第67話:湯煙の刺客。師を護る盾と、深淵の断罪
隠れ里の夜は、静まり返っていた。
誠十郎は、ユフィの煎じた強力な安眠効果のある薬の影響で、深い眠りについている。左肩の腐食を抑えるため、今はその意識を内功の充填に割く必要があった。
(――チッ)
深夜、宿の屋根を叩く微かな音。それは雨音ではなく、熟練した暗殺者の足音だった。
教団の残党。誠十郎に拠点を壊滅させられた彼らは、執念深くその足取りを追い、師匠の「衰え」を敏感に察知していた。
「⋯⋯ネズミが入り込んだようですね。先輩、準備はいいですか?」
離れの廊下。カスミが闇に溶けるような仕草で、指先に符を挟む。彼女の感知能力は、寝静まった宿の中に混じった不純な殺気を、正確に捉えていた。
【開戦:静寂を切り裂く一閃】
「⋯ああ。誠十郎さんを起こすわけにはいかないからな。ここで仕留める」
大翔は、腰の『比翼』を音もなく抜いた。
その瞬間、天井から数人の黒装束が、麻痺毒を塗った投剣と共に降り注ぐ。
(――キィィィィンッ!)
「誠十郎様のお休みを妨げる不届き者⋯。その罪、万死に値しますわ」
闇の中から現れたのは、夜の帳を纏ったようなマリアだった。彼女は武器を振るうことさえせず、ただ最小限の動きで投剣のすべてを回避し、素手で暗殺者の喉元を突く。
その動きは、かつての猪突猛進なものではない。誠十郎の「連理の呼吸」を、彼女なりに咀嚼した静かなる武。
「グッ⋯ガハッ!?」
暗殺者が崩れ落ちる。マリアの瞳には、普段の慈愛に満ちた輝きはなく、ただ冷徹な守護者の意志が宿っていた。
【必中:闇を穿つ「枝」】
「逃がさないよ! ――『光の檻』!」
ユフィが短く呪文を唱え、中庭へ逃れようとした敵の足を光の鎖で縛り上げる。
だが、敵の指揮官らしき男が、懐から不気味な魔導具を取り出した。空間を歪め、強制的に転移脱出しようとする禁忌の術式だ。
「⋯。させるか」
大翔は、足元に落ちていた「折れた箸」を拾い上げた。
意識を集中する。誠十郎に教わった、理の隙間を見極める感覚。
「【木の枝(必中)】」
放たれた箸は、歪み始めた空間の「核」を正確に貫いた。
(――パリンッ!)
ガラスが割れるような音と共に術式が霧散し、指揮官の男が地面に転がる。そこへ、カスミの重力符が容赦なく叩きつけられた。
【エピローグ:夜明けの報告】
翌朝。誠十郎が目を覚ました時、宿の周囲は何事もなかったかのように整えられていた。
ただ、中庭に一本の箸が深く突き刺さっているのを、彼は見逃さなかった。
「騒々しい夜だったな」
「あら、誠十郎様。よくお休みになれましたか? 今朝は、昨夜の猪肉をじっくり煮込んだ特製のスープをご用意しておりますわ」
マリアが、何事もなかったかのように落ち着いた笑みを浮かべて現れる。その指先には、微かに火薬と血の匂いが残っていたが、彼女はそれを大人の余裕で隠し通した。
「⋯ふん。⋯大翔。箸の投げ方がまだ甘い。重心が僅かに右に寄っていたぞ」
「⋯っ! ⋯。見てたんですか。⋯。すみません、次は気をつけます」
誠十郎は、呆れたように、それでいて満足げに鼻を鳴らした。
自分がいなくとも、この芽吹き始めた若木たちは、既に嵐を凌ぐだけの根を張っている。
(第67話・完)




