第72話:影の捕食者との激闘
帝都の北、静寂を通り越して死の気配が漂う『嘆きの森』。その最深部で、大翔たちは文字通りの「実体のない恐怖」と対峙していた。
霧の中から這い出したのは、三メートルを超える影の塊。それは不定形の粘液のように蠢きながら、周囲の光さえも吸い込んでいる。
「⋯。あれが、ユフィの言っていた『口』か。⋯。気味が悪いなんてもんじゃないな」
大翔は腰の袋から、予備の「木の枝」に手を伸ばそうとした。だが、異形はそれを許さない。影の一部が鋭利な槍へと変化し、大翔の喉元へ音速で突き出された。
「――しまっ!?」
あまりの初動の速さに、武器を取り出す暇がない。大翔は咄嗟に身を翻したが、追撃の触手が死角から迫る。逃げ場を失った極限状態。大翔は無意識に、地面を掴んだ手に触れた「小石」を、敵の単眼に向けて渾身の力で投げつけた。
(――パシッ)
しかし、放たれたのは何の変哲もない石だ。スキル『木の枝(必中)』の加護を持たないそれは、影の表面を僅かに波立たせただけで、虚しく地面へ転がった。
「⋯。ダメだ、小石じゃスキルが乗らない⋯! ⋯。当てることすらできないのか!」
「⋯。マリアさん、ユフィ、下がって! ⋯。こいつ、物理攻撃を無効化するだけじゃなくて、こっちの間合いを完全に潰しに来てる!」
大翔は焦燥に駆られ、後退しながらようやく「木の枝」を手に取る。だが、敵は実体を持たず、核の場所すら掴めない。マリアの聖騎士としての斬撃さえも、霧を裂くように虚空を通り過ぎるだけだった。
絶体絶命の混迷。その背後で、一本の枯れ木に背を預けた誠十郎が、あくびを噛み殺しながら口を開いた。その声は低く、だが戦場の喧騒を裂いて大翔の鼓膜に直接突き刺さる。
「⋯。大翔。⋯。お前は何を見ている。⋯。その目は、ただの肉の塊を追うためのものか」
誠十郎は視線すら向けない。ただ、己の刀の柄に指を添えているだけだ。
「⋯。目に見える『形』を信じるな。⋯。風の乱れ、森の拒絶、そして敵の『欲』を見ろ。⋯。影が影であるための芯は、必ずそこに在る。⋯。迷っている暇などないぞ。敵はお前の迷いを喰らって太る」
その一言が、大翔の視界をクリアにした。焦りで乱れていた気が静まり、影の蠢きの中に、一箇所だけ魔力が滞留し、拍動を繰り返す「淀み」が見えた。
「⋯。見えた。⋯。あそこだ!」
同時、ユフィが誠十郎の意図を汲み取り、新魔法『白銀の氷華』を展開する。空間ごと影を凍てつかせ、流動性を奪う。
「⋯。今だ、大翔!」
「⋯。助かった、ユフィ! ――【木の枝(必中)】!」
大翔が解き放った枝は、物理的な弾道を無視し、凍りついた影の「核」を一点突破で撃ち抜いた。
(――キシャァァァァァッ!!)
断末魔と共に霧散する怪物。後に残されたのは、不気味な脈動を続ける漆黒の結晶だけだった。誠十郎はゆっくりと歩み寄り、大翔の肩を軽く叩いた。
「⋯。ふん。⋯。ようやく剣の理の端っこに指が掛かった程度だな。⋯。だが、あの状況で枝を掴んだ根性だけは褒めてやる」
「⋯。誠十郎さん⋯。⋯。ありがとうございます」
大きな安堵とともに自分の成長を確信するのであった。




