第30話 パブロの意趣返し
旅の準備を進める中、舞はふと、パブロの姿が見えないことに気づいた。
「……パブロ?」
工場棟を覗いても、いない。
実験棟にも、姿はなかった。
「……どこ行ったんだろ」
最近は、頼めば大抵どこにでもすぐ現れる。
それだけに、この不在は珍しかった。
舞は、小屋の周りを一通り歩いてみることにした。
「……あれ?」
小屋の裏手、これまで何もなかったはずの場所に、見覚えのない建物が建っていた。
小さいながらも、しっかりとした木組みの家。
窓には、簡素ながらガラスまで嵌め込まれている。
「……いつの間に」
舞は、しばらくその場に立ち尽くした。
昨日、この辺りを通ったときには、確かに何もなかったはずだ。
「……私、寝てる間に建てられるものなの、これ」
執事の器用さの底が知れなかった。
恐る恐る近づき、扉に手をかける。
中から、微かな物音が聞こえた。
「……お邪魔します」
扉を開けると、パブロがいた。
いつもの装束のまま、部屋の奥で何かの世話をしている。
「……パブロ」
「――あなた様」
パブロが振り返る。
特に慌てた様子もなく、いつも通りの恭しい所作だった。
「これは……何?」
舞は、部屋の奥を指差した。
繭のような、白く光る塊。
その中に、大きな何かがとぐろを巻くように収まっている。
艶やかな体表が、呼吸するように淡く明滅していた。
舞の目には、どうしても大きな芋虫のように映った。
だが、確かめる前に、決めつけるべきではない。
「……鑑定、させて」
舞は、鑑定用の魔道具を取り出し、繭の中の存在へ向けた。
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《セラフワーム》
天界に由来する存在。
体内で生成した糸を吐き出す性質を持つ。
糸の質は、通常のものとは一線を画す。
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「……セラフワーム、って言うんだ」
鑑定結果を見て、舞は小さく呟いた。
「はい」
パブロが、あっさりと頷いた。
「……いつ、連れてきたの」
「昨晩のうちに、お連れいたしました」
「……早すぎない?」
「執事たるもの、これくらいの手際はこなせて当然にございます」
パブロは、事も無げに答えた。
「あの……これも、召喚魔法?」
「はい」
「……天界からの召喚も、平気なの」
「私程度の家格であれば、造作もないことにございます」
その物言いに、舞は思わず苦笑した。
自分が緊張しながら試した召喚とは、まるで格が違うらしい。
「……なんで、勝手にこんなことを」
舞が尋ねると、パブロは、少し間を置いてから答えた。
問われれば答える、というのがパブロの流儀らしかった。
「糸を出す役目は、もう十分に果たしたかと存じまして」
声のトーンは、いつになく平坦だった。
「……あ」
舞は、あのときのことを思い出す。
紡績機の前で、棒立ちのまま十本の指から糸を流し続けていたパブロ。
ミシンの脇で、ボビン代わりに据えられていたパブロ。
あの、表情筋の死んだ顔。
「……もしかして、根に持ってた?」
「まさか」
即答だった。
だが、その返事の速さが、かえって雄弁だった。
「……ごめんね、色々」
「いいえ。あれも、必要な過程でございました」
「……で、これからは、この子に任せるってこと?」
「はい。セラフワームは、定期的に上質な糸を生み出します。人手――もとい、この身の指を煩わせる必要は、もうございません」
舞は、繭の中で静かに息づく生き物を、じっと見つめた。
「……よろしくね」
声をかけると、繭がわずかに震えた気がした。
◇
「ついでに、温室にも」
「……え?」
舞は、慌てて温室へ向かった。
パブロが、後ろから静かについてくる。
温室の扉を開けると、以前は空いていたはずのスペースに、見覚えのない植物が育っていた。
一つは、すらりと伸びた茎に、細い葉をつけた植物。
もう一つは、丸みを帯びた実が弾け、中からふわふわとした白い塊が覗いている。
「……これも?」
「はい」
舞は、それぞれに鑑定魔道具を向けた。
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《魔亜麻》
魔界原産の繊維植物。
茎から取れる繊維は、極めて強靭。
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《天綿》
天界原産の繊維植物。
実の中に、非常に柔らかく高品質な繊維を蓄える。
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「……こっちも、勝手に植えてたんだ」
「有用な繊維源は、多いに越したことはないかと存じまして」
「……いつの間に、種とか手に入れたの」
「知人より、少々譲り受けました」
「……知人」
舞は、それ以上深く聞くのはやめておくことにした。
パブロの交友関係は、恐らく想像もつかない広さなのだろう。
「……もう、パブロが糸を出さなくていいってこと?」
「……そういうことに、なります」
パブロは、静かに目を伏せた。
その様子が、あまりにも安堵に満ちていて、舞は何も言えなくなった。
よほど、あの日々が堪えていたらしい。
「……まあ、いいけど」
舞は、苦笑しながら温室の新しい住人たちを眺めた。
魔界の繊維植物。
天界の繊維植物。
どちらも、これから先の服作りを、ずっと楽にしてくれそうだった。
「……勝手にやったことだから、怒られるかと思っておりました」
パブロが、ぽつりと零した。
「怒らないよ。むしろ、助かる」
「……左様でございますか」
パブロの声に、隠しきれない安堵が滲んでいた。
「ありがとうね、パブロ」
「……いえ」
いつも通りの一礼だった。
それでも、心なしか、いつもより深く頭が下がっているような気がした。




