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第二話『安心』

 診断施設を出る頃には、外はすっかり暗くなっていた。

 白い街灯が、静かに道路を照らしている。

 整いすぎた夜だった。

 送迎車の窓から、街をぼんやり眺める。

 騒ぐ若者もいない。

 酔って路上に座り込む人間もいない。

 信号待ちの列は綺麗に整い、誰も無駄な動きをしなかった。


 赤信号で車が止まる。

 ふと、道路脇の建物が目に入った。

 潰れたパチンコ屋だった。

 色褪せた看板だけが、暗闇に浮いている。

 子どもの頃、父に一度だけ連れて行かれたことがあった。

 うるさい音。

 煙草の匂い。

 ハンドルを握る大人たちの、妙に真剣な顔。

 今はもう、ほとんどが閉店している。

 AI導入後、ギャンブル依存症は大幅に減少した。

 以前、ニュースでそんなことを言っていた。

 この国から、“運に期待する人間”はいなくなった。


「……素晴らしい結果でしたね」

 運転席の男が、バックミラー越しに優李を見る。

「ご両親も、さぞ安心されるでしょう」

 優李は、返事をしなかった。


 家に着く。

 玄関の灯りがついていた。

 扉を開けた瞬間、懐かしい匂いがした。

 自分の好きなハンバーグだった。

「優李!」

 母が、珍しく大きな声を出した。

「おかえり。ご飯できてるよ」

 リビングには、父がいた。

 テーブルの上には角瓶。

 テレビを見ながら、グラスを揺らしている。

『本日の18歳適性診断において、極めて高い適性数値を示した被験者が——』

 ニュースだった。

「いやぁ……」

 父が笑う。

 父の頬は、少し赤かった。

「すごかったな」

 父はグラスを持ち上げる。

 氷が、小さく鳴った。

 そして、角瓶のハイボールを一気に飲み干す。

「安心した」

 その言葉だけが、耳に残った。

 優李は席につく。

 テーブルには、大きなハンバーグと、少し豪華なサラダが並んでいた。

 たぶん、今日のためだ。

「これから忙しくなるかもな」

 父は嬉しそうに続ける。

「研究者もいいし、官僚も安定してる。医者だって——」

「ねえ」

 気づけば、口が動いていた。

「安心って、何」

 母の箸が止まる。

「俺の人生って、そんなに不安だった?」

 父が、少しだけ眉を寄せる。

「……何言ってるんだ」

「なんで、今さら安心できるんだよ」

 空気が静かに冷えていく。

「お前の将来が決まったからだろ」

「決めなかったの、そっちじゃん」

 父の頬は、少し赤かった。

 父は、何も言わなかった。

 氷の鳴る音だけが、やけに大きく聞こえた。

 母が、小さく息を吐く。

「優李……」

 優李は立ち上がった。

「ごちそうさま」

「待て」

 父の声が飛ぶ。

 でも、振り返らなかった。

 

 二階へ上がる途中、父の部屋の扉が少し開いているのが見えた。

 本は、本棚に収まりきらず、床に無造作に積み上がっていた。

 『30代からの資産形成』

 『行動できる人間になる習慣』

 『AI時代を生き抜く思考法』

 どの本にも、途中のページにしおりが挟まったままだった。

 壁には、弦の切れたギター。

 床には、ほとんど使われていない登山靴。

 父は、人生で一度も大きな失敗をしていない。

 その代わり。

 大きく何かを選んだことも、たぶんなかった。


 スマホが震える。

 画面に表示された通知。

【ガールフレンド】

 適合率 92%

『診断、お疲れさま』

 数秒後。

『きっと、良い人生になるよ』

 優李は、画面を見つめる。

 その言葉が。

 彼女自身のものなのか。

 AIが選んだ“最適な返答”なのか。

 もう、分からなかった。

 返信はしなかった。


 窓の外には、静かな街が広がっている。

 正しく整えられた街。

 この国は、確かに良くなった。

 少子化も改善した。

 離婚率も下がった。

 将来に悩む人間も、昔より少ない。

 それでも。

 どこか、息がしづらかった。


(第二話『安心』 終)

第二話『安心』を読んでいただき、ありがとうございます。

今の自分自身と照らし合わせて少し息苦しい話を書きたくなりました。

次回から、天音真理亜という存在が少しずつ物語に入ってきます。

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