1x04 Part 2 / 4
原田が自分のタグホイヤー・カレラ・クオーツを見る。19時50分。
「Tマイナス10分、メンテバッチ起動時だけサーバルームに戻りますね」と原田とラシッドはサーバルームに戻っていく。
小松と千歳はラウンジ、受付、4つの外傷室に入ることを許されているが、外傷室だけはスタッフドクターの山口か西園寺の許可がその都度必要だ。
サーバルームは通されないだろうなと千歳は思っていたが、その通りだった。
「Tマイナス1分、定刻になります LUNAのマイグレーション、イニシャライズ アヴェイラビリティは半減しますが、コアコンピタンスである救命機能にフルコミットメント リソースが100%を超えないように注意してください イレギュラーが発生してもロールバックされませんので、その際は少しづつディプロイメント 以上です」
「…日本語でおk」西園寺が思わず言う。
「つ、つまり、この数値が100%を超えないようにするということですね?」時間ギリギリで出勤してきた本宮。もちろん「バイト」で遅くなりましたとは言わない。
「なんか聞いたんだけど、英語以外の同時通訳が一番きついらしいね」母国語が広東語の陳がシラを切る。広東語なので、使えばそれだけ負荷がかかることは承知しているが、チェンはあえて無視している。
「すると今日は…英語が母国語の人は誰もいないので…日本語で日本語で」母国語がアラビア語のアルサウードが肩をすくめる。
「まあ…私は好都合かな…」母国語がフランス語のンゲマは、英語よりは日本語の方が得意だ。
20時ちょうどになる。
特にルナに変調は無い。
その代わり、これまでディスプレイの右下に出ていた
32.36%
の数値が、一気に
88.34%に跳ね上がる。
「えぇーこれ上がりすぎなんじゃないかなぁー」
不思議そうに山口がディスプレイを眺める。
「PCやスマホも立ち上がり直後は遅いですから、それと同じかもですね」と同じIT屋の千歳がつぶやく。
果たして、数値が
60.81%
になり、そこで落ち着く。
「…ま、今日は木曜だし、暇なんじゃないのかな」とチェンが気楽に言う。
「あまりフラグは立てちゃだめだよ…プラミー…」西園寺が顔をしかめる。
「これ仮にルナがダウンしたらどうなるんでしょう…」不安そうに本宮がつぶやく。
「そんなことはありませんよご心配なくー!」と原田が降りてくる。
「ほほー?証拠は?」意地悪な質問を西園寺がしてみる。
「まず、うちのルナはデータセンターと同等のブレードを組み合わせたオンプレミスを基本とし、オーバーヘッド時はオンデマンドファーストでAWSとAzureをコールしてフックします つまりこれは…」と若干早口になりながら原田が説明する。どうやら徹夜前のハイな状態に入っているようだ。
「うん…ですから日本語でおk」西園寺が肩をすくめる。
「…」
本宮があまり会ったことのない原田をチラ見しながら思う。
(この人…原田さんって…なんか「こちら側」の雰囲気のある人なんだけど…気のせいかな…でも色気も艶もあるし…どうも…うーん…)
「…さん、本宮さん?」原田が手をひらひらさせている。
「あっはい!すいません原田さん!」
「そういえばちゃんとお話しするのって初めてかもね?」
「そっ、そうだと思います よろしくお願いしますっ!」
お互い……何か感じるところがあるのかもしれないが、それは表に出しては言わない。
そして、救急からのコールが入る。
「……よ…酔っ払いの中年男性2人が喧嘩により軽傷、同時に搬送されてきます!ルナ、トラッキングお願いします!」
【ツピ!了解しました本宮さん 2名トラッキングします 想定されるリソース増大率はごく軽微】
「ふふ…そうこなくっちゃね…このくらいではルナはどうということはない…ふふふ…」危ない笑顔を残して原田が再びサーバルームに去っていく。
バーンとER入り口の扉にストレッチャーが入ってくる。
「40代男性 泥酔状態ですがグラスゴースケールは13 ヴァイタルは155の105 心拍は105、右手首に裂傷」救急隊員の南雲が、若干めんどくさそうに言う。女性にとって泥酔した中年男性はあまりいい気分はしない。
「よし、こちらはカーテン1号に 私が看ます」とンゲマが答える。
「よろしくーンゲマ先生!」南雲がパッと笑顔になり去っていく。
もう一台のストレッチャーにはアルサウードが近寄る。
「こちらも40代男性 少し酩酊状態 ヴァイタルは150の100 心拍は110で興奮状態 唇横に裂傷」もう一人の救急隊員の西村が伝える。
「あんのヤロー!もう一回ちゃんと殴らせろってんだ!」酔っ払いがいきり立つ。
「…あー、じゃあこちらはカーテン4号に入れましょう あえて遠ざけます 警備をお願いします!」てきぱきとアルサウードがこなしていく。
「サラも随分と慣れてきた感じだね 最初は結構ビクビクしてたけど」西園寺が感心する。
「そうねぇー場慣れすると度胸もついてくるわよねぇー」山口がのんびり答える。
「ちょっと僕、どっちも見てきますよ」と西園寺がカーテンエリアに向かう。
ンゲマとアルサウードが診療に入ったらしい。リソース率が
63.15%
と表示される。
「泥酔者用の「早く出て行けカクテル」を点滴から落としますね」ンゲマが答える。こちらは泥酔しているので反応は鈍い。
「早く出て行けカクテル」はもちろん俗称で、泥酔者に落とすために水分、電解質、糖分、ビタミンB1が入っている点滴をこう呼んでいる。
「マギー…その名称はあまり使わない方がいいね」西園寺が苦笑いする。
「もちろんですよ西園寺先生…患者に意識がある場合には」ンゲマが毒を含まない笑いを浮かべる。
「手首が…うーん、指が骨折しているかも」西園寺がアドバイスする。
「じゃあ外傷に入れ直してX線撮りましょうか?」
「その必要は無いかな…緊急性はそれほど高くないから、直接連れて行って写真撮って」
「了解です……なるべくルナを使わないとなると、なかなか不便になりますね」ンゲマが苦笑いする。
「頭部は強打してないように見えるけど、念のためもう一回チェックしてくれ」
「了解です、西園寺先生」
「離せってんだよこいつ!」カーテン4号では酔っ払いがまだ元気がいい。元気がいい割には、こっちのほうが怪我は少しひどい。
「暴れないでください、治療に差支えが…きゃっ!」アルサウードがかなり苦戦している。
「よし、僕が変わろうサラ」西園寺が見かねて引継ぎを提案する。
「私もカバーしようか、西園寺先生」とチェンもやってくる。
その時、アルサウードのヒジャーブを酔っ払いが掴んで下に引っ張る。
アルサウードの髪が完全に見えてしまう。
「!!!!!!!!!!!!!!」
「ハッハー御開帳ー」と酔っ払いは言いかけるが、その口をチェンの左ストレートが捉える。
「ゴフッ」と酔っ払いは静かになる。
医者としては利き腕は何かあったらたいへんなので、チェンは左拳を使う。
「<……このクソ野郎が、恥を知れ馬鹿野郎!>」と広東語で罵倒するチェン。
西園寺はすかさずアルサウードを背中でかばうように隠す。
手早くヒジャーブを直すアルサウード。
「…大丈夫かい?サラ」(サラって髪短かったんだ…知らなかった…)と西園寺は思っているが、もちろん口に出しては言わない。
「…すいません……<何という事……アッラー、お許しを…>」アルサウードが真っ青になっている。
「あープラミー…さすがにそれはいけないと思うんだけど、今のルナの処理能力を考えてわざとやったね?」西園寺が説教に入ろうとする。
「はて…何のことか私には…この患者は元から口に裂傷ありましたからね…ルナは録画してるかなあー」とチェンはすっとぼける。
「…ルナ、宗教の教義上の問題が起こったため、カーテン4号の画像は患者搬入時のものから削除 スタッフドクターの僕の権限で」西園寺がため息をつきながらルナに話す。
【ツピ!スタッフドクター西園寺玲先生の権限により、カーテン4号の映像はすべて削除します 理由 宗教教義上の問題】
「あー…やりすぎました……すいませんでした西園寺先生」珍しくチェンが素直に謝る。
「いや…謝るんだったら患者に」
「それは拒否します」食い気味に反論するチェン。
バン、とルナのリソース率が
77.2%
に跳ね上がる。
「なるほどぉ…証拠隠滅にはリソースがいるのねぇ…」のんびりと山口が受付エリアでディスプレイを見つめる。
「証拠隠滅とは聞こえが悪い……エヴィデンス・クレンジングと呼んでくださいな」再び戻ってきていた原田がニヤリとする。
「かなりアウト寄りの響きがするのですが…」本宮が小声でツッコむ。
そそくさとヒジャーブをなおすアルサウード。
「<これは酒という許されざる物質を摂取した、酔っ払いという許されざる者が行った行為 私の信仰心にはなんの影響もありません>」とアラビア語で独り言を言う。そして、
「<ルナ、私のヒジャーブに問題はありませんか?>」とアラビア語で聞く。
【ツピ!<問題ありません いつもと変わらない神々しさです>】
「<まあルナ、ありがとう>」アルサウードがぱあっとマリーゴールドのような笑顔を浮かべる。
「…アラビア語で話をする限りはほとんどリソース率は変わらない…これも計画通り…まったくもって素晴らしいわ…」原田がひとりごちる。
「あー、なんか私がつべ実況してた頃と同じ目をしてますよ、原田さん」と若干呆れつつ千歳が言う。
「サラ、君が一番最初に仮眠するスケジュールだから、少し休んだらどうだい?」西園寺が気を使ってアルサウードに仮眠を勧める。
「いえ、でもしかし…」
「無理すんなったら」
「…はい、それではお言葉に甘えて…申し訳ございません」とサラがぺこりとお辞儀して謝るが、
「いや、そんなことはないよサラ、謝らなくていいからね」西園寺がフォローする。
まだ22時前だが、それほど大きな負担がかかっているわけでもない。
「<やっぱり今夜は比較的暇だな…勝ったな>」とチェンが英語でつぶやく。
「<いやいや…だからそれがフラグなんじゃないですかプラミー?>」ンゲマも英語で返す。
「<フラグフラグって、ホントにみんなフラグ好きだなあー>」
「<日本には「一級フラグ建築士」という国家資格もあるんですよ?>」と冗談でンゲマが言うが、
「<ハッハー!それは日本のアニメで腐るほど見たからネタは知ってるぞマギー!>」
「<あー知ってましたか>」ニヤリとするンゲマ。
受付のディスプレイが救急からのメッセージを表示し、ディスプレイ外に別途作られたGUNFIGHTと書かれたLEDが赤く点滅する。
本宮が即座に反応する。
「じ、銃創患者です!2名!5分後に、来ます!」
…
…
バーンとER入り口が開く。ストレッチャーが入ってくる。
「キャバ嬢同士の喧嘩、2名が同時に銃を取り出して発砲」救急隊員の小林がうんざりしながら言う。
ちらっと見て西園寺は2台目のストレッチャーに向かう。
「山口先生、こっちお願いします、僕は2台目を!」
「一人目、33歳女性 名前は不明 左上腕部と右大腿部に被弾 弾の出口が不明 出血は現場で推定500ml、ヴァイタルは140の100、心拍100、グラスゴースケールは10」
「クソがあああ!あの女あああ!ぶっ殺してやるううう!」と、こちらも暴れている。が撃ち合いによる興奮状態なのだろう。アルコールの匂いはしない。
「なんか…常連客をめぐってトラブルになった、言うてますけど、もうしらんですわこんなん…」小林が心底うんざりしながら言っている。関西弁が出ているので本気で辟易しているのだろう。
「じゃあこちらは私がみまーす 小林さんおつかれさまぁー 外傷3号に入れまぁす マギーちゃーん、れっつごー」山口がやや早口になっているが、それでものんびりとした口調で告げる。
「銃はどこにあるのかしら?」ンゲマが気にする。
「さあー、でもあったらアレなので警備よんでおくねぇー」
2台目のストレッチャーが入ってくる。
「キャバ嬢同士の…決闘だそうです こちらは24歳女性 名前は不明」救急隊員の角田がやや緊張しながら言っている。
「銃で決闘って…西部劇かよ…」西園寺がつぶやく。
「あながちそうかもしれませんよ…45口径らしいです」チェンが銃を見ながら言う。
銃はどちらのキャバ嬢のものかわからないが、ストレッチャーの上の患者の足の間に置いてある。M1911のようだが派手にデコってありシールで盛られている。スライドは後退してストップしている。
「どちらも弾倉が空になるまで撃ち尽くしたんですが、お互いに当たったのは2発づつのようです こちらは頭に当たってますが」と角田は言い、患者の右側頭部を指差す。
「<…こりゃあちょっとなあ…>」チェンが広東語で小声で言う。
「ヴァイタルは180の140、心拍150、右側頭部と下腹部に被弾」
「こっちは当たり所が悪すぎる…けどまあやってみよう、外傷4号へ シヴァームを使う」
…
2台のストレッチャーがあわただしく外傷3号と外傷4号に入る。
一気にリソース表示が
82.35%
になる。
2つの外傷室で同時にルナを使っているのだろう。
原田はまだ余裕があったが、
(ここでなんか特殊なことをされたら…まずいわね…)
この夜はじめて、ようやく原田は焦り始めた。




