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 漣を助けた時は知らなかったが、半鐘には意味があるらしい。激しく鳴らしていれば現場から近いし、ゆっくりと鳴らしていれば遠い。鳴らす順番や音色も決まっているらしく、それで事件の種類や場所が特定できるのだそうだ。

 そんな説明を受けながら走り続け、最短距離で到着した現場で驚いた。そこは九兵衛の屋敷だったからだ。

「うわあ……」

 真っ赤に上がった火の手に声を上げてしまう。屋敷の東側が激しく燃えており、付近の屋敷や長屋にも燃え移り始めていた。時々見える黒い炎は、屋敷内で封じられていた付喪神になりかけのモノが放つ、最後の霊力かもしれない。

 屋敷の近くでは影元が町火消に指示を飛ばしていた。彼の足元には九兵衛が頭を抱えて震えていた。そこへ駆け寄って輝久が問いかける。

「影元! 状況はどうだ」

「めっちゃヤバイぜ。ここは妖魔の巣窟か? 火事から逃げ出した妖魔が近くで暴れているおかげで、町火消が近づけねえ。雑魚ばかりだが数が多いぜ。屋敷の反対側には凛花をやっているが、さすがに手が回らねえぞ」

「祟りじゃあ、もう儂はお終いじゃあ……」

 震える声は九兵衛のもの。輝久は胸倉を掴むようにして引き上げた。

「おい、一体何があった!」

「儂もよくわからんのじゃ。うちの付喪神が、嫌な予感がすると出て行ったのじゃが、その直後に蔵から爆発したような音が……」

 どうやら、一足間に合わなかったらしい。

 ずっと霊力を蓄えていた屏風。人間に恨みを持っていて妖魔に堕ちる寸前だった。お札で封印されていたが、耐えきれなくなったということだろう。

(ここにいるのは……九兵衛だけ?)

 少年の付喪神の姿が見えない。まさかと思い桜麟の心は騒めいた。

「あのっ! 少年の付喪神はどうなったのですか!」

「わ、儂は知らぬ! 儂が悪いのではない。こんなことになるなら、さっさと忠告に従って手放しておけばよかった! 金持ちに売ろうとした儂が馬鹿だったのじゃ!」

 錯乱した様子の九兵衛は何を言っているのかわからない。

(まだ、中にいる……?)

 屋敷へと目を向ける。様々な霊力が渦巻いていて特定できない。もちろん、一番大きいのは屏風の霊力だ。その堕ちた霊力に煽られて、他にも付喪神……いや、妖魔に堕ちてしまったモノが、屋敷の内外で暴れている。

 振り返ると輝久と影元が、町火消と話をしていた。妖魔が暴れているとなれば、安易な行動は命取りとなる。付喪神奉行所の与力や、同心の配置場所を相談しているのだろう。

 その間に、一つ大きな爆発音。九兵衛が悲鳴を上げて地面に伏せた。

(あんな男のせいでこんなことに……)

 桜麟の足はひとりでに屋敷へと向いていた。微かに少年の付喪神の霊力を感じたのだ。まだ生きているなら救いたい。

「おい、待て、桜麟!」

 背後から聞こえた制止の声を振り切るように、桜麟は屋敷の塀を飛び越えた。

(どこだろう)

 塀の向こう側は思っていたよりも激しい煙に包まれていた。気を付けていないと自分まで火に巻かれてしまいそうだ。

(火の元は……あっち)

 一番強く霊力を感じる方向へ目を向けると、予想通り屏風が置いてあった蔵からだった。風の方向を確かめて顔をしかめる。蔵の向こう側へ向かっている。火が煽られたら被害が広まってしまう。

 小走りに蔵へ向かうと、少し離れた塀の下に倒れている少年の姿を見つけた。九兵衛に使われていた付喪神だ。

「大丈夫ですか! しっかりしてください!」

 軽くゆすると「んっ……」という小さな呻き声。大きな傷は見当たらず気を失っているだけのようだ。もう一度呼びかけると、少年の目がゆっくりと開いた。

「うっ……ここは……」

「よかった。目が覚めましたね」

「どうしてあなたが……って、大変だ!」

 倒れる直前のことを思い出したらしく、少年の付喪神が飛び起きた。

「屏風が妖魔に! 僕はそれを止めようとしたのに……」

 火に包まれている屋敷や蔵へ視線を移して呆然とする。桜麟は少年の付喪神の背中を押して屋敷の門へと押した。

「ここはわたしが食い止めます。あなたは安全な場所へ避難してください」

「ごめんなさい……気を付けて」

 少年の付喪神に戦う力はない。桜麟の言葉に従って素直に火とは反対側へ逃げて行く。それを見送っていると、不意に背後から殺気を感じて、桜麟は反射的に一歩下がった。

 ばりっ、と雷鳴。地面からぶすぶすと煙が上がる。

「屏風さん……妖魔に堕ちてしまいましたか」

 目の前には鬼の姿があった。黒々とした霊力は妖魔に堕ちた証拠。全身に刺青のように纏っている模様は、屏風に描かれていたものだ。般若のように恐ろしく歪んだ表情は、言葉を発さずとも強い恨みを表していた。

(強そう……怖い)

 その仰々しい姿に一瞬怯んでしまうも、唇を噛んで己を奮い立たせる。輝久の制止を振り切ってまで動いたのだ。ここで役に立つことを示さなければいけないと覚悟を決めた。

「屏風さん。お願いですから落ち着いてくれませんか?」

 桜麟の呼びかけには雷撃での返答。それを避けながら桜麟は霊力を解放した。人間への恨みで傷ついた妖魔の心と身体を癒す。中途半端に使えば妖魔を利してしまうだけの力。そんな諸刃の霊力を屏風の妖魔へと向けた。

 桜の花弁を嫌がるかのように屏風の妖魔が、雷撃を放ちながら桜麟へと襲い掛かってきた。地面を転がって何度も攻撃を避けながら、桜の花弁を生み出し続ける。雷撃で落としきれなくなった花弁が妖魔へ触れると、徐々に穢れた霊力を剥ぎ取っていった。

「そう。いい子ですね。大人しくしてください」

 額に汗が滲むのを感じながら桜麟は微笑んだ。

 さすがに簡単にはいかない。漣を癒した時のように直接霊力を流し込めればいいのだが、この妖魔相手に取っ組み合いをすれば、自分の方が負けてしまう。

 地道な作業は桜麟の霊力と体力を削る。その努力が功を奏したのか、妖魔の動きが鈍くなっていく。

(あと少し……あと少し!)

 それに勇気を得てさらに霊力をふるった。今や桜吹雪のように桜麟の霊力は満ち溢れ、それに全身を包まれた屏風の妖魔が苦しそうに頭を抱えた。

「お願いだから……鎮まりなさいっ!」

 丹田に力を籠めて叫ぶ。とどめとばかりに膨大な霊力を流し込むと、妖魔が恐ろしい咆哮を上げ……ゆっくりとその場に倒れた。

 直後――屋敷の門から、どっと人が流れ入って来る鬨の声がした。

「桜麟っ!」

 力強い輝久の声が聞こえて、気が抜けた桜麟はその場にへなへなと腰を落とした。顔だけ振り返って拳を握って見せる。

「輝久様。わたし、やりました。これで認めてもらえますよね?」

「阿呆っ!」

 ところが、返ってきたのは輝久の怒声だった。走りながら桜麟へ……いや、その背後へ向かって指を差す。

「まだだ! 油断するな!」

「え……?」

 視線を前に戻すと、そこには半身を起こした妖魔の姿。鬼の顔が歪み、真っ直ぐに桜麟を見据えている。

 ばりっ、と雷撃が爆ぜた。

(やられる……っ)

 桜麟は自分の運命を悟った。終わったと思って完全に油断していた。薄紙一枚の結界すら張っていない。あの雷撃の直撃を受ければ、自分の身体は真っ黒こげになり、付喪神としての生命を終える。

 目を閉じることすらできない。金縛りにあったかのように動けない桜麟へ死の雷撃が迫る。

「呆けるな!」

 間近で聞こえた叫び声。直後、身体への強い衝撃に、桜麟は横へと転がっていた。慌てて起き上がったところで、目の前の光景に言葉を失う。

「うおおおおっ!」

 輝久が雷撃を受けていた。結界を張っているが間に合わなかったのだろう。一部がそれを貫いてバリバリと輝久の身体を襲う。その痛みに顔を歪めながらも、輝久は足を前に踏み出すと斬妖刀を振るった。

 ――ぎゃあああああ!

 おぞましい妖魔の断末魔の悲鳴が響いた。それは徐々に弱くなっていき、鬼の姿を取っていた妖魔から、煙のように靄が立ち上る。その靄が晴れた後に残っていたのは、真っ二つに割れた屏風の姿だった。

「て、輝久様……」

 ふう、と大きく息を吐きながら輝久が振り返る。彼の小袖の左肩の部分は無惨に焼け焦げ、ぶすぶすと煙を上げていた。

「無事、か……桜麟…………」

 呆然と桜麟が見詰めるその前で、ゆっくりと輝久の身体が傾いだ。あっ、と支える間もなく音を立てて地面へ倒れる。桜麟はその音で我に返り、輝久の元へ駆け寄った。

「輝久様! 輝久様っ!」

 一生懸命に何度も呼びかける。

 そんな馬鹿な。自分のことを庇うなんて。どうして見捨てなかったのだ。主の命令を聞かず勝手な行動を取った護り手だ。何が起きようと自業自得だったはずなのに。

「輝久様! お願いです、目を開けてください! 輝久様ーーーーっ!」

 桜麟の悲鳴が、ただただ響き渡ったのだった。


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