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(ええと……あっちかな?)

 付喪神奉行所から出ると、桜麟は目を閉じて霊力を探る。左手の方向から強い霊力を感じる。穢れたような禍々しい気配は、妖魔に堕ちた付喪神特有のものだ。

 そちらへ向かって桜麟は走る。見当をつけた場所へ近づくにつれて、徐々に人の騒ぎが大きくなり、反対方向へ逃げる人間もいた。彼らの間を縫うように急ぐ。

 桜麟が目を奪われた、輝久の静謐な霊力も感じる。戦闘はもう始まっているのだろう。大通りを選んでいたら間に合わないと判断して小道へ飛び込む。

 大通りとは対照的に、長屋や屋敷が並んだ小道は複雑だった。直線的に目指そうとするのに、なかなか思い通りにいかない。そうこうしているうちに輝久の霊力は感じなくなり、妖魔であろう霊力も消えた。

(あー……)

 戦闘は終わったのだろうか。しばらくその場に立ち尽くして様子を窺うも、再開の気配はない。

(間に合わなかった……)

 がっくりと肩を落とす。

 妖魔は倒されてしまったのだろう。自分の力が通用するかはわからなかったが、試してみたいことがあったのだ。それが輝久に認められれば、と希望を持っていた。

「帰ろう……」

 ため息を一つ吐いて桜麟は踵を返し……そこで周囲を見回して愕然とした。

「……ここは何処?」

 見慣れない長屋に屋敷。蔵のようなものも見える。細く入り組んだ通りを夢中で走っていたおかげで帰り道がわからない。立派な迷子である。

 これはまずい、と桜麟は焦る。

 輝久からは屋敷で待機と命じられていたのだ。それに背いて彼を追いかけた。護り手に足る力を見せて許してもらおうと思っていただけに、これではただの命令違反だ。彼よりも先に付喪神奉行所に戻らないと、お払い箱にする口実を一つ増やしてしまう。

「た、たぶん、あっちの方角?」

 自信がないながらもとりあえず足を進める。とりあえず大きな通りに出たい。右へ曲がり左へ曲がり……出た先は小さな川の前だった。

 桜麟はますます途方に暮れた。付喪神奉行所へ行く時に、こんな川があった覚えはない。前か後ろか、もう完全に方角を見失ってしまった。

(誰かに道を聞けば……)

 と、そこで桜麟は息を呑んだ。川から黒い靄に包まれた怪しい何かが登ってくる。ついさっきまでは何の気配もなかった。上流から流されてきたのだろうか。

「よ、妖魔がいるぞ!」

 他の人間もそれに気が付いて騒めき始めた。それは禍々しい気配を放ちながら、ぺたり、ぺたりと幽鬼のように歩いている。その先には腰を抜かしてへたり込んだ子供がいた。

「危ないっ!」

 桜麟は素早く子供の前に立ちはだかった。悪意ある霊力が放たれて、危ういところで結界が間に合う。彼女の首元の鈴が、りん、と小気味よく鳴った。

「あ、あなたは護り手ですか!?」

 子供の母親らしき女性が小走りに近づいて少年を抱えた。桜麟は油断なく妖魔を見据えながら叫ぶ。

「わたしがこの場は何とかします。あなたは早く逃げてください!」

「ありがたや……お願いします」

「みなさんも早く離れてください!」

 遠巻きにしていた野次馬へも叫んで注意をする。慌てて野次馬が離れるのを確認してから、桜麟は妖魔へと話しかけた。

「ねえ、落ち着こう? あなただって壊されたくないよね?」

 桜麟を敵と認めたのか、妖魔の気配が確実に彼女へと向いた。これで他の人間への危険はなくなった。少しだけ安堵しながらさらに問いかける。

「どうして妖魔になったの? 人間に酷い扱いをされちゃった?」

《イタイ……クルシイ……》

 初めて妖魔が喋った。目を凝らして黒い靄の奥を観察すると、そこには十歳くらいの少年の姿。桜麟と同じように首輪をしている。だが、そこに付いているのは、桜麟のものとは全く別の鈴だ。付喪神の正気を奪い、強制的に使役するようなものに見えた。

(酷い……あんなものを付けるなんて)

 憤っていると少年の妖魔が襲い掛かってきた。瘴気のような霊力を吹き出しながら、桜麟へ接近戦を挑んでくる。

「縛めから解放してあげる」

 桜麟は逃げずにその場で腰を落として構えた。ギリギリまで攻撃を見定めてから、素早く両手を突き出す。

 狙いは首の鈴。直接手で握って霊力を送り込むと、意外と簡単に砕けた。

「やった……わっ、わっ!?」

 狙い通りの結果に喜ぶも、すぐに桜麟はその場を飛び退いていた。少年の妖魔の霊力が立て続けに放たれ、さっきまで桜麟が立っていた地面に穴を穿つ。

「ねえ! 正気に戻ってってば! これ以上堕ちたら本当に戻れないよ!」

 鈴を壊せば少年は鎮まると思っていただけに、これは想定外だった。桜麟が考えていた以上に、鈴の効果が少年を侵食していたのだ。

 何度呼びかけても少年の妖魔の攻撃は収まらない。むしろ鈴という枷が無くなったことで、力の制御が効かずに暴走してしまっている。いつの間にか桜麟は、背後を川に追い詰められていた。

(くっ……一か八か!)

 真正面から少年の妖魔が突撃してくる。

 桜麟は息を大きく吸って両手を広げた。胸元への強烈な体当たりを受け止める。激痛が全身に走ったが、その勢いを利用して後方へ跳んだ。川を飛び越えるような形で向こう岸へ。

 何とか受け身を取り、少年の妖魔ともつれあうようにして通りを転がる。少年の妖魔に馬乗りになられ、ぐいぐいと喉を絞められたが、桜麟は負けじと霊力を解放した。

「これで……この力で!」

 ぶわっ、と桜色の霊力がその場に満ちた。それは邪悪で穢れた妖魔の霊力を包み込み、まるで癒すかのように浄化していく。

 妖魔を利すると徳次郎からは気味悪がられ、使うなと命じられていた力。護り手という立場の今ならば、きっと使っても文句は言われないはず。

「お願いだからっ! 落ち着きなさいっ!」

 最後にもう一度霊力を注ぎ込むと、少年の妖魔から邪悪な気配が一掃された。ふらり、と少年の妖魔……いや、付喪神が桜麟の上に倒れ込んでくる。

 慌ててそれを抱きとめて、桜麟はほっと息を吐いた。最後まで使ったのは初めてだったが、何とか上手くいったようだ。

 荒い息を吐きながら半身を起こしたところで、さっきまでいた方の川岸から声がした。

「お奉行様、あそこです!」

 そこへ現れたのは輝久の姿。少年の付喪神を膝の上に乗せている桜麟を見て目を丸くするも、すぐに近くの橋を渡って二人の側へ駆け寄って来る。

「どうしてこんな場所に……」

「すみません。お役に立てるところをお見せしようと出てきてしまいました」

 これは怪我の功名。迷子になっていたことは伏せて桜麟は胸を張った。

「この少年の付喪神はもう大丈夫です。妖魔の気配を放っていましたけどわたしが鎮めました。変な鈴を付けられていたので」

 説明する桜麟へ無言で歩いて来ると、輝久は少年の付喪神の側にかがみこんだ。少し調べてから困惑したように呟く。

「不思議だ……完全な妖魔の気配だったのだが」

「そうでしょう。それをこうして癒すのがわたしの力です。確かに戦闘向きの力ではないですけど、役に立つと思いますよ?」

 てっきり褒められるものだと思っていた桜麟だったが、その次の瞬間には、全身から力が抜けて、へなへなと通りに横たわっていた。

(これは……鈴の力?)

 倒れた後にそれを理解する。痛みも感じさせずに付喪神を無力化するとは、何と強い霊力だろう。思わず感心していると、腕を組んで仁王立ちになる輝久の影が桜麟の頭にかかった。

「どうして屋敷で大人しくしていない」

 声量こそ押さえているが、どう見ても怒っている。妖魔から町を守ったはずの桜麟を絶対に許さないと、その表情は雄弁に物語っていた。

 ごくりと桜麟は唾を飲み込だ。

「て、輝久様のことが心配だったので。護り手としてやはりお手伝いをすべき……」

「俺の命令を聞けない護り手がいるとは思わなかった。しばらくお前は牢屋で頭を冷やすべきだな。ひと月ほども入っていれば大人しくなるだろうよ」

「そ、そんな……」

 さらに反論しようとして、桜麟は不意に悟った。

 この主は何が何でも自分をひと月でお払い箱にしたいのだ。自分が手柄を立てれば勝手な行動。何もしなければ役立たず。どっちに転んでも運命は変わらない。輝久にとって付喪神はただの道具でしかないのだ。少しでも夢を見た自分が馬鹿だった。

 そう思うと猛烈に悲しくなって、投げやりな気分になってしまった。

「どうせわたしはひと月で暇を出される身なので!」

 輝久の肩に担ぎ上げられながら桜麟は叫んだ。

「出戻って、妓楼に売られて、そのまま朽ち果てる身分なのですよ! ひと月くらい好きにさせてくれてもいいじゃないですか! 人間に迷惑をかけるつもりなんてない。むしろ人間が好きなのですよ! それなのにこんな仕打ちは酷いじゃ……もがっ!?」

 うるさいとばかりに口を塞がれる。抵抗しようにも鈴の霊力は継続中で、運ばれるがままにしかならない。

 本当に自分は道具でしかないのだ。

 それを思い知らされたようで、桜麟は悔しくて涙を流したのだった。


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