51 ブランの回想
スプラード公爵家にある、2階の部屋。
香りのよい希少な白木をこれでもかとふんだんに用いたおかげで、日中は暗さを感じない部屋。3人は眠れそうなふかふかベッドの宙に、プランターから丸ごと取り出したような、小ぶりな土付きの植物がぷかりと浮いていた。初夏の元気を持て余した緑黄の葉を茂らす植物の放射状に絡まる枝枝の先端には、生まれたばかりの蕾。それらはたちまち大きく膨らみ、黄や青の花をぽっぽを咲かせていく。
【土魔法】で生み出した腐葉土に【植物魔法】で植え付けた種が、180秒という時間で芽を出し枝を広げ、ついに花ひらいた瞬間だ。宙に浮かせた隣に、【土魔法】で直径20センチほどの大礫を創り出す。大礫はいつでも球体だ。鋭さをもたせた【水魔法】の水流で、内側をくりぬいていく。あたりにとんだ水しぶきは、拡散して部屋が汚すまえに、【音響魔法】の震動によって、窓から霧状に拡散させる。
出来上がった石製鉢に土つき植物をセットすれば、女の子ルームの窓辺にお似合いな可愛らしい”ブーケ鉢植え”の完成。ベッドでまどろむブランチェスは、なかば無意識に、11個目となるそれをベッド下に転がした。
「……キミ、悪い顔をしてるわよ」
つい三日前に言った言葉を、物思いのうちにつぶやいてみる。
迷いの森で、サムロスの連れたレリアたちと合流し、パーティ攻略を決めたときだ。
「2時間ってところかな。バサネス姉さんとやらが、あきらめて帰るまでの辛抱だ」
「ネイサンだ。グルーム三男」
ルミナスと女性騎士ストライト=シンプレッドのやり取りに、ブランチェスには、暢気すぎると思えた。
「バカなのテルアキ。ストライトも。向こうは上級貴族よ。ハイそうですかって素直に帰るはずがないわよ。わざわざ訊ねてきてやったのにいないとは何事だって、怒るに決まってるわ」
「アホだろ。留守を確かめないで、いないほうが悪いってか。逆切れっていうんだ」
案の定の考えなしに、ため息をはく。
「はあ。それが権力者というものなの。キミの執事は時間を稼ぐんじゃなく、キミを呼びもどすべきだったわね」
執事も苦渋の判断だったのだろう。遅かれ早かれ難題はもちあがる。ならばと、時間稼ぎを計ったのかもしれない。
「んじゃどうする? すぐに戻るか。おそらく今度の攻略は速く終わるし。イージーだし、急げは1時間くらい。とみてるんだけど」
透き通った声のトーンをさらにあげた。
「キミの予想にすぎないのよね? 当たったとしてもそれじゃ遅いのよ。上級貴族は待たされることが大嫌い。ただではすまないわ。ネイサンが来ているのであればなおさらよ」
「そんなに、ヤバい奴なのか? バサネス姉さん」
「ネイサンよ! あー話が進まないじゃない!」
「ごめん。ブランのお株を奪って」
「謝るとこ、そこかー!!!」
ケンカしてるの? と、テルアキの姉と弟が心配そうにやってきた。二人は、わりと開けた空間をきょろきょろしていた。サムロスほどの奔放さは、今のところみあたらない。ブランチェスが手を振って否定。弟の手をひいて走り出したので、傍にいるよう、釘をさしておく。
「ネイサンは、いつも退屈を抱えてる好奇心の強い人だわね。兄と仲がいいから、その伝手でテルアキに興味をもった……のだと想像するわ」
ヤバいヤツと言われれば、やや傲慢な性格を除いて、たいしたヤバさはない。ただし、事が大きくなる傾向が高かった。上級下級問わず女性に人気がるせいで、何かと注目を集めやすい体質。彼が興味むき出しで動けば、それはすぐ周知の事実となり、関係者の腰をあげさせる効果を生むのだ。
「いるよな。そういうヒマな人間はどこにでも。それが?」
こちらを見上げるシルバーヘアの5歳児に、指を突きつけた。
「問題は、この興味の対象がキミのグルーム家だってことよ。ガモルク侯爵家が動くわね。間違いない」
「ガモルク侯爵家? 聞いたことない。つーか貴族なんかほとんど知らん」
「聞いたことないですって! キミねぇ……」
「おお! 胸張って断言できるな!」
飽きれる心が、倍々増しどころではなく、これ以上ないくらい最高潮に飽き返る。貴族の知識は、重要なことであり、世の常識といってもいい。なぜこの子が知らないのか。知恵が回りそれを鼻にかけないだけの器量があるのに、当たり前の知識が足りない。”親の顔がみたい”とはこうときに使うのかと、妙な得心を覚えた。
「ガモルク侯爵家はね。グルーム家をおとしめることを家訓にしてる家よ」
「おとしめるのを家訓? なんつー迷惑な」
「他家がグルームへ赴くと知って機会を逃す人たちじゃない。必ず便乗してちょっかいをかけてくるわ。とくにウィゲリーリは要注意。家訓が鎧を着たみたいな娘ね」
「家訓鎧……でもちょっかいなんだろ? やり過ごせばいいよ。こっちが戻らなきゃ、焦れてそのうち帰るだろ」
「ネイサンだけならね。ガモルクは粘る。それで、待たせたことを怒って、仕打ちがひどくなる。賭けてもいいわね」
「仕打ちかぁ。水バケツもたせて廊下に立たせるとか、校庭10周走らせるとか、か?」
「全員を始末して家を燃やすとか……ね」
「それ、犯罪だろう。俺は無垢な5歳児なんだぞ」
「これまでで一番面白い冗談だわ」
つい普通に話をしてるが、テルアキは、5歳の男児なのだ。そこでチョウチョを追っかけてはしゃいでる姉のふるまいのほうが年相応なのに、幼く映ってしまう。
テルアキは、左手でおとがい、右手の指は何かを書くように空を彷徨わせてる。
「なぁ。ネイサンって」
「言った通りよ。ネイサンはまともなほう。好奇心旺盛な青年ってところ? ウィゲリーリ=ガモルクよ」
「そいつの嫌いなものは? なんだっけ、ゲゲルーラ?」
「どんな耳してるのよ。本人に言ったら無礼打ちに確実だからね!」
「わかったわかった。んで?」
全然解ってない風に、手を忙しく動かす。何をやっているかまではわからないが、スキルに関することだとは想像がつく。15歳のウィゲリーリとの接点はほとんどない。何度かパーティで顔を合わせたくらいだ。嫌いなものと言われて思いつくことは少ないが、人づてに聞いたことと、念を押して、好悪を伝える。
「あとブライドは高いほうかもね。キミ、あおりすぎると冗談抜きで処刑されるわよ。公的に試練の塔に放りこまれたり……どうするつもりか知らないけど」
「うーん。ちょっちだけねじ伏せたいと考えてるかな」
指摘したブランチェスを見上げるテルアキ。その澄んだ瞳とは裏腹に、奥には黒い物が潜んでる気がした。
「……キミ悪い顔してるわ」
「なにか言いましたか。ブランチェス様」
部屋で細剣をビュンと振る女性騎士が、どうでもよさそうに聞いてきた。
「別に何も、言ってないわよ」
「そうですか」と、広いとはいえない室内で細剣の鍛錬に戻る。踏み込みは【浮遊付与】で無音なのだが、剣が風を斬るビュンビュンと音は消せない。気に病みはじめたら、やたらと煩くなった。
「……間違っても、私だけは斬らないようにしなさい。それと壁や家具を傷つけたら」
円状に舞うしなやかな剣さばき。初見だが、最近流行りの宇宙を模した動作らしい。”スキルオーブ”で手に入れて、こちらも初めての浮遊術。一歩間違えば、認証沙汰直行の、危険極まりない訓練。護衛対象の間近でやるべきことではない。ほかの家族、いや、侍女であっても、すがって止めさせたであろう。
「一ミリたりとも傷などつけません。そういうからには、鍛錬のほうは了承していただけたということで、よろしいのですね」
「してないわよ。非常識ぶりに根負けしただけ。何度注意しても、護衛対象の部屋で剣をふりまわすの止めない図太い神経に拍手だわね。指先で止められる私だから許すのよ」
「おほめいただき感謝に絶えません」
「いい性格してるわよね。そうだストライト、あなた用事があるのなら、無理にへばりついてなくていいのよ。お父様の言いつけなんか聞き流してみないこと? お出かけするのもあいいわね。天気も悪くないことだし。うん。それがいいわ。一緒にいれば、言いつけを背いたことにならないしね。……なによその目」
ジトっと見つめる護衛騎士。床に足はつけたが、剣技の修練は停めてない。表情を消した顔だけで一定方向をロックオンは、いささか気味が悪い。
「……そうやって、迷いのダンジョンに潜った結果、大小以外で、お嬢様の部屋から出ることを禁じられたのです。御主人さまは烈火のごときお怒りに、尿漏れが発生したことは生涯のトラウマ。思い出すだけで漏れそうです。どうしてくれますか」
「さっさといけばいいでしょう。大人しくしているわよ」
「窓に手をかけながら言われても。どう見ても脱走準備ですね」
「私は、テルアキの顔が見れなくなって淋しいわ」
「そこは、同意します。あの子供らしくない悪い顔は、クセになりますから」
ストライト=シンプレッドがうそぶいた。クセになる。その通りだ。そして、あの確信めいた行動力が人をひきつける。いつのまにか頼りにしたくなるヤツなのだ。あの日から三日が経ち、レブン・シタデルは、急激に騒がしくなってきてる。
ベクブラーム家が借金を取り立てて回ってる。相手はバサネス家および親族、さらに肩入れする貴族に限定してる。取り立ては派手で、朝5時から数人でドアを叩いて、金返せと御騒ぐそうだ。ベクブラーム伯爵家は商人貴族と揶揄される豪商で、貴族街には宝石から武器防具、市井には下着や衣服、食品に玩具など、レブンのあらゆる取引に抜けめなく通じるところは、貴族だか商人だか線引きが難しい。ローランの生家は娘に甘いらしい。
ローラン本人も人数を集めて、ガモルク家の表で、あることないこと、連呼してる。
直径1キロの世界は大人しく住むには広いが、騒動には狭いらしい。2つの勢力が発火剤となった騒動はレブン全土に、広がりつつある。
どどどど、と、ノックというより討ち入りの連打とともに、部屋に少年が突撃してきた。
「ブラン。街が大変なことになっておるぞ。お前お気に入りの子倅を連れ去ったガモルクに、グルームがまさかの騒動、いや氾濫を決起しよった」
3つ上の15歳の兄は、ときどき、もって回った言い回しをする。丸顔の童顔で幼さが残る顔立ち。しかも髪の色はピンクがかった黒。似合わないにもほどがあるのだが。スプラード当主を継ぐ嫡男ということで、言葉だけでも、風格を醸し出したい年ごろらしい。
「氾濫ではなくてデモ行進。たいしたことではなくってよ、リーデンタット兄様」
”デモ行進”とテルアキは言っていた。主張を通す紳士的な抗議だとも。
「”でもこうしん”? どう氾濫と違うのだ? 上級貴族への敵対行動であろうが」
「完全非武装。武器を携行しない抗議活動のことらしいですわ。その証拠に、口で騒いでいるだけで、破壊活動はしないのではなくて? ガモルク侯爵家も鎮圧に手を焼いていることでしょう。剣や槍に語らせて血を流せば、市民の反発を買うでしょうし。ストライト、外を見てきてくれない?」
「私がですか?」
「察しが悪いわね。お兄様にお話があるから人払いがしたいの。出ていけと言われるほうがよかった?」
「密着護衛の最中にお嬢様の元を離れろとおっしゃる? 点数稼ぎにご主人さまにご報告してきます。ご機嫌がよくなれば、へばりつき地獄から解き放たれるかもしれませんし。いや。そうするとお嬢様の拘束が延びて、密着期間が終わらない? ジレンマです!」
「ズケズケ言うようになったわね。土魔法で固めて、その口、【万能鋏】でちょん切ってやろうかしら」
「その前に【速度 強化・弱化】で逃げてごらんにいれましょう。また、ブラン様を【浮遊付与】で遊泳させるのも一興」
ブランが両腕を交差されせば、剣を収めた護衛が体を浮かせる。
「お主ら、妙に活き活きしているな。そいうのがスキル使いのケンカなのだな。今年の試練の日は明日だが……俺も参加したくなったぞ。ドッグタグを準備させよう」
スキルに興味の薄かった嫡男が、二人のやり取りをどう解釈したのか、アリストダンジョンでのマスター選手権に挑むといい出した。




