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28.ケーブタウン討伐作戦、その三

 ケットシーのビヤンは鉛筆をクルクルと回すと、まるでそれでリズムを取っていたかのように、それから猛然と原稿を執筆し始めた。

 軍隊が近くに駐留し始めてから、ケーブタウンはすっかりと閑古鳥だが、それでもほぼペースを変えずに仕事をしている数少ない一人(一匹?)にこのビヤンがいる。

 確実に新聞の売り上げは減っているのだが、どうにも彼のモチベーションは下がってはいないようだ。

 彼は誰かに自分の書いた新聞を読んでもらいたいとは思っているはずだ。が、それ以前に新聞作りが好きなのかもしれない。

 「……あ、気にしないでください。用件をどうぞ話しちゃって」

 自分の執筆の速度は少しも緩めずに、ビヤンは目の前にいる自宅兼作業場に訪ねて来たエルフの男に向けてそう言った。

 「は、はぁ……」

 その凄まじい原稿の執筆速度に圧倒されつつも、男はこう言う。

 「ですから、あなたの新聞の出張版を是非ともクルンの街の新聞に寄稿していただきたいのです。

 軍がケーブタウンの近くに駐留し始めてから随分と経ちますが、一向に事が動く気配がない。誰もがどんな状況になっているのか気になっています。もし、寄稿していただければ、新聞の売り上げ倍増は間違いなし!」

 その男はエルフではあったが、ケーブタウンの住人ではなかった。ケーブタウンと交流し易いエルフという事で選ばれただけで、クルンの街に住んでいる。

 「ほぉ……」

 そこで鉛筆の手を止めると、ビヤンはとても面白そうな表情を見せた。目の色が明らかに違っている。実はエルフの男がこれを話すのは二度目なのだが。どうやら一度目は、あまり真面目に聞いていなかったらしい。

 「なるほど。ぼくの原稿を待っている人達がいると言うのなら、協力するのもやぶさかではありません」

 それを聞くと、エルフの男は嬉しそうな顔を見せた。

 「では、是非とも書いていただきたい。実は既にある程度のネタは掴んでいまして。ケーブタウン討伐隊で起こった事をまとめてあります」

 そう言ってエルフの男はカバンの中から資料の束を取り出そうとした。それは実はアカハルが例の能力で読み取った内容だったりするのだが。つまり、このエルフの男の背後にはシロアキの所属している組織があって、彼はシロアキの指示で動いているのだ。

 後は、その資料をこの変わったケットシーに渡して原稿を書かせれば、それで彼の仕事はお終いのはずだった。

 が、ところが、何故かビヤンは資料を取り出そうとした彼を止めるのだった。

 「それには及びません」

 「は?」と、エルフの男は動きを止める。

 「ぼくのジャーナリスト魂が、他人の資料で書くことを許さないのです。決してあなたが用意してくださったネタを疑っている訳ではありませんが、自身の手で掴み取ったネタを原稿にしてこそ、読者に“トゥルース”を伝えられるというのがぼくの信念なのです。

 それだけは曲げる訳にはいかない。何故なら、それこそが、ジャーナリストたる者の使命なのですから!」

 話しながら興奮してしまったのか、ビヤンは突然立ち上がった。

 「いや、あの……」

 と、エルフの男は戸惑い、そんなビヤンを止めようとしたが、彼は聞く耳を持たない。

 それからビヤンは直ぐに外套を羽織ると、「さあ、取材ですよ~」と叫びつつ、エルフの男を自宅の部屋に置いたまま、外へ飛び出していってしまった。

 「“トゥルース”も何も、あなた、いつも、記事の内容を脚色しまくって書いているじゃないですか……」

 と、エルフの男はツッコミを入れたが、それはもうビヤンが部屋から消えた後だった。

 

 「……ああっ どうしたものだろう?」

 

 ケーブタウン討伐隊のキャンプ、本営に張ってあるテントの中で、アニア・ゴールドは頭を抱えていた。

 ケーブタウンを攻略する事は容易い。攻め入ればあっという間に蹂躙できるだろう。が、もちろん、あんなにかわいかったり、気の良かったりする連中を殺したり捕らえて奴隷にしたりする事など彼女にはできない。

 それは当然ながら、降服させた場合でも同様だった。

 戦力になりそうな者は、恐らくは足の腱を切るなどして抵抗力を奪い、主には魔石発掘の為にこき使うのだろう。そうでない者も奴隷にするのは目に見えていた。何しろ相手は人間ではないのだ。遠慮などしないだろう。

 「そんな酷い事ができて堪るか!」

 そうアニアは愚痴るように呟いた。

 参謀のコーエンは「どうも貴殿は体調不良のようだ」と言って無理矢理に解任してしまったから、「ケーブタウンを早く攻めろ」と彼女を追い詰める者はもう討伐隊内にはいなかったが、いつまでも待機し続ける訳にいかないのも当り前だった。

 やがて食糧は尽きてしまうだろうし、いつまでも攻めなければ、討伐隊隊長の任を彼女は解かれてしまうかもしれない。

 そしてそうなったなら、代わりの者が隊長を務め、ケーブタウンを侵略し、略奪し、あのほんわかした人々を不幸のどん底に叩き落すのだ。

 更に、こんな簡単な任務に失敗したと分かれば、彼女の父親のラオ・ゴールドの名前ににも泥を塗ってしまうだろう。もっとも、そんな虚栄心に満ちた思考こそが、軍隊をこんなにも醜い場所に変えてしまった元凶なのかもしれなかったのだけど。

 「……せめて、あのかわいいもの達だけでも、守る手段はないかしら?」

 シュガーポットやハダカデバネズミ達を思い出しながら、彼女はそう独り言を言った。どうやら、かわいいものを考えている時は、彼女の素が出るらしい。

 そこで彼女は軽くため息を漏らした。

 すると、そのタイミングで「報告です」とテントの外から声が聞こえた。彼女の部下の一人の声だ。

 軽く気を張り直すと「何かな? 入りたまえ」と、そう彼女は言った。部下はテントの中に入って来ると、「キャンプ内に不審者が現れて、兵隊達に聞き込みをしているという情報が入りました」と告げる。

 「不審者?」

 「はい。ジャーナリストを名乗っている猫です。もしかしたら、何処かの諜報員かもしれません」

 それを聞いて彼女は少しばかり頭が混乱した。

 ジャーナリストを名乗っている猫? で、しかも、それが諜報員かもしれない?

 俄かには信じ難い話だ。

 「よく分からないが、とにかく見てみよう」

 そう言って彼女は立ち上がった。

 よく分からないが、とにかくとてもかわいい予感がする。

 今の彼女に必要なのは、間違いなく“癒し”だった。

 

 彼女が外に出ると、確かに猫がいた。ただし、明らかに普通の猫ではない。二足歩行で歩いている。外套を羽織っている。しかも、長靴を履いている。これだけで、もう充分にかわいい。

 「なるほど! つまり、ここの麗しく優しい女性の軍隊長さんは、ケーブタウンの皆を守る為に、こっわーい参謀のおじさん軍人をその拳でぶっ飛ばしたのですね?

 なんと素晴らしい! 英雄ですね! いや、英姫と呼ぶべきか!」

 彼女が辿り着いた時、少年兵の一人が、その猫を膝の上に乗せてインタビューを受けていた。

 猫が触れて嬉しいのか、少年兵は目を輝かせて話しをしている。時々、背中や頭を撫でたりなんかしながら。

 その光景にアニアは胸を撃ち抜かれた。ズキューン! 目をハートにしながら、思わず見つめる。

 “何という、凄まじくかわいい光景! 尊い! 尊すぎる! ほんと、かわいい!”

 しばらく我を忘れて見つめていたが、しばらくして部下から「アニア様」と呼びかけられて我に返った。

 「ん? ああ、そうだな。取り敢えず、話を聞いてみよう。あの猫を捕まえてくれ。断っておくが、優しくだぞ? 決して傷つけるな」

 ところが、その指示を受けて兵士達が猫に近付いて行くと、その猫はいち早く危険を察知し、ひょいと少年兵の膝から飛び降り、素早い動きで逃げ出してしまったのだった。

 「あっ! こいつ、逃げるな!」

 そう言って兵士の一人が、猫に向って弓を放とうとする。が、それをアニアが「待て! 傷つけるな!」と言って止める。

 生きたまま捕まえて、できればなでなでしたい!

 がしかし、猫の動きは俊敏だった。

 人間の手で捕まえられる速度ではない。

 「ネタは充分に揃いました! 後はこれを記事にするだけです! では、皆さん、さようなら~!」

 そしてある程度距離を取ると、その猫はそう言って遠くの方に逃げ去ってしまったのだった。

 その姿を見送りながら、“ああ、さわりたかった……”とアニアは思う。

 

 「あの猫はケットシーで、どうやら“ビヤン”と名乗っていたようです。ケーブタウンでは、ビヤンという名のケットシーが新聞屋をやっているそうなので、恐らくはジャーナリストというのは本当かと」

 

 ジャーナリストを名乗る猫が逃げてから、アニアは部下からそんな報告を受けた。

 「諜報員ではなかっただけマシですが、新聞屋というのも少々まずいかもしれません」

 報告の後で部下はそう続ける。

 「うむ。そうか」

 と彼女は頷く。

 確かに新聞はまずいかもしれない。今の自分達の体たらくの現状が世間にバレてしまう。だが、それも致し方ないと、彼女はそう思っていた。

 “だって、あんなにかわいいものを傷つけることなんて、私にはできないもん……”

 ここに至って、彼女ははっきりと自覚していた。

 自分は軍人には向いていない。

 圧倒的に。

 

 それからしばらくが過ぎ、帰還命令がアニア達、ケーブタウン討伐隊に下った。

 アニアはそれに死刑宣告でも受けるような気分で「はい。分かりました」と返した。多分、自分はこれから無能の誹りを受け、代わりに任に就いた者がケーブタウンを侵略するのだろう。

 結局、何もできなかった。

 全てが悪い方向に帰結してしまった。

 もう彼女には悪足掻きをする気力も残っていなかった。食糧の備蓄も残りわずかで、討伐隊を維持する事も難しいから、それも無理もない。

 が、ところが、軍の本部に帰るため、彼女達ケーブタウン討伐隊が、クルンの街に立ち寄った時に奇妙な事が起こったのだった。

 

 「アニア・ゴールドだ!」

 「本当だ! 心ばかりか、姿もお美しい!」

 「懲罰を受けることを覚悟で、ケーブタウンを護るなんてそうそうできる事じゃない!」

 「是非とも、うちの宿に一泊してから軍の本部にお戻りください!」

 

 そう。

 何故か彼女達はクルンの街で歓待されてしまったのだった。

 彼女には何が起こったのか分からない。何故、自分がヒロイン扱いなのか。ごく簡単な任務に失敗した無能の軍人であるはずなのに。

 しばらく彼女は困惑していたが、やがて部下が事情を調べて来てくれた。

 「どうも、あの時のケットシーのジャーナリストが原因であるようです」

 と、部下は述べる。

 ビヤンという名らしいあのケットシーは、クルンの街の新聞に“出張版”の原稿を寄稿し発表したのだという。

 その中では、ケーブタウン討伐隊について述べられており、アニアが少年兵達を守る為に作戦を中止にした事や、ケーブタウンを侵略させない為に参謀のコーエンをぶっ飛ばした事などが、ややドラマチックな味付けで書かれていたらしい。

 もちろん、その新聞の影響だけで、これほどまでに人々が熱狂するはずがない。

 ケーブタウンを軍が侵略する事を、元々、国民は快く思っていなかったのだ。ケーブタウンと取引のある人間達は特に。

 戦争の間は商いができなくなるし、戦争が終わってもケーブタウンの生産物を軍に略奪されてしまったのなら、やっぱり商いは成り立たない。

 自分達の収益がなくなってしまう。

 その不満がアニアの今回のケーブタウン討伐隊でのエピソードと結びつき、彼女を英姫に祭り上げるまでに至ったのだった。

 更に、ここに政治的な思惑が影響した。

 政治の世界で権力を欲しているのは、軍部ばかりではない。農政でも、財政でも、教育でも、あらゆる所に富と権力を狙っている人間達が渦巻いている。

 そもそも商いが減れば税収は減るのだ。それに不満を持ち、軍部に対して反感を抱いていた国の人間達は数多くいたのだった。

 自分達の“金”が軍に奪われようとしている、と。

 だから、このアニア・ゴールドの英姫譚を、そういった連中が利用しないはずがなかったのだった。

 当然、軍部批判に加担する。

 後は軍部がアニア・ゴールドをどう扱うかだったが、それも問題はなかった。

 娘を溺愛している大将のラオ・ゴールドが彼女を庇わないはずがない。それに、国の英姫として扱われている彼女を庇うのは容易くもあった。

 ――だから、

 「軍の誤った命令に背き、人道的行いをした英断は大いに評価できる」と、アニア・ゴールドはむしろその人格の高潔さを軍部から褒め称えられていたのだった。

 ――もっとも、建前上だけかもしれないが。

 

 “……助かった”

 

 全てが上手くいったことを知ったアニア・ゴールドは、絶望の縁から生還したかのような気分を味わっていた。

 いや、実際にその通りだったのだけど。

 その時、彼女は思わず泣き出してしまった。

 そして、

 “かわいいものを好きで本当に良かった。かわいいものを守って本当に良かった”

 と、心の底からそう思っていたのだった。

 

 ん。

 「――いやいや、今回ばかりは感心したよ、シロアキ」

 

 そうアカハルがシロアキに言った。

 秘密の会合の為に用意したビルの一室での会話だ。

 「まさか、ケーブタウンの連中が軍に食糧支援することまで読んでいるとはね。普通は分からないよ」

 それを聞くと、シロアキは「フッフッフ」と笑う。

 それから一呼吸の間の後で、

 「分かるはずないだろ、アカハル!」

 とそう言った。

 「あ、やっぱり?」と、それにアカハルは返す。

 「何がどうなったら、これから自分達を攻めようとしている軍隊に食糧を差し入れしようなんて考えになるんだよ?

 あいつらはバカなのか? いや、それとも違う何かだ!

 偶々、大きな筋書きに影響がなかった…… いや、それどころかもっと上手くいったから良かったようなものの、完全にボクの台本の予想外の行動だ!」

 なんだか、シロアキは不機嫌だった。

 恐らく、彼が不機嫌なのは、自分の予想通りにケーブタウンの住人達が行動しなかった事ばかりが原因ではない。

 彼にはケーブタウンののん気さがまったく理解できなくて、それが不快なのだろう。行動が読めないって事は、計画も立てられないって事だから。

 それも含めて、アカハルは“なんだかケーブタウンの連中は面白いぞ”とそう思ったりしていたのだった。


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