うまれながら犬畜生ですが
尾は急所とはいわないが痛いものは痛い。
俺は首だけ振り返る。
「放せ。食べるとは何だ。お前は食べる肉も無さそうだが」
それを聞いて緩慢に手放し、自分のした事を見ておろおろとする男は答えた。
「失敗したら代償だと書に!」
「人の肉なんぞ臭くて食えるか」
「…へ?」
身体を男に向き直し改めて観察してみる。
薄汚れた服は見たことがある。確かあれだ。城に出入りする者が着る高級らしいマントと衣装。冒険者の魔法使いとは格が違う上位魔術師か。
この世界の人間の美醜基準なんぞ知らんが悪く無い。汚れてはいるが変に脂ぎるとか体臭だか目が虚ろだとかが無いからな。RPGなら美形の一言。肉もつきすぎず痩せすぎもせず。中肉中背て言い方があったな。それだ。
はぁ、と再び息を吐き続ける。
「人の肉の焼けた臭いを知っているか。髪を焼くより少し鼻につく酸味がかる臭い。あれはたまらんぞ。筋はまだマシだが人の黄色い脂肪は不味い。旨味が全くない。肉の臭みも俺は羊だか熊だか、他の獣の方が草の香りで美味いと思うが、」
と語った所で多少詳細過ぎたようだ。
男は口を押さえ、うぷと戻しそうになっていた。
昔ママンが咥えて持ってきた肉が人だと知らなくてな。俺、かじっただけな。今獣だし。食べたとは言わず未遂だ未遂。
「お前は書に死ねと書いてたら死ぬのか。天気が良いと書いてたら雨が降っても天気が良いと言うのか。真実は紙の上か」
目の前で大きな獣に諭されて呆然とする男。
「た、食べないのですか」
「話聞いてたか?俺は帰るぞ」
俺、犬畜生だから思う。
いつの世も人は愚かだ。
どうせ城内の威光だか試験だか力比べでもしてるんだろう。
我関せずだと鼻をひくつかせ水の気を辿り、ああこっちだと向きを変え脚を進めた。
ぐいっと身体が揺れ尾から尻にかけピリッと痛みが走る。
・・・今度はなんだ。
向きはそのままに首だけを男が見える範囲に振り向いた。
「く、黒鉄魔狼、さま、俺に、力を貸してください!」
「断る。じゃあな」
「ま、待って!待ってください!」
とにかく尻尾を離して欲しい。苛ついて掴まれたままの尾を左右に振ると、男も一緒に左右にぶらんぶらん揺れた。
俺、三メートル級だからな。
「あ、あわわ、お、お願いしまっ、!」
少し強めに尾を振ると男は手が滑ってペッと飛んで転んで地面に蹲った。
ぷるぷるしてるから生きてるだろ。
やれやれだ。さあ、帰るか。
隙間の緩い木間を疾走し川に出た。思ったより森の規模も川も小さかった。
取り敢えず喉を潤し考える。
耳は常に無意識に警戒して忙しなく動く。すんと鼻を鳴らす。
この森には人と獣の臭いが沢山残る。という事は人里に近いか。なれば俺の巨体は目立って仕方ない。動くのは夜だけにするか小型化でもしないと駄目だ。
あの魔術師が陣を書くのに三日以上も掛かるなら、他の移送陣など書かせても同様に日が掛かるな。使えない人間だ。俺の脚を使って同日数で帰れるなら自分で帰る。
「久しく森から出てないし何があるかわからん。小型化するか」
頭の中で犬はどうだったか、とりあえず小さいというイメージを浮かべる。するすると魔力で身体が縮む。フサフサの毛足の長めの中型犬になった。
住処に帰るのに時間が掛かるのは仕方ないと諦め半分、久々人の暮らしなんぞ観ながらのんびりでいいかと脚を進めるのだった。
川沿いに森を抜けると、川幅を石で固定した人為的に整備されたものに変わる。河川工事技術がやっとできたかと感心した。暫くすると川沿いには道が延び、家が散在し始める。集落といえる村があり、進むに連れ増えていく。やがて町といえる規模になった。門があり奥の方には大きな城が見える。
門番と何か揉めてる人の間をするりと抜け入る。これは城下町か。
それにしても人の多さの凄いこと。様々な臭いが混ざり合い鼻が曲がりそうだ。
しかし知っていた人間の暮らしとは随分違う様だ。建物もこの何年かで造りも良く、頑丈かつ様式も増えた様だ。いやこれは中々興味深い。野犬が一匹、城下町を散策するくらい誰も気にしないだろう。
数百年振りに見る人の世に呑気に観光気分で歩く魔狼だった。
はたと思う。人は沢山いるが、犬や猫を見ない。昔は犬には子供が寄ってきては撫で回されたものだが?
「おい、あれだ。あの犬のことだろう」
「ああ報せが来た黒色だ」
「全く。駆除したのにどこから」
「野犬だろう。さっさと仕事しようぜ」
此方に走ってくる足音は聞こえていたが。
はて何のことだ?
首を傾げて立ち止まると、槍や剣を持った男四人に周りを囲まれた。ジワジワと間合いを詰め、上げた腕は槍を振り降ろした。魔狼は向かう槍先を横に数歩動いて避けた。
何だいきなり。
続いて来る槍をまた数歩横にずれてやり過ごす。
「何だこの犬、余裕だな」
「お前が下手なだけだろっ、ははは!」
「まあ見てなって」
おいおい物騒だな。
男達は 次々と槍を振り回しては捕獲して入れたいのであろう麻袋を広げる。魔狼はひょいと数歩だけで避ける。当たらない事に焦れて終いには剣やナイフまで投げる。それも難無く数歩ずれるだけで避けるのだ。
「あははは!犬、やるな〜」
「頑張れ犬〜」
「ちょこまかと腹が立つな!おい真面目にやれ!」
「くっそ、何だこの犬!」
「騎士さん頑張って〜」
気が付けば囲む男達の周りにを町民の野次馬が取り囲んでいた。
面倒臭い。
魔狼は溜息をついた。