第一話『未確定』
西暦2030年、日本。
国家AI「ミコト」によって、すべての人間の人生は5歳で決められるようになった。
職業も、成功確率も——そして未来も。
誰もがそれを“正しい選択”だと信じていた。
ただ一人を除いて。
榊原優李、18歳。
彼だけが、診断を受けていない“未確定の人間”だった。
社会から取り残された彼は、特例として診断を受けることになる。
その結果は、あまりにも完璧だった。
成功率はすべて90%以上。
だが——幸福度は、すべて低かった。
「正しい人生」しか選べない世界で、
そこに“自分”は存在できるのか。
最適化された未来の中で、
たった一人、選ばなかった人間の物語。
春なのに、風が冷たかった。
高校の正門には、見慣れない白い車が停まっている。
ドアには青い文字で「適性管理局」と書かれていた。
ああ、来たんだな、と榊原優李は思った。
視線を逸らそうとしたが、できなかった。
車の横に立つ職員と、目が合ったからだ。
表情は、読み取れなかった。
教室に入ると、空気が少しだけ重かった。
誰も何も言わない。
でも全員が知っている。
——今日、俺が診断を受ける。
十八歳で。
本来なら、十三年前に終わっているはずのことを。
「なあ、マジでやんの?」
後ろの席の田中が、小声で聞いてきた。
「やるしかないだろ」
「でもさ……怖くね?」
怖いか、と聞かれて、少し考える。
怖い、とは違う気がした。
ただ、何かが終わる気がしていた。
授業は頭に入らなかった。
教師の進藤も、どこかよそよそしい。
黒板の文字が、妙に整って見える。
決められた形の中でしか、書かれていないみたいだった。
昼休み。
スマホを開くと、ニュースが流れていた。
「本日、未診断者への特例措置として、18歳診断が実施されます」
アナウンサーは、いつもと変わらない声で続ける。
「政府は、社会の公平性を保つため——」
そのまま別の話題に切り替わる。
国家AI「ミコト」。
5歳で人生を決める制度。
成功確率、99.7%。
全国民の98%が、それを選んだ。
正しい未来のために。
——いや。
自分たちの人生を、やり直すために。
画面を閉じる。
公平、か。
放課後。
白い車のドアが開いた。
「榊原優李さんですね」
名乗らなくても、わかっている顔だった。
「こちらへ」
従うしかない。
逃げる理由も、力もなかった。
車内は静かだった。
窓の外で、街が流れていく。
信号を待つ人たち。
笑っている学生。
電話をしている会社員。
みんな、もう決まっている人間だ。
自分だけが、まだ決まっていない。
「緊張していますか」
運転席の男が、ミラー越しに聞いた。
「別に」
「珍しいですね。皆さん、もっと不安がります」
「もう遅いんで」
男は少しだけ黙った。
「……そうですね」
施設は、思っていたよりも普通だった。
白い壁、ガラスの扉、整った受付。
どこにでもある病院みたいだ。
ただ一つ違うのは、誰も笑っていないことだった。
「こちらへどうぞ」
案内された部屋は、小さかった。
中央に椅子と、頭部を固定する機械。
天井には、円形の装置がある。
「国家AI『ミコト』による適性診断を行います」
淡々とした説明。
「所要時間は約三分です」
三分で、人生が決まる。
「質問はありますか」
少しだけ考える。
聞きたいことは、たくさんあるはずなのに。
何も浮かばなかった。
「……ないです」
椅子に座る。
冷たい金属が、頭に触れる。
その瞬間、不意に思い出した。
あの日の、夜のこと。
リビングの電気はついていたのに、誰もテレビを見ていなかった。
テーブルの上には、資料が広がっていた。
「どれも、いいと思うのよ」
母が言った。
「でも……決めきれないな」
父が笑った。
いつもの、逃げるときの笑い方だった。
「もう少し、考えようか」
「そうね、まだ5歳だし」
その“もう少し”は、来なかった。
気づいたときには、期限を過ぎていた。
誰も、決めなかった。
——決められなかった。
「リラックスしてください」
声に引き戻される。
無理だろ、と思った。
装置が、低い音を立てる。
光が、ゆっくりと降りてくる。
目を閉じると、暗闇が広がった。
父の部屋。
途中まで読まれた本。
弦の切れたギター。
使われていない登山靴。
「いつかやる」と言っていたものたち。
その“ちゃんとした道”が、今から決まる。
機械の音が、わずかに変わった。
何かが、引っかかるような音。
「……おかしいな」
誰かが小さくつぶやいた。
目を開ける。
部屋の外が、ざわついている。
ガラス越しに、職員たちが集まっているのが見えた。
「どうかしましたか」
声が、少しだけ震えていた。
返事はすぐには来なかった。
代わりに、画面が点灯する。
白い背景に、黒い文字。
そこに表示されたのは、見たことのない結果だった。
成功率。
医師 96%
官僚 94%
研究者 95%
そして、その下。
幸福度。
医師 28%
官僚 35%
研究者 40%
数字を見た瞬間、何も感じなかった。
ただ、静かだった。
「……すごい数値だ」
誰かが言う。
「ほぼ完璧だ」
完璧。
その言葉が、やけに遠く聞こえた。
「おめでとうございます」
職員が、笑顔を作った。
作られた笑顔だった。
優李は、画面から目を離さなかった。
どこを見ても、“正解”しかない。
なのに。
そのどこにも、“自分”がいなかった。
その瞬間。
すべてが決まった。
——そして同時に。
もう、どこにも行けないとも思った。
(第一話 終)




