警官は最初こそ信じなかったものの、僕が詳細を話すにしたがって顔色を変えた。だから、自宅へはパトカーで戻ることになった。家の惨状を見た警官が血相を変えて方々電話しているのをみて、ああ、本当に現実なんだなと妙に実感した。


 第一発見者である僕は警察署にも連れていかれたものの、未成年であることから家族を失った可哀想な少年として一旦開放された。家では鑑識が調査をしているので戻れないというので、僕は仕方なく街でふらふらすることにした。


 街は昼間だというのに人通りがなく、捨てられた都市を歩いているような気がした。それとも、僕が失意のどん底にいるために、いつも通りの景色がうんざりして見えるのだろうか。いずれにしても、僕がこの町から完璧に隔絶されたように感じていることに違いはないのだけれど。


 ふいに耳に入った喧騒につられて振り返ると、通りの先で祭りが催されていた。通りの先には町で一番大きい稲荷神社がある。どうやら今日は年に一度の夏祭りらしい。ここのところ色々と忙しかったせいか、日付の感覚がくるっていて、すっかり忘れていた。縁日には楽しそうな家族連れや浴衣を着たカップル、部活動の大きなカバンを背負った高校生の集団がいて、鮮やかに彩られた通りが一層まぶしく見える。たまらず目をそらしそうになったものの、朝から何も食べていないことに気が付いた僕は財布の中身を確認してからふらふらと縁日のほうへ足を運んだ。これじゃあ、まるで食べ物のにおいにつられてやってきた野良犬みたいだと心の中で自嘲した。


 祭りは思った以上ににぎやかで、普段は人通りのほとんどないこの町のどこにこれだけの人がいるのかと思うほど賑わっていた。縁日は僕がやってきた警察署とは正反対の方向にずっと伸びているようで、端までは確認することさえできない。僕は適当にたこ焼きとから揚げを買って、あてもなく散策をすることにした。どうせ、今日帰る場所さえまだ決まっていないのだ。


 歩いているうちに、前のほうからクラスメイトの一団がこちらに向かっているのを見つけて、僕は思わず物陰に隠れた。僕の家で起こった事件は、すでに警察から学校へと連絡が行っているはずだ。哀れみを向けられるのはごめんだし、好奇の視線にさらされるのは最も避けたいものだ。脂汗をにじませながら人込みに背を向けて息をひそめる。しかし、僕の想像とは違い彼らは僕に目もくれず去っていった。ホッとする反面ひどくむなしくなって、僕はそのまま出店の間をかき分けるようにして人混みの向こう側へと抜けていった。


 的屋のおじさんたちににらまれながら裏手に出ると、そこはちょうど境内の中心だった。こちらにもちらほらと人はいるものの、表通りに比べれば幾分か静かだ。ようやく落ち着いた僕は食べきった後のゴミを捨てるべくゴミ箱へと向かう。すると、縁日ののぼりや神社の立て看板の影になった一角で、いかにも胡散臭いスーツ姿の怪しげな男が子供たちに声をかけていた。


「さあさ、僕たち。よってらっしゃい、見てらっしゃい」男は下卑た笑みを顔全体に浮かべて声を上げる。「世にも珍しいお化け屋敷だよ。今日一日限りの大舞台。普段は見られない奇想天外な生き物や妖怪変化、魑魅魍魎がテントの中で君たちを待っている。貴重な体験だ。入場料はたったの千円。なあに、安いもんだ。お友達にも自慢できること間違いないよ。さあ、中に入った入った」

 男は大げさに手を振って子供たちを招くものの、当の子供たちのほうはすっかり警戒しているらしく、入る様子を見せない。小学校三年生ぐらいだろうか。四、五人の子供たちの中には女の子もいて、怖がったようすでいやいやをしている。興業の男もいらだっているらしく、笑顔を浮かべながらも汗ばんだ額に血管を浮き立たせている。しかし、周囲には子供たちの他に客はいない。


 その時、男がふっと顔を上げると、遠巻きに見ていた僕と目が合った。しまったと思うと同時に男は満面の笑みを浮かべた。


「おお、お兄さん、いいところに来たね。この子たち、中に入りたくてたまらないくせに怖がってるんだ。ここはどうか、お兄さんにひと肌脱いでもらえないかね。なあに、子供たちの案内さえしてくれれば、お兄さんの分は払わなくていい。どうだい?」


 男が小走りで寄ってきたせいで、僕は逃げるタイミングを完全に失った。一方子供たちも、その場にじっと立ちすくんでこちらを見ている。どうやら怖がってはいるものの、本当に中が気になっているらしい。どうせ行くあてのない僕は、ため息をついてから了承した。子供たちを連れてテントをくぐる際、後ろから「色男!」と男の声が聞こえてきたものの、なんとなくイライラした僕は黙って子供たちを先導した。


 テントの中は、外から見るよりもさらに狭かった。加えて薄暗く、おどろおどろしい写真や絵があちこちに貼られている。子供たちは完全にビビッてしまったらしく、僕の学ランの裾を引っ張っている。僕は仕方なく子供たちの肩を抱きながら、ちょうどテントの中心に置かれたカウンターの前に立った。その向こうには申し訳程度に用意されたステージが、ただライトの光を浴びている。


 しばらくすると、どこからかアナウンスが聞こえてきた。


「ようこそ、お集まりいただきました。この夏の納涼に、どうぞ最後までお楽しみくださいませ。最初にお目にかかりますのは、世にも珍しいタコ娘でございます」


 妙に裏返った声だな、と思うと同時に明かりが消え、今度は太鼓と笛の音が響いてきた。音がどんどん強く盛り上がり、最高潮を迎えたところで、ステージの上に下半身がタコの女が現れた。きゃあきゃあ、と子供たちから悲鳴が上がる。タコ女は、ぬらぬらとした粘液をまといながら、なまめかしく踊り始める。しかし、なんてことはない、よくよく見れば上半身だけをステージから出してあたかも半人半魚のようなふりをしているだけだ。タコ女が自分の足を食べ始めたところで何人かの子供が泣き出したので種明かしをしてやると、タコ女のほうが居心地悪そうに引っ込んでいった。そこで僕はようやく、ここがお化け屋敷ではなく見世物小屋であることに気が付いた。

 次にやってきたのは人魚のミイラだった。アナウンスが、ミイラにまつわる様々な恐ろしい逸話を語るものの、どう見てもサルか何かと魚の骨を接ぎ合わせただけだ。子供たちに伝えると、彼らも段々慣れてきたらしく声をあげて笑い出した。続く双頭の蛇に至っては、黒子がガラスケージを持ってくる段階ですでに野次が飛んでいたほどだ。


 すっかり子供たちも安心しきっていたので、僕は先にお暇することにした。

 それにしても、今時見世物小屋だなんて、よく許可が下りたものだ。差別や何かを助長するからずいぶんと昔に禁止になったと、以前テレビのドキュメンタリーで見た気がする。ひょっとしたら、僕が生まれる前にはもう見られなくなっていたのではないか。


 「ああっ」という悲鳴が聞こえて振り返えると、子供たちがステージのほうを指さしておびえていた。


「さあさあ、そろそろクライマックスも近くなってまいりました。次にお目にかかりますのは、日本中に悪名とどろく大妖怪。日本全国知らぬものなし。子供から大人まで恐怖のどん底に叩き落した都市伝説。口裂け女でございます」

 唐突にライトアップされた先に現れたのは、長いバラバラの髪をした少女だった。猛犬のような鋭い目つきと、耳まで裂けた口。眠っているのかうなだれていて、さらに手足には錠がはめられて、まるで罪人のようだ。誰が化粧をしたのか、乱暴に塗られた真っ赤な口紅のせいで、ただでさえ大きな口がさらに巨大に見える。


「コウスケ、コウスケだろ!」子供たちが次から次へと口裂け女に声をかけ始めた。「突然いなくなったから、心配だったんだ!他のクラスのやつらが見たって行ってたから、怖かったけど来てみたんだ」

 騒ぎ立てる子供たちの声でBGMさえ聞こえなくなってきたところで、呼び込みの男がテントの中へ入ってきた。一瞬、忌々しそうに顔をゆがめていたものの、すぐに元の営業スマイルに戻ってこちらに笑いかけてくる。

「こらこら、子供たち。他のお客さんもいるんだから、あんまり騒ぐんじゃあないよ」

「でも、あの子はコウスケだ!コウスケは僕らの友達なんだ」

「馬鹿を言っちゃあいけないよ、子供たち。どこからどう見ても、女の子だろう」


 僕はじっと目を凝らして、それからハッとした。ステージの上に立つ口裂け女は長髪にスカートで、確かに一見女の子に見える。しかし、その顔には見覚えがあった。富田先輩の家で見た、犬神憑きの少年にそっくりなのだ。顔に塗られた化粧と、薄暗いあかりのせいですっかり騙されていた。

「いいかい、ボクたち」男がいらだちを隠そうともせずに言った。「あの子が、男か女か、ましてや君たちの友達であるかどうかなんてのは、知ったこっちゃないんだよ。なぜなら、あれはウチが大枚はたいて手に入れたウチの商品だ。だから、ボクたちに何と言われようと返してやる義理はない。ああ、お客さん、まだ見せ場はこれからですよ!」

 男は子供たちに背を向け、帰りかけていた別の客を引き留めに行った。するとどこからかまたおどろおどろしい音楽がかかり始めて、つながれた口裂け女の背後から覆面姿の男が鞭をもって現れた。男が鞭を一振り床に叩き付けると、子供たちは小さく悲鳴を上げてそれっきり黙ってしまった。


 ライトの光が、青に赤、紫に黄色と変化しながらテントの中を駆け巡っていく。音楽もとうとう最高潮の盛り上がりを見せ、どこどこと響く太鼓の連打がやんだところで、覆面の男が口裂け女めがけて鞭をふるった。すると、死んだように動かなかった口裂け女がゆっくりと顔をあげて、薄く開いた目で客席をにらみつけた。


 途端に、口裂け女は鎖を引きちぎるような勢いで暴れ始めた。鋭い犬歯をのぞかせた口から奇声と唾液を巻き散らかしながら、今にも観客にとびかかろうとしている。


「いよいよ舞台もクライマックスです。何を隠そうこの口裂け女、かの悪名高い久地ヶ先家の末裔である、由緒正しい犬神憑きなのです。一説によれば、口裂け女という言葉はそもそも久地ヶ先がなまったものだとも言われています。さあ、とくとごらんあれ!」

 場内がどよめいた。久地ヶ先の名前は、僕が思っていた以上にこの町に浸透しているらしい。


 男が話し終えた後、その場にいた誰もが、助けに来たはずの子供たちでさえ恐れおののいている中、しかし僕だけがまるで違った感情を抱いていた。最初は少年を哀れだと思った。少年が本当に久地ヶ先家の出身なのかはわからないが、決して自分のせいではないのに呪いにかかった挙句見世物になっている。あまりに非情で冷酷なやり口だ。同時に罪のない少年を私利私欲のために利用している見世物屋の連中に対する、どうしようもない怒りがわいてきた。

 けれどすぐに、その考えは真逆に変わった。少年は僕とまるで同じなのだ。出自なのか土地の呪いなのか、何かよくわからないもののために人に疎まれる存在になってしまったのは不幸だ。しかし、今ある姿はつまるところ、この町にとって害でしかない。であれば、経緯はどうであれ彼も僕もこの世から排除されるべきなのではないか。むしろテントの中で見世物に好奇の視線を向ける人々こそ、僕の愛すべき平凡な日常を送っている人々であるような気がする。


 僕はステージの前に並んだ客の間をすり抜けて、ゆっくりと少年の前に立った。少年は必死になって僕に食らいつこうと歯をむき出しにして、首につながった鎖をピンと張り詰めさせている。細くて安っぽい鎖はしゃらしゃらと音を立てて、今にもちぎれそうに見える。

 じっと、少年の背後に目を凝らす。するとぼんやりと、暗くて渦を巻いたものがまとわりついているのがわかる。焦点を合わせてさらに見つめ続けると、それは犬の首だった。少年だけではない。いつの間にか僕の周りにも何匹、何十匹もの犬の首が駆け巡っていることに気が付いた。おそらく、これが犬神と呼ばれるものなのだ。


 僕が少年のほうに手を伸ばすと、少年は待ってましたとばかりに噛みついた。鋭く、焼けるような痛みと、生暖かい唾液が僕の手に伝わる。すぐに見世物小屋の連中が少年を取り押さえて引き離そうとするものの、万力のような少年の顎は僕の手を銜えたまま離そうとせず、ピクリとも動かない。

ふいに、生ぬるい風が僕の腕にまとわりついてくるような感覚がした。少年に取りついた犬神たちが、僕の体へと乗り移り始めたのだ。当然、周りの人間には何が起こっているのかわかるはずもない。僕と、おそらくは口裂け女の少年だけが知っているのだ。少年は僕の手に噛みついたままじっと動かない。厄介な呪いが人に移せるならば、ぜひ移したい気持ちなのだろう。


 いいさ、移したいだけ移せばいい。呪われた一族に絡みついた罪は、僕がすべて喜んで引き受けよう。


 しばらくずるずると流れ込んでいた犬神を吐き出し終わると、少年は僕の手を放して眠るように気を失った。体に宿っていた重荷がすべてなくなったおかげか、その寝顔はとても安らかに見える。一方で、僕自身の中を少年の感情が稲妻のように駆け巡るのを感じていた。親に捨てられた悲しみ、見世物にされる屈辱、理不尽な境遇に対する怒りと絶望が血管を循環するように僕の全身隅々まで浸透していく。それらの感情が、僕を媒介として増幅していくのがわかる。


 アクシデントのせいか、暗かった場内には明かりがともされて音楽も切られた。少年の暴走が収まった今、あたりはやけに静まり返っている。その時、背後から小さく悲鳴が聞こえて振り返ると、子供たちが僕のほうを指さして恐怖に目を見開いていた。子供たちの視線に気が付いたほかの客たちも、僕の顔を見ては唖然として立ちすくんでいる。何が起こったのかさっぱり事態がわからなかった僕は、少年の歯形が残った手をそっと自分の顔に伸ばした。


 歪んでいる。最初はそう思った。しかし改めて確認すると、唇の位置がおかしいような気がする。それに何だか頬の筋肉がやたら痙攣している。唇に沿うようにして指でなでると、端にいくにしたがってぶにゅぶにゅと柔らかく、腐った果物のように簡単に裂けていく。驚いた僕が慌てて手を放すと、爪がやたらと伸びていることに気が付いた。それどころか、指の長さや関節の位置まで人間離れしているように見える。

 受け入れがたい事態に、僕は悲鳴を上げた。しかし、僕の声は人間のものにはまったく聞こえず、地獄の猛獣が雄たけびを上げたかのような音になってテントの中に響いた。すると、今まで固まっていた客たちが一斉に我に返って、恐れおののき逃げ出していく。


「ば、化け物だっ」


 一目散に逃げていく人々の背中を僕は茫然と見つめた。いつの間にか身長も伸びているらしく、天井に吊られた照明に手が届くほどだ。


 一体僕はどうなってしまったんだ。考えている暇はなかった。まずはトラブルになる前に、この場から立ち去るのが先決だ。


 僕はテントの裏口側から外に出て、神社の影に隠れながら祭りの反対側へと走った。夏祭りのおかげで周囲の主要な道には交通規制がしかれているから、辺りに車はほとんどない。まばらにいる通行人が時折目を丸くして僕のほうを見ていたが、それだけだった。


 とりあえず人気のない場所へ行かなければならない。息を切らしながら全速力で走ってようやくたどり着いたのは、いつか三角と一緒に来た河原だった。思っていたよりずいぶんと早く来られたものの、慣れない運動をした僕は息も絶え絶えで、たまらず砂利の上に倒れこんだ。


 ようやく呼吸が整ったところで、べたつく不快な汗が体中に膜を張っていることに気付いて僕は袖で顔をぬぐった。もう夏も終わりに差し掛かっているというのに、河原は蒸し暑くそのうえ風も吹いていない。僕は砂利の上に沈み込んだ腰を上げて川で顔を洗った。川の水はとても冷たく、べたついた肌がさっぱりするのと同時に混乱していた頭がクリアになってくる。


 僕はハッとして水面を凝視した。波打つ水面に映っていたのは、まるで犬のように骨格が変形した僕の姿だった。触ってみると、確かに僕自身の顔であることがわかる。それだけではない。今や僕の体は二メートル以上に巨大化していて、着ていた服もズボンを除いて残っていない。あまりの衝撃に、濡れた体が風に吹かれると同時に、ぞわぞわと鳥肌が立ちめまいさえしてくる。


「いたぞ!あそこだ、川岸にいる」


 ふいに声が聞こえて振り向くと、何十もの人たちが列をなして僕のほうへ向かってきていた。どうやら僕を探していたらしい。


 異様なのは彼らの装いだった。手に手に提灯と武器を持って、浴衣のような服を着ている。まるで時代劇の撮影からそのまま駆け付けたような様子だが、彼らの殺気立った表情はとても演技には見えない。

 僕が状況に混乱しているうちに、時代劇風な人々が石を投げつけはじめた。石つぶてがあられのように降り注ぎ、当たったそばから僕の体は血を吹き出していく。その間僕が考えていたのは、なぜこんな結末になったのかという疑問だった。そして、それは犬神憑きの家系に生まれたことに対する悲しみと憤りへと変わっていった。


 とうとう、人々は僕の目の前まで迫っていた。必死の形相で、今や化け物になり果てた僕を殺そうとしている。そして僕もついに、自分の不条理な人生を受け入れようとしていた。


 第一の槍が僕の体に突き刺さった。焼けるような激痛が文字通り体を突き抜ける。しかし、もう恐れはなかった。僕は腹部から伸びている槍の向こうにいる男を片手で薙ぎ払った。男の体が土くれのようにもろく崩れる。人々の間に動揺が走るものの、すぐに気を取り直したのか、雄たけびを上げて一斉にとびかかってくる。僕は槍を引き抜いて、まとわりつく人々を片っ端から殺していく。もちろん僕も、常人なら即死に至るはずの重傷をいくつも負った。しかし、傷口はすぐにぶくぶくと泡立って、ものの数秒で完治してしまう。


 それだけではない。僕の怒りに呼応するかのように、切り裂かれた傷口やもげた手足から、僕の分身が無限に出現していく。ひとつひとつが、狼のような醜悪な顔つきで、手あたり次第人々に食らいついていく。さらに人々の死体からも、キノコのようにいくつもの狼の頭が生まれては増殖を繰り返すのだ。はじめは百もいたであろう人々は、みるみるうちに死に絶えて、代わりにそれを上回る量の僕がその場にひしめいていた。

 戦果はそれだけにとどまらない。戦意を喪失し、悲鳴を上げて散り散りに逃げていった人々でさえも、僕の分身は逃がさなかった。町へ山へと逃げていったその全員を殺し、その周りにいた人間たちへも被害は波及している。僕は怒りと悲しみに体を震わせながら、火の海と化した故郷をじっと見つめていた。


「ずいぶんと不細工な姿になったものね、久地ヶ先くん」


 背後から声が聞こえた。もはや振り返る必要はなかった。こんな状態の世界で生きていられる生命体を、僕はただ一人しか知らないからだ。


「逢瀬川」僕は心の底からあふれてくる憎しみを隠そうともせずに言った。「お前はこうなることを知っていたな。僕が犬神憑きの化け物で、お前のように分裂しては殺戮を続ける殺人鬼だってことを。だから自分を殺してくれると思って、僕に近づいたんだ」


「その通りよ」逢瀬川は悪びれる様子もなく答える。その様子が、僕をさらにいらだたせる。「最初から、私はあなただけに目をつけていたわ。久地ヶ先家の末裔として、この町全体の憎しみを背負って生きてきた。その憎しみが大きければ大きいほど、あなたの力は強くなる。その上、あなたは近くにいる霊さえも自分の一部にして成長するし、自分が殺した相手を同化させて憎しみを増やしていく。だから、あなたは私を殺しきる可能性を秘めている。

 けれど、それもおしまいね。本当のことを打ち明けると、あなたはとっくに私の中に取り込まれているの。そして私にかかった時間再生の呪いの中で、何度も何度も私を殺そうとして、そのどれでも失敗しているわ。久地ヶ先くんは覚えていないでしょうけど、今回のパターンも再三見てきているの。だから、断言するけれど、あなたは私を殺すことはできないわ。少なくともこのままではね。それに私はもう諦めて時間の巻き戻しを始めているわ。気づいたと思うけれど、今は過去と現在がごちゃ混ぜになっているのよ。もうすぐあなたの記憶はリセットされて、最初に会った日に戻ってしまうの。そんな限られた時間の中で私を殺すことは不可能ね」


「そうかい」


 僕はようやく振り返って、逢瀬川と相対した。逢瀬川はいつもの制服姿でたたずんでいる。その表情も、普段と変わらない、余裕のある微笑で、それが僕の怒りを余計に沸き立たせる。


 ふと横を見ると、小柳ここみが生前と同じような親し気な微笑みでこちらを向いて、逢瀬川へ指を向けている。僕に取り憑いている幽霊なのか、あるいはただの妄想の産物であるのかはわからない。しかし、逢瀬川の言葉を信じると、小柳は僕が他の女性へと意識を向けた時に現れ、そしてその相手を排除するために僕に殺人衝動を与えるのだ。


「今回は違うさ」僕は小柳に目くばせをしてから、逢瀬川へと向き直る。「小柳がついてる。僕は必ず、お前を殺しきる」


「そう。それなら止めることはないわ。さあどうぞ、お気に召すままに」


 逢瀬川が両手を広げた。僕は、自分の中でさらにふつふつと怒りが湧き上ってくるのを感じて、同時に体中の細胞一つ一つが分裂しては犬神の化身として顕現していくのを目の当たりにした。しかし、驚きはしない。そういうものだろうと思ったし、そうあってほしいと思っていた。


 僕の無数の分裂体が、無尽蔵に増えていく逢瀬川に向かって飛び掛かっていく。血しぶきが舞い、内臓が飛び散る。反撃を食らった僕の分身も、次々に消滅を繰り返す。


 いよいよ化け物となり果てた僕も、目の前の逢瀬川に向かって駆け出す。彼女が果たして逢瀬川まなみの本体であるのか、それともただの分身の一体であるのかはわからない。しかし、今となってはどうでもいい。彼女を殺すことは、もはや僕にとって日常の一ページともいうべきルーチンと化しているのだ。


 しかし、今度こそ終わりにする。


 僕は醜く伸びきったその右手の爪を、逢瀬川の喉元へと突き刺した。


「何故不死の少女は僕を求めるのか、あるいは世にも不幸な僕の日常への考察」はこの話で終了です。よろしければ感想をお待ちしております。また、続編のご希望などあればぜひコメントしてください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ