第2話「リンゴの価値」
今が朝なのか昼なのか夜なのか、分からない。
森に逃げ込んだけど、どこを歩いているのか分からない。
ただ、分かっていることはひとつだけ。
2度と、ストーン一族の関係者には捕まってはいけない。
久しぶりの食事。
森を歩きながらリンゴを齧る、齧る、齧る。
それはもう乱暴に。
果汁が溢れて顎を濡らして、それを雑に服で拭って。
頬がキュッと痛くなるほどの甘さ。
そしてみずみずしい。
《おや…おやおや…》
「………」
リンゴに夢中で気づかなかった。
ここはハイドシークの森。
魔物が現れる可能性は十分にあった。
そして
《この前はよくも兄と弟を殺してくれたね…人間!!》
「……先に襲ってきたのはそっち。私は抵抗もしてないし、殺したのは私じゃない」
《人間はそうやって嘘をつく》
この狼人間も1人…?
《その食べている物はなんだ。捨てろ》
「これはリンゴ。捨てない」
我慢していた分の食欲はこの危機的状況でも変わらずだった。
私は魔物と会話しながらリンゴを食べ続けてる。
少しだけ残したそれを魔物にふわっと投げ渡した。
「食べてみれば?」
そして鞄から新品のリンゴを取り出してまた齧る。
《…………》
匂いを確かめて、不思議そうに見つめてる。
そして舌で軽く舐めてから狼人間はリンゴをひと口。
《…………》
「気に入らない?」
《……とても、甘くて…》
狼人間の声が変わった。
殺気が消えて、落ち着いたのかな。
《…もうひとつ》
「はい、どうぞ」
今度は直接手渡しした。
襲ってくる気配が一切感じられなかった。
よく見えてないけど、美味しく食べてるんだろうなっていうのは分かった。
なんとなく、この狼人間が可哀想に思えてきた。
「まだ欲しい?」
《……なぜ聞く》
「食べたいでしょ?」
《………》
「代わりに、アクトリオ平原まで道案内して。そしたらいくつかリンゴをあげる」
少し間があって、狼人間は歩き出した。
《ついてこい》
これが童話なら、きっと私はこの後騙されて狼人間に食べられてしまう。
もしくは、簡単に殺されてリンゴの詰まった鞄を取られるのかな。
「狼人間。あなたの仲間は?1人なの?」
《………》
「魔物に名前はあるの?」
《なぜ聞く》
「別に。ただ…」
そう、貴重なリンゴを恵んでやりたくなるほど哀れに見えたから。
同情してやりたいっていう軽い気持ちで出た言葉。
それから無言でしばらく歩いた。
途中で道案内の狼人間の他にも、赤いのがいくつか見えた。
私とこの狼人間の他にも…きっとこの狼人間の仲間がいる。
でも襲ってこない。
《ここまでだ。森を出ることは出来ない》
「……魔物のルール?」
《ただ、出ることが許されない。それが決められている》
「誰に決められたの?あぁ…アイツか」
《………》
「安全な場所に閉じ込められるのって、辛いよね。危険だとしても自由に生きていたい。私はそう思う」
お礼にリンゴを2つ。
狼人間の両手に乗せて
《なぜ恐れない?》
「殺されちゃうかも!って?知らない。…あ、知ってる。馬鹿馬鹿しいなって思ったの。生きたいって思うことも死にたいって思うことも。どう願ったってどっちも叶わないんだもん」
その時、白と黒と赤の世界に、色が戻った。
空が青くて平原の緑が綺麗。
リンゴの赤は宝石みたい。
目の前の狼人間はいつの間にか跪いていた。
「何してるの?」
《………》
「変なの」
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雲が少ない。気持ちよく晴れた空。
地図を持たない私はこれからどこへ行こう。
「全部が自由なんだ。ここから、アクトリオ平原から私の人生が始まる」
ライヴァンに向かってもいい。
宿屋の夫婦と再会しようか。
……いや、そうもいかないか。
「ブラウンは私のことを話しただろうから、正体がバレてる。同じ扱いはされないんだろうな……」
遠くの空を見ると、雲が異常なまでに集まっているのが見えた。
「でもライヴァンなら方向が分かるし…それに」
宿屋に裁縫道具を置いてきている。
あれでも私の所持品だから、取り戻すためにも向かうことにした。
「ん。…安いよー安いよー。そこのお嬢さん。何か買わないかい?」
馬車で移動する商人が私に近寄ってきた。
「何を売ってるの?」
「なんでも。果物は7種類!服も老若男女問わず大きさも様々!武器や防具もあるよ!」
「…見てもいい?」
「さぁどうぞどうぞ!」
荷台を見せてもらった。
木箱には色とりどりの果物。
服もあるし、大きな斧もある。
「これは何?…綺麗」
「お。そうだろうそうだろう?なんたってミフィーリア製の真実の鏡だからな!」
「何それ」
商人は聞いたらなんでもペラペラと喋ってくれた。
…私が無一文だと知ってるのかな?知ったら驚くよね。
「…物々交換しない?」
「交換?お嬢さん、お金ないのかい?」
「今はこれしかないの」
「……そ、それは」
下手にゴールドを持ち歩くよりも価値がある。
それは商人の顔を見てはっきりと分かった。
「本物のリンゴ。まだ…30はあるかな…?」
「そ、そんなに一体どこで…」
「おじさん、家族は?」
「家族?妻と娘が国にいるが」
「なら、家族の分と、売り物として5個。これで買い物させて?」
「お、お嬢さん。リンゴが1個何ゴールドで取引されてるか知ってるのかい?5個もあったら大きな家を建ててもしばらく遊んで暮らせるんだぞ…!?」
「ふーん…」
「本当に5個くれるっていうのなら馬車ごとくれてやるとも!馬だってまだまだ元気だ!好きなところへ連れていってくれる!」
商人は顔が変わった。
最初は本物のリンゴか疑ってたみたいだけど、このキラキラした赤はリンゴ以外ありえないのかも。
「じゃあ……」
私は商人と物々交換をした。
「ほ、ほ、本当に?それだけ?」
「おじさんだって帰るのに馬車必要でしょ?私はこれで十分だから」
「あぁ…ありがとう…ありがとう!本当に…!天使のようなお嬢さんだ…!」
「気をつけて帰ってね」
商人は笑顔で私に手を振って出発した。
方向は…
「キングエル?…私のこと分からなかったのかな」
とはいえ、持ち物が増えた。
◆服
まさに"平民"な服と細長い帯、それから動きやすい靴。
周りに誰もいなかったから平原のど真ん中で着替えた。
とても動きやすくて意外と着心地もいい。
着ていた淡い赤のドレスは森を歩いたせいでドレスには見えなかった。
ちょっと派手な冒険者にでも見られたのかな。
◆商人のお弁当
リンゴに飽きてきたから譲ってもらった。
量が多い…私なら3食分はあると思う。
大きな弁当箱には肉、魚、野菜…味付けも悪くない。
弁当箱は洗って再利用しよう。
………蓋の裏にゴールドが貼り付けてあった。
へそくり?
◆鏡
ミフィーリア製の真実の鏡。
…って言っても、装飾なしで木枠にはめられただけの鏡。
……あぁなるほど。
「指でペタペタ触っても、土をかけても」
汚れない。試しに短剣で引っ掻いてみてもかすり傷もつかない。
「……あれ?……え」
ふと自分の顔を鏡で見た。
はずだ。…そのはずだ。
「………誰?」
鏡に映るのは、私に似ているけど違う誰か。
髪の色も、目の色も変わってない。
目鼻口の位置も変わったようには見えない。
でも、別人。
「ふぅ。不思議」
改めてライヴァンへ向かうことにした。
宿屋に立ち寄って、それからリンゴを1個売りさばく。
そしたらライヴァンを離れて別の国に行こうかな。
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「変わらずの雨。よいしょっ…」
頭を守るために交換で手に入れた深い紫色の帯を巻いた。
顔がほとんど隠れて目元しか露出していないから蒸れると思いきや風通しがかなりいい。
暑い場所でも使えそう。
普通の雨に濡れながらライヴァンに入国した。
服装も何も問題ない。
気のせいに思えるほどの小雨の中、宿屋に向かった。
変わらぬ外観。
ドアを開けた時の
「いらっしゃい。部屋はどこでも空いてるよ」
驚いた。
私がいなくなってそこまで長い時間が過ぎたとは思えない。
なのにこの宿屋は色んなところが汚れていた。
「…1泊だけ」
「はいよ。11ゴールド」
商人の弁当箱のへそくりが役に立った。
私が使っていた部屋はたしか…
「あぁすまん、その部屋はダメなんだ」
「……?」
「その部屋は帰りを待ってる…女の子がいてね…」
私は無言で隣の部屋を借りた。
鍵をかけて、少し乱れた呼吸を落ち着かせようと
「ふぅ…はぁ…帰りを待って…る?私を?」
信じられない発言だった。
オーナーはあの部屋に入ろうとしたら途端に元気をなくしてそう言った。
まさか、まさか、私のことを……
「………そっと入ろう」
オーナーに見られないように、自分の部屋を出て"私"がいた部屋に入った。
中は、そのままになってた。
ふと思い出した。
お世話になってる宿屋の夫婦のために、エプロンを手作りしようとしていたことを。
出しっぱなしの裁縫道具がそれを思い出させた。
「片付けよう」
裁縫道具を回収して、荷物をまとめて。
「あんた、どこへ?」
「…教会に」
「そうかい。外はもうじき雨だ。早く戻りな」
頷いて宿屋を出た。
もうすぐ雨というのは本当らしくて、今のうちに必要な物を買い揃えようと外は賑やかになっていた。
「おーい!おい!おい!くっそお!あの客!キャルの部屋を…!!」
「何を騒いでるんだい?…ひっ!」
「あの泥棒!すぐに捕まえて取り返してやる!」
人混みに流されながら、私は例の教会に着いた。
中には別の神父がいて、何人かお祈りに来てる人もいた。
割られたステンドグラスは修復中だ。
「もう用はないから…」
国から出るために門へ向かった。
国から出るのにも入るのにも東西にあるどちらかの門を通らなければいけない。
もちろん兵士が守ってるし、怪しまれれば面倒になる。
でも何も問題無さそうに思うのは、さっき入国した時にいかにもな不審者が私より先に入国出来ていたから。
「次はどこに行こうかな」
門を抜けて、雨に濡れた。
この雨は痛くない。優しい雨だ。
「待て!待ちやがれ!泥棒!!」
「え?」
振り返ると宿屋のオーナーが走ってきていた。
太った体に似合わない走りっぷり。
「お前…返せ…盗っただろ…」
「………」
門からはそう離れてない。
オーナーに騒がれて兵士が向かってきたら…
でも裁縫道具は渡せない。
私のものだから。
「返せ。それはウチの看板娘の物だ。よそ者に渡していい物じゃない…」
「リンゴで買い取る」
「ふざけたことを!」
「やめ…」
雨から守るために巻いていた帯に手をかけられた。
強引に引っ張られて帯は解けた。
「いっ…」
「このどろ………」
オーナーと目が合った。
ようやく顔がバレて、私は口元が緩んだ。
「キャル…キャルじゃないか…どうして」
「裁縫道具は返さない。私の物だから」
「待て、話は」
「…私は帰れない。どこにも。知ってるでしょ…私がどこの誰なのか、どんな立場なのか」
「………」
「いいの。…それでも。連れ戻されるまでは普通の町娘になれたから。ありがとう」
リンゴをひとつ。
オーナーに強引に手渡しして私は歩き出した。
もしかしたら、もしかしたら。
呼び止めてくれるかも、宿屋に連れ戻してくれるかも。
そんな期待が私の中で膨らんでいたけど。
静かだった。
振り返るとそこには誰もいなくて。
「よかった」
変な情が生まれなくて。
素直に消えてくれて。
正直者で。
手切れ金のリンゴを受け取って、ライヴァン国のなんでもない宿屋の男は私との関係を改めた。
「人間って…冷たい…んだね…」
宿屋の男は、私をキングエルに売り渡すつもりだったのかもしれない。
商人の男は、リンゴを簡単に手放す私をどう思ったのだろう。
価値観が崩れていく。
ライヴァンを離れ、ここはリトレー街道。
私は。
《元気がないの?どうしたの?》
ふと顔を上げた。
上から降りてきたのは
「大きい…魔物…」
《魔物?違うよ。妖精だよ。人間の味方》
「………人間の味方なら、私の敵だよ」
《え?え?あなた人間じゃないの?》
教会のステンドグラスのように色鮮やかな羽根。
細長い手足。
妖精と名乗るそれは、とても子供が夢見る存在ではなかった。
童話で思い描くような可愛らしさは皆無で。
顔は虫が無理やり人間の顔に似せようと作られたような気色悪い顔。
そして何より、漂う甘い香りが妖しい。
「近寄らないで。消えて」
《困っているなら助けるよ。それが妖精の務めだから》
伸ばしてきた手。
手から伸びる指は2本しかない。
「それなら消えて。あなたが消えてくれたら助かる」
《本当にそれが願い?》
ピタッと止まっていた羽根が突然高速で動き出す。
改めて見るとこの妖精、大人の男よりも大きい。
《それなら、見せて?》
「見せる?何を?」
妖精とやらは、頻りに首を傾げる。
私に何かを見せるように要求してるけど
《あなたと妖精の友好の証》
「なにそれ知らない」
《………それ》
服の下のペンダントを指さされた気がした。
《見せて》
「…嫌だ」
《見せて》
「来ないで」
街道でよかった。
舗装された道は走りやすい。
それに、誰かに会えれば助けてもらえる。
《見せて。あなたの願いを叶えるから》
声が近い。
飛べるし思ったより素早い。
逃げ切れそうにない。
少し遠くを見ても、人の気配はなかった。
だから立ち止まった。
面倒な絡まれ方に腹が立った。
それなら、私が腰に隠し持つ短剣で
《見せて》
「…うああああああ!!!」
短剣を羽根に突き立てた。
でも、羽根はそこらの石よりも硬かった。
《見せて》
「しつこい…」
私は諦めた。
「見せたら消えて」
胸元から取り出す時、ペンダントの発光石が光って
《やっぱり…!!》
「え?」
《…ありがとう》
「………」
妖精の発言が気になった。
《あなたの願いは?》
「え…私の前から消えて2度と現れないで」
《本当に?》
「何の確認?」
《お母さんに会いたい。それが真の願い。違う?》
ゾッとした。
/////////////To be continued...