えもいわれぬ男の転落
魔狼が訪れた町は、折しも狂犬病が終息したばかりだった。
飼い犬も処分され、暫くは念には念をと動物は処分対象という領主の命もあり冷遇だったのだ。野犬など以ての外。処分されて当たり前だった。
しかし、可愛がっていた飼い犬や飼い猫まで処分された町民達は面白くなかった。
それを主命とはいえ淡々と処分した騎士が追い回し、槍を刺しても剣を投げても命中しないとなれば面白おかしくて仕方がなかった。
「そっちだぞー!」
「お前、真面目に狙えよっ!」
「あははは!」
「犬凄えな、逃げ切れよー!」
「おい、捕まえろっ!」
怯むことも走ることも無く、全ての攻撃を二、三歩進んで避ける。
たまに座って後脚で耳を掻く。
その余裕がある態度と攻撃を避ける姿は尋常ではなかったが見た目はただの黒犬。
野次馬が集まり、醜態を晒し続けて騎士達は段々焦り始めた。
男達は目配せをしたと同時に手にある武器を一斉に集中投擲した。
槍や長剣は重なり、金属と地に落ちる音を響かせた。
犬は跳ねた。少し姿勢を低く構えたと思いきや跳ねたのだ。
投げた武器を跳ねて避け、馬鹿にする様に騎士の肩や背中を踏み台にしては高らかに跳躍した。野次馬の輪をも飛び越えた野犬の美しい黒い毛並が流れて見えた。
「あははは!」
「すげーぞあの犬!」
「わははは!」
爆笑すると共に、犬の見事な動きと姿に感嘆した町民。大ウケだった。
「な、な、なんだ、あの犬…」
騎士達はゼェゼェと肩で息をし着地して悠然とご機嫌に尾を挙げて歩く、黒い野犬の後ろ姿を呆然と見送るのだった。
やれ面倒臭いが、なかなか面白かったぞ。
「何だったんだ。…ま、いっか」
騎士達とのやりとりは魔狼の能力からして軽い運動程度の事だった。
小声で呟いた後、気分はもう切り替わり観光気分だった。
久々に見る町は臭くとも活気はあるし、露天や商店の品が気になるしで気持ち楽しく歩いてまわる。
町の中で黒い野犬は噂になった。
町民は面白おかしく話して回った。美しい毛並みの野犬は忽ち町民に人気者になる。
「あのワンコ!」
「ほれ、犬干し肉食うか」
「あれ、あの犬じゃん」
すれ違いざまに撫でようとする者、餌を投げやる者、呼んでみては脚を止めさせ眺める者。遠巻きに未だ捕獲する気なのか纏い付く騎士。
・・・俺、何でか目立ってるな。
魔狼はそれを鬱陶しく感じ始め、そろそろ町も出て海に向かおうと町の出入り門に向かった。
「………」
「………」
姿を認めるとお互いが沈黙した。
見た事がある男と犬の目が合った。
「あ、ぁあ?!ま、魔狼さまあぁ!」
叫ぶと同時に、両手を広げ愛しい恋人に会ったが如く飛びかかって来た男はあの魔術師。
犬の形に変わろうと実際は小さくなっただけだ。元の姿を知るこの魔術師には正体がバレるのは当然の事。
犬に向かい敬称を付け突進する男。
真っ直ぐ走ってくる。
犬は右に、たんっと跳躍した。
魔狼がそれを避けるのは当たり前の事だ。
「あっ、ああっ?」
避けられた悲しみで四つ這いになってメソメソし始める魔術師。
それを尻目にひと言呟き、何もなかったように魔狼は町を後にした。
「……阿呆だな」
門番騎士は見た。
冒険者や魔法使いの憧れであり、城の魔術師協会の若手の頂点にいる男。魔導師クロウ・シャズナルが、野犬に向かい奇声を発した姿を見た。
更には崩れ落ち、外聞も気にせず四つ這いになりすすり泣いているのだ。
「あ、あの…シャズナル様。大丈夫ですか」
「…は、あ、ああ。大丈夫、だ」
声を掛けられ我に返った様だ。
五日ほど前だったか。沈んだ顔で門を出たきりだったが。帰ってきたシャズナル様は服も顔も全体に薄汚れ、髪はクシでとくのも怪しい程にもつれ跳ねて、表情も暗い。そしてこの奇行。
何があったのか訊きたいが、ただの下級騎士の門番が聞けることではない。ぐっと我慢した。
この魔導師は普段は銀華の君と渾名がつく程魔術師としての実力は最高峰と申し分無く、皆の憧れであり男女問わず高嶺の華だった。
流れる銀髪は美しく、澄んだ薄い清水か空を想わせる目は人を惑わせ、その薄い仄かに赤みを感じる口唇は色香を感じる美男だった。
それが今、全てが台無しな程に惨めなナリなのだ。大丈夫とは言ったが姿は四つ這い。
何かを逡巡したかと思えば突然立ち上がった。口をきゅっと結び何かを決心したかの様だ。すっと振り返り、犬の去った方を見やり走り出した。
「え、シャズナル様?!」
「ま、魔狼さま〜!待ってください〜!」
その日から暫く城下町は元より城の中まで、黒い美しい野犬の話と、門で気がふれたかの様に野犬に求愛行動を見せたらしい、しかも追い掛けて町を出て行ったという尾ひれのついた銀華の君の噂で持ちきりだった。




