帰り道の寄り道
雀荘『オリオン』。
午後九時半。
店内には牌を混ぜる音と笑い声が響いていた。
「ロンです」
悠也が静かに牌を倒す。
対面のおじさんが頭を抱えた。
「あー! また悠也さんか!」
「今日は勘弁してくださいよ」
「そのセリフ何回聞いたと思ってんだよ!」
「毎回言ってるな」
卓の全員が笑う。
悠也も苦笑しながら点棒を受け取った。
三十一歳。
会社勤めはしていない。
投資で生活している。
朝は相場の確認。
昼は筋トレ。
夜は読書か麻雀。
そんな毎日だった。
勝っても偉そうにしない。
負けても不機嫌にならない。
だから常連からも店員からも好かれていた。
卓を片付けていると、
「悠也さーん!」
聞き慣れた明るい声が飛んできた。
振り向くと制服姿の沙月がいた。
オリオンの看板娘だ。
愛想が良くて、いつも店を明るくしている。
「お疲れー」
「お疲れさまです!」
満面の笑み。
悠也も自然と笑う。
「今日は忙しかった?」
「めちゃくちゃ忙しかったです!」
「それは大変だ」
「でも悠也さんがいっぱいラス引かせてくれたから売上は良かったです」
「俺のせいなの?」
「たぶんそうです」
沙月はケラケラ笑った。
そこへ店長の佐藤がやってくる。
「悠也さん」
「ん?」
「沙月ちゃん誘惑しないでくださいね?」
「またそれ?」
「店の看板娘なんで」
「本人の前で言うなよ」
「聞こえてますけど?」
沙月が頬を膨らませる。
佐藤は笑った。
「いやでも心配なんですよ。悠也さん顔いいし」
「急に失礼だな」
「褒めてるんですって」
「もっと褒め方あるだろ」
「イケメンは信用ならないんで」
「偏見がすごいな」
三人で笑った。
こういうやり取りは日常だった。
⸻
午後十時。
悠也は店を出た。
駅へ向かって歩いていると、少し先に見覚えのある後ろ姿があった。
沙月だった。
だが、その周りには男が三人いる。
「だからさー、ちょっとだけでいいって」
「飲み行こうよ」
「絶対楽しいから」
沙月は困ったように笑っていた。
だが目は笑っていない。
「本当に帰るんで……」
「そんなこと言わずにさ」
男たちは道を塞いでいた。
悠也は足を止める。
面倒事は好きじゃない。
知らない人なら、そのまま通り過ぎていたかもしれない。
でも。
相手が沙月なら話は別だった。
悠也はため息をついて歩き出した。
「沙月ちゃん」
沙月が振り返る。
その瞬間。
ぱっと表情が明るくなった。
「悠也さん!」
助かった。
そんな顔だった。
悠也は自然に笑う。
「待たせた?」
一瞬だけ沙月の目が丸くなる。
すぐに意味を理解した。
「あ、ううん! 大丈夫!」
男たちが怪訝そうな顔をする。
「誰?」
「知り合いですよ」
悠也は穏やかに答えた。
「帰るところだったんで」
男たちは顔を見合わせる。
悠也は特別威圧しているわけではない。
だが落ち着いていて絡みにくかった。
「……じゃあいいや」
男たちは去っていった。
「助かりました……」
沙月がほっと息を吐く。
「大丈夫だった?」
「正直ちょっと怖かったです」
「だろうな」
二人は歩き出した。
しかし数分後。
悠也が後ろを見る。
「まだいるな」
「え?」
沙月も振り返る。
少し離れた場所を男たちが歩いていた。
「うわ……本当だ」
「気になるな」
「どうしましょう」
悠也は少し考えた。
「飯食う?」
「え?」
「知り合いの店が近い」
沙月は少し考えてから頷いた。
「行きます!」
⸻
居酒屋『健』。
暖簾をくぐる。
「おっ、悠也じゃねえか」
カウンターの向こうから大柄な男が声を上げた。
幼馴染の健二だった。
そして悠也の隣を見る。
数秒沈黙。
「……へえ」
「その顔やめろ」
「女連れてくる日が来るとはな」
「違う」
「はいはい」
「話聞け」
健二はニヤニヤしている。
沙月が吹き出した。
「面白い人ですね」
「昔からこんなん」
「悠也が真面目すぎるだけだろ」
「それはあるかも」
沙月まで頷く。
「なんでそっち側なんだよ」
「だって真面目ですもん」
「普通だと思うけど」
「いや、かなり真面目です」
「全会一致だな」
悠也は諦めた。
⸻
料理が運ばれてくる。
「いただきます!」
沙月は一口食べるなり目を輝かせた。
「おいしい!」
「だろ?」
健二が得意げに胸を張る。
「なんで健二がドヤ顔なんだ」
「店主だからな」
「それはそうか」
三人で笑った。
話はどんどん盛り上がる。
大学時代の話。
麻雀の話。
投資の話。
「そういえば悠也さんって昼間何してるんですか?」
「投資」
「やっぱり!」
「やっぱり?」
「なんかそんな感じする」
「どんな感じだよ」
「優雅そう」
「毎朝六時には起きてるけど?」
「思ったよりちゃんとしてる……」
沙月が真顔になる。
悠也は思わず吹き出した。
「あ、ごめん」
「何が?」
「今タメ口だった」
「別にいいだろ」
「そう?」
「店じゃないしな」
沙月は少しだけ嬉しそうに笑った。
それからは敬語とタメ口が自然に混ざるようになった。
⸻
気付けば一時間以上経っていた。
駅までの帰り道。
「今日は本当にありがとう」
「無事で良かったよ」
少し沈黙。
だが気まずくはない。
「悠也さんってさ」
「ん?」
「思ったより面白いよね」
「それ褒めてる?」
「褒めてる褒めてる」
「思ったよりは余計だな」
沙月が笑う。
悠也もつられて笑った。
ホームに電車が入ってくる。
沙月が乗り込む。
ドアが閉まる直前。
「今度はちゃんと二人でご飯行こうね!」
悠也は少し考えた。
「また健二の店でいいのか?」
沙月が吹き出す。
「そこしか知らないの?」
「だいたいあそこだからな」
「じゃあ健二さんの店でいいよ」
「いいのか?」
「うん。美味しかったし」
「それなら健二も喜ぶな」
「私もまた食べたいし」
電車の発車ベルが鳴る。
沙月は乗り込んでから振り返った。
「じゃあまたね、悠也さん」
「またな」
そこで悠也がふと首を傾げる。
「そういえば」
「ん?」
「途中から敬語なくなってなかった?」
沙月が固まった。
数秒後。
顔が真っ赤になる。
「あ」
「今気付いたのか」
「だ、だって話しやすかったから!」
「別にいいけど」
「なら良かった!」
ドアが閉まる。
「じゃあまた!」
「またな」
電車が動き出した。
窓越しに手を振る沙月。
悠也も軽く手を振り返した。
電車が見えなくなるまで見送りながら、悠也は少し笑う。
――店の外でもそのまんまだな。
そして沙月は思う。
――悠也さん、思ったよりずっと一緒にいて楽しい。
まだ恋ではない。
けれど。
確かに何かが始まった夜だった。
――第一話 終わり。




