22 ざわつく廃坑
迷いの森。かつて、何らかの資源を発掘していた今は寂れた入口だけの坑道が境界の目印。
先には100メートル四方の森がたたずむ。獣や果実、山菜やキノコ、薬草など、ほどよく獲得できるので、狩りや採取と生業とする者も少数ながら存在する。
迷い森と呼ばれる理由は、分かりすぎるくらいの遊歩道から外れてしまうと、あった路が消えてしまう点にあった。入った者には、面倒な仕掛けが待ち伏せ、魔物が襲ってくる。
踏み込んだ者を逃がさないダンジョン化してしまうのだ。
ダンジョンには、シタデルマスターの息がかかっていると言われる。大人には、わりと寛容らしく、いつの間にか脱出できてることが多い。いっぽうで、迷い込んだ子供が出られた例は聞かない。
グルーム家の子供2人が、そこに迷いこんだらしい。急ぎ、捜索隊を編成しなければ、ならない。助かった例がないとはいえ可能性はないこともない。誰しもがそう思いたかった。
演習のさなかであり、大勢での捜索は不可能。セバサは、自身とチネッタ、アラモスと嫡男サムロス、それと、廃坑での狩りを生業とする狩人の親子ギーネとグーネを選出。最低限限度の少数で、ひっそり抜け出すことになった。
このとき、ローランを、執事セバサが叱咤する珍事がおこった。「私もいきます。母親として!」頑として譲らない奥方に「国事である演習を男爵婦人が出席してないと上級貴族に知れたらどう言い逃れるおつもりか」と、正したのだ。不承不承、奥方は下がった。
「時間をとりました。急がないと、ルミナスさま達が心配です」
「マルスもだ。あいつ、貴族のくせに俺らと遊んでくれるし」
「マルス坊ちゃんと呼ばんかサムロス。セバサさまらの前だで」
迷いの森はすぐ近く、公園にほぼ隣接する位置にある。だが、直結する道はあいにく待機する騎士たちで塞がれており、いつもの迷路のような小路を往くしかなかった。
逸る気持ちを抑え、見つからずに公園から抜け出した一行は、慣れた足で、転げるように激走する。ツタ絡まる木々、レンガ・石積み・ブロックで仕上げられた敷地の壁、壁、壁。設計された路ではなく、敷地の合間がたまたま路として機能してる風な路を走った。
森の象徴となってる廃坑口に到着すると、騒いでいる先客がいた。
「すげーかわいい上級貴族……の修羅場か」
「しっ! もっと小声でしゃべらんかサムロス!」
「アラモスの大声は親譲りですな。あれはスプラード公爵家の方々です」
数人の護衛騎士たちに見守られ、にぎやかにしてるのは、セバサが顔だけは知る、上級貴族の子息と令嬢。祭りの延長で騒いでいるのだとも思ったが、近づくに連れ、違うとわかってくる。
「帰るぞ! ブランチェス」
「離してください兄さま! テルアキが出てこないの。テルアキ!テルアキ!」
「テルアキ?誰だ」
「迷いの森に舞い込んだ子供のようです」
応えないブランチェスの代りに、森外で監視役を命ぜられていた女性騎士が耳打ちする。
「どうせ捨てられた役立たずだろう。助かる道理はない、悲しむ者もいはしまい」
「テルアキは優秀です。驚くほどの知恵で、わたしを脱出させてくれたのです! 兄さまでも、悪しくいうのは許しません」
「ふん。見苦しいなブランチェス。いかな難事でも取り乱さないのが上級貴族。立て。父上が待ってる」
「父上? あんな女に誑かされ、わたしを森に捨てた父の顔など、みたくありません」
「お前が辞めた庭師にご執心だからだろうが。義母上のこと悪く言うな。家族だろう。それに安心しろ。父上は俺が取りなしてやる。だからいいかげんに……ん?」
やってきたグルーム家一行。ひとり気づいた騎士が、「なに用」と、剣を抜く。
”兄さま”も気づいた。
「き貴様ら! シタデルの演習の観戦を抜け出すとは、どどういうつもりか!!」
恫喝だ。言い分は、なるほど正論。だが、見られたくないものを見られた、の気まずさが隠しきれず、バツの悪さを誤魔化す子供のような騒ぎっぷりとなった。
「いや、居合わしたのは偶然です。リーデンタット=スプラードさま。決して、他意はございません。それはともかく、観戦を抜け出したのは、お互いさまのようで。跪いてのお挨拶は省かせていただきす」
「下級貴族の下男か。下民を連れてぞろぞろと。挨拶などより目ざわりだ。会場へ戻れ」
「ところがそうもいきません。主に言いつけられた御用がありまして。お忘れのようでうが、そもそも迷いの森は我がグルーム家の管理地でして。ふむ。取り乱しておいでのご様子。そこらへん、上級貴族としていかがなものでしょうな」
「しし、下級貴族の下っ端のくせに上級貴族を愚弄するか。お前たちこいつらを排――」
「セバサさま、あそこ! 横たわっているのは、マルスさまでは!?」
排除せよと命ずる言葉は、チネッタに、あっさりかき消された。
「そうだ、マルスだ。おーい、マルス! そんなとこで寝てると風邪ひくぞー」
「なんだか、動けないごようすだが」
スプラード一行の陰になってわからなかったが、子供がうつぶせで倒れていた。衣服は、今朝がたマルスが着ていたものと同じもの。チネッタが用意した、祭りのための衣装に違いなかった。
「御用のひとつ目が、発見できたようです」
命を受けそびれ、どうしたものか迷う騎士たち。その横をセバサは、遠回りながら自然体でゆらりつき進む。チネッタがいそいそと続けば、その後をほかの面子が追いかける。
一番に着いたセバサが、片膝をついてしゃがんだ。
「マルスよぉ。お前のせいでクライマックス観そこなったんだぞ。楽しみにしてたのにな。おい、起きろ、早く広場に戻ろうぜ。戻ったら恒例の食事会だ。おい、マルスったら!」
軽口をたたく、サムロス。だが、アラモスは今回は叱らない。なぜなら、息子からは表情というものが消えていたから。
「マルスさま、こんなに、お怪我だらけに。さぞかし……」
やさしく、手首に触れながら声をかけるセバサ。
ただでも分かりにくい彼の表情が、いっそう、暗く沈んでいく。
「ああ、マルスさま……」
「マルス……お前、森にはいるときは、一緒にっていってただろうが。なんで、なんで」
死んでいるのは、誰の目にも明らかだった。
硬直。とっくに息は切れていたのだろう。わずかな死臭すら漂っていた。
「……急いで屋敷にお連れする。アラモス、ギーネ」
「わ、わかった」
思いもかけない再開に、皆、言葉がみつからない。少し悔しそうな表情で沈黙してるところが、いかにもマルスらしかった。そっと、アラモスとギーネの大人二人に抱えあげられた。うつむくサムロスが着いていく。
「あの子のことを、ご存知なの?」
「スプラードのお嬢様。はい、グルーム男爵家のご次男。マルスさまにござます」
「そう……よかったわ」
ダンジョンで息絶えた者の身体は、やがてダンジョンに飲み込まれる。彼の地での死は、誰にも看取られない孤独な最期なのだ。家族の元に帰ることができたマルスは、まだ幸せだったと断言できる。
「お嬢様が、迷いの森からお連れくださったのですか。ありがとうございます。主に成り代わりお礼を申し上げさせていただきたい」
生き残ることが困難な、足を踏みいれるべきではない森。足かせにしかならない遺体を、危険を顧みず運び出してくれた恩人に、セバサは最敬礼を示す。チネッタたちも頭を下げる。
「お礼なら、どうしてもってきかないテルアキに言って、彼は……彼は」
「そのお方も中に……。祈ることくらいしかできませんが。無事だといいですね」
森のダンジョンから生還した子供は、ほぼいないのだ。
次句に詰まったブランチェスにかける言葉など、あるはずもない。
「死んだに決まってる! 天晴にな。下級貴族の子の死骸と、何よりスプラード公爵家の姫を生還させたのだ。誇って散りったに決まってる。フン。もういいだろうブランチェス。これ以上駄々をこねるな。帰るぞ……おい」
「はっ」
「お前たち、離しなさい! わたしはテルアキを待つの! 離しなさい!!」
いくばくかの恩ができたが、それだけのこと。スプラード公爵家の事情には関わる筋合いはない。セバサは、ブランチェスに一礼するにとどめ、彼女を担ぎあげようとする騎士らから距離をとった。
グルーム家の面々にしても、他所の面倒に首を突っ込んでる場合ではないのだ。
「チネッタ。詮索はしません。ルミナス様がどこにいるか教えてください」
「は、はい。ルミナスさまは……こっちの方向に、えーと、だいたい30メートルです」
「どうですかな、ギーネの娘グーネ。助けだせそうかな」
「助けもなにも……離れすぎてるよ。無理だって感じだな」
どちらのほうが目上か、分からない言い草とともにグーネは肩を落とす。12歳の小さな体にも関わらず、背中に弓、腰にナイフを装備という軽装の狩人スタイルが、よく馴染んでる。セバサは目を細めて、森を見つめた。迷ってるであろう、ルミナスの姿が浮かぶ。
「我々目的は救出です。マルス様がああなった以上、ルミナス様だけでも掬わねば」
「執事さまよぉ。しってっと思うけど、この森はな、道はいっつも違うんだよ。丁寧な刈り取りでもしたように歩ける道が、そんときで違う。ここなら通っていいぞって森が言ってくれる通路があってな、うちらは慎重に、外れないよう、狩りをしてるんだ。いま、道はあそこに開けてる。見えんだろ、南側のあれだ」
拳骨で躾ける大人たちはマルスを連れていって、いない。グーネは子供だが、この場で唯一の森の専門家だ。
「道が変わる件は存じてる。迷わせるのが仕事の森ですからな。とはいえ、奇々怪々であっても森は森。中から、ルミナスさまに近づくことは可能なのでは?」
「わかってねぇな執事さまは。別の道が絡まることを森は、面白く思わねぇ。今の道と、居場所が近けりゃ、森もちょっとは許すかもで、隣から呼びかけたり、希望があったんだが。無茶すりゃ、あれだよ、全員、森に喰われるよ」
「急がないと、間に合わなくなるわ。危険は承知。廃坑にさえ入らなきゃダンジョンに縛られないって。とにかく行かなきゃ、ルミナスさまのいる森へ」
「だからさぁ、チネッタさん。捜索するこっちが遭難しちまうっていっんのよ」
いっぽう、上級貴族たちも騒ぎが継続。終息がみえないどころか修羅場へと突入した。
「ブランチェスさま、抵抗しないで大人しくご同行お願いします」
「離してよ。お前は私の護衛でしょ!」
「グーネ。あの南からでもかまいません。行くだけいきましょう!」
「人の話しを聴けって! あんた成人してんだろ」
「歳は関係ない! もういい! わたしだけでも行く!」
「離してもう…… 【植物】こいつらを絡めとって!」
「ぬぁぁ?」
「地面から蔓が、手足が絡まる」
「スキルか? ブランチェス。お前いつのまに。おわっ」
二つのグループが、それぞれに、行動を起こしたときだった。
ちょうど中間に、突如、光の束が発生した。
「え? なんだ」
「あれは!」
「転移現象ですな。ダンジョンが何かを吐き出したようです。人か物が現れます。魔物の可能性もあるので、気を付けて」
まばゆい光はすぐに終息。後に、子供の姿があった。
兄と、お家に忠誠を誓う騎士とを、しなやかな蔓で縛りつけたブランチェスの目が輝いた。
「テルアキぃー!」
何もかもかなぐり捨てて駆け寄るブランチェスには、「はしたないぞ上級貴族とは」と叫ぶ兄の声など聞こえない。自分の半分ばかりしかない子供。少年というより幼児に、足をもつらせて飛びついた。
「ブラン。あんまり強く抱きしめたら俺のHPがなくなるぞ」
「えっちぴー?」
「いや、一度いってみたかったんだ」
「ばかばか。ぜんぜん、出てこないんだもの、てっきり」
「跳び過ぎて、別エリアにおっこってな。モンスターハウスって、あんなヤバいんだな。今度こそ、お仕舞いかと覚悟きめたわ。まぁ、倒してやったけどな。わっはっは」
ブランチェスの後に、グルーム家一行が駆け寄った。テルアキはぎょっとしたが、みんな、安心を絵にかいたような表情で喜んでることはわかる。女子高生くらいの女性は泣いていた。
「ルミナスさま! ご無事でしたか!!!」
「心配してました! よかった」
「…………ルミナス?…………?…………!…………!!!!!」
テルアキの脳裏に、ルミナスの名に紐づけられた記憶が、蘇ってくる。
この世界に転生して数カ月の記憶。
家族、貴族、屋敷、文字の勉強を。
そしてなにより、今朝のこと。
強引なマルスに引かれて、たたきつけられた、強烈な事実。
シタデルは、空中高く歩く、都市であったということを。
「あばばばば。」
「テルアキぃ!!」
白目をむいて、気絶した。




