5~壁際のみそっかす姫
† † †
「それで、話って何だ? まさかいまさら不敬罪で訴えるとかそんな話じゃないだろうな」
中庭の奥まったところ――人目を避けて話せる場処まで異動すると、ロードナイトはもう、いつものすました顔で、揶揄するように切り出した。
さっきまで、泣いていたウェラディアを慰めてくれていた人とは、まるで別人のよう。
一瞬そんなこと考えてしまうけれど、この場合、むしろ手っ取り早く切り出してくれたのはありがたい。
それでも。
どうしよう。何から切り出そう……。
ちらりと、俯いていたところから上目遣いに青年を窺うと、どきんと心臓が跳ねる。
青年の涼やかな顔は、まるで月明かりに照らされた廃園に佇む月の精霊のように清冽な美貌でもって、簡単にウェラディアの鼓動を高鳴らせてしまう。
ぱっと視線を逸したところで、怪訝に思われたのだろう。
一歩足を踏み出して近付くのが、視界の隅に見え、ほとんど無意識にウェラディアは後ずさった。
「おい、大丈夫か、顔が赤いぞ。やっぱり具合でも悪いのか? 戦ったときにどこか、負傷でもしたんじゃないか?」
気遣わしげな言葉に、違う、なんでもないと顔をあげたところで、大きな手が額に当てられた。
「わぁっ! やめ……なんでもない、別に怪我なんかしてないってば!」
慌てて逃れようとしても、壁際に背をついた状態で肩を掴まれ、身動きできない。
だからなんで、こんなことに――。
「そうか? ならいいが……打ち込まれたのなら、体に痣ができるからな。場合によっては、しばらくして捻挫に気づくこともあるし、案外時間が経ってから痛みが出るからな」
「そ、そんなこと、大丈夫に決まってる。俺は……女じゃあるまいし、まだ見たい試合だって……」
反射的に天の邪鬼な言葉を吐き出すと、心配そうにやさしげだった顔にじろりと睨みつけられた。
「従騎士の身分で、よくそんなことが言える……おまえ、宿は何処だ!? 部屋に縛り付けてやってもいいんだぞ!? 落ち着いた頃に熱が出ることだって、あるんだからな!?」
強く叱りつけられて、ぐ、と唇を尖らせた。
自分ではわからないけど、確かにまだ、少しふわふわした気分でいるから、興奮しているのかもしれない。
落ち着かなきゃ。
胸に手を当てて、息を吸って、吐いて――深呼吸を繰り返すうち、少し、視界がはっきりしてきた。
「ん、そうやって、よく気持ちをコントロールするのも剣士として重要な事だからな……おまえは攻撃は下手だけど、目がいいから、それはそれで伸ばすといいかもしれない。まだ若いんだし、焦らないで頑張れよ」
「本当か!? って……違う! そうじゃなくて、話というのは――」
従騎士として誉められても仕方ないんだっては!
「話というのは?」
端正な顔が、不思議そうに首を傾げる。そんな仕種さえ、絵になっていやになってしまう。
――黙れ、私の心臓の鼓動。五月蠅い。
「その……その、だな……ロードナイトは、王女……殿下のこと、どう思う?」
「王女殿下? なんでまた突然……あ、おまえ殿下に憧れているとか、そういうことか? あまり、公式の行事には参加されないと伺っているが……」
「そうじゃなくて……その……今回の大祭で決められる漆黒の騎士は、王女……殿下のためって噂もあるだろう? だから……おまえは、そのこと、どう思ってるのかなと思って……」
「ああ、“みそっかす姫”? 王女はひどく出来が悪くて、国政など関わる能力がないとか――あの噂のことか?」
ぐ。本人なんですけど。
何度も聞かされた言葉とはいえ、目の前の端整な美貌の青年に口にされると、それはそれで、潰している胸が軋んで壊れそうな心地がするぐらい、痛い。突き刺さった。
凹むあまり、一瞬、目の前が真っ暗になったような気がする。
体が、崩れそう――。
「おい、大丈夫か!? やっぱり、具合が悪いんじゃないか!! ちょっと休んだ方がいい――ほら、座って」
ふらりと体が傾いだところで、腕を掴まれ、壁際に屈み込まされる。
「大丈夫だってば!」
ウェラディアは屈み込んだまま、ロードナイトの手を振り解いて、膝を抱え込んだ。
こんなの、おかしい。
いまさら、みそっかす姫などと、言われたぐらいでこんなに凹むなんて――。
言われ慣れているはずじゃない。いつも背中に飼ってる猫は何処に行ったの!?
自分に言い聞かせようとしたところで、唇を噛みしめた。
ううん、違う。
ロードナイトに言われるのは、たとえばジルトレーシー公爵やほかのろくに知らない貴族に言われるのとはやっぱり違う。
――言えるわけがない。
自分こそがその、みそっかす姫で、こんなに至らない自分の騎士になって欲しいだなんて。
「悪かった……おまえは……その、殿下に憧れているんだもんな。軽口とはいえ、みそっかす姫だなんて……っと、悪い。別に他意があったわけじゃない。殿下はその……深窓の姫君なのだし、儚い方でいらっしゃるのだろう」
さわさわと慰められるように頭を撫でられたまま、ウェラディアは目を瞠る。
いま、なんて言った?
深窓の姫君? 儚い方?
王女としてだってあまり聞いたことがない形容詞を聞かされ、当の本人として、思わず顔をあげて目を瞠ってしまっていた。
すると、顔のすぐそばで勿忘草色の瞳が、いつになくやさしい色を帯びて、ウェラディアを見つめている。
う、わ……ちかっ! 近いー!
動揺に頬を赤く染めるより早く、心臓がどきんと大きく跳ねた。
もしかすると、先に泣いていたから、顔が赤いのもそのせいだと思われたのかもしれない。
じっと、透き通る薄青紫の瞳に見入っていると、またさわさわと頭を撫でられた。大きな手の感触が心地いい。
青年の静謐な顔を見ているうちに、ウェラディアの心も不思議と凪いだ。
少し落ち着いてくると、やっぱり首を傾げたくなってしまう。
みそっかす姫はともかく、深窓の姫君なんてどこから出てきた発想なんだろう?
それとも、王都周辺はともかく、ロードナイトの住む地域や行っていた学校ではそんな噂があるのだろうか――。
「王都にいないというだけで、口さがないことをいう者もいるだろう。それでも、おまえみたいに忠実に信じる者が存在することを、殿下が知れば、きっとお喜びになる。それにほら、仕官の道はすべて途絶えたわけじゃないし……」
「ロードナイトは……王女……殿下のこと、なんで深窓の姫君だなんて……思うんだ? そんな噂でもあるのか?」
「ん? だって、殿下は亡き王妃殿下が亡くなられて以来、王城におられないのだろう? つまりそれは、母君が亡くなられ、ひどく意気消沈されたということだろうし、人前にあまりお出にならないということは、おとなしい気質の方なのだろう。そういうのを、深窓の姫君というんじゃないか?」
唖然。愕然。
驚きすぎて、開いた口が塞がらない。
確かに――確かに、話の筋としては間違っていない……ような気もする。
間違っていないけど……盛大に間違っている。
どうしよう……みそっかす姫と深窓の姫君。
どちらの名で呼ばれるにしても、とても名乗り出る勇気が湧いてこない。
「カルセドニーなんか、なんとなくひょっと勝ち抜けてしまいそうだからな……あいつが漆黒の騎士にでもなったら、ウェラディア姫とも会う機会があるかもしれないぞ」
「え、ロードナイト……ロードナイトは!?」
咄嗟に肩の辺りを掴んで、顔を寄せてしまっていた。
目の前で、ふっ、と白金色の髪に縁取られた白皙の相貌が、儚げに微笑む。
しまっ……。
いつもの澄ました顔でもない。
顰めっ面や嘲笑い。険を強めた顔でもない。
深窓の姫君というのは、むしろこんなふうに微笑むんじゃないだろうか。
そう思ってしまうくらい、いまにも消えてしまいそうな――まるで薄ら氷のような微笑み。
「な、ん……で――ロードナイト……」
なんでそんなふうに、痛そうに笑うの?
「カルセドニーを見ていると、ときどき、賢王の下にいたのは、こんな漆黒の騎士だったんじゃないだろうかと思うときがあるんだよな……そう思うと、なんとなく、戦う前から負けた気持ちになってしまう」
「そんなっ! そんなこと思っちゃダメだって!」
意外だ。
いつも淡々として、凍てついた真冬の氷壁のように冷静だから、むしろ自信に溢れていうように感じていた。
それとも、この間みたいに自分のために、あえて気弱なことを言ってくれてるのだろうか。
でも、そんなふうにも見えない――。
「勝つことを信じなかったら、絶対に勝機はやってこないぞ! 自分のことだけに集中しろって言ったの、ロードナイトの方じゃないか! それに勝ってくれなきゃ……」
「おまえが推薦状を融通してくれた人に、顔が立たないか?」
にやりと片方の口角を上げて笑われ、はっと我に返る。
あれ? やっぱり元気づけようとして揶揄われたのか? あれ?
ぱっと顔に熱が集まるのが、わかる。きっと顔は真っ赤になっている。
「そ、そりゃあそうだろ! 俺だって駄目だったんだから、おまえには頑張ってもらわないと名誉どころか、評判に傷がついてしまう――だいたい、賭け屋の瓦版にだって、文試上位者は武術実技が苦手なのでは!? とか書かれていたし、だから……」
勢いこんで話していると、必死に掴んでいる肩の辺りから、振動が伝わる。
「ロード……ナイト?」
「くくっ……はははっ……評判に傷が、ね……」
「な、わ、笑うなんてひどいぞ! なんだよ、俺は真剣にお前が悩んでいるのかと思ってだな! あーもう損した。慰め料取るぞ!」
上目遣いにきっと睨みつけると、どういうことだろう。ロードナイトは盛大に破顔していたのを潜めさせて、思惑ありげな視線で、ウェラディアを斜めに見た。
「慰め料ねぇ、取りたければ……どうぞ?」
いつになく、艶めいた顔ともったいつけた声音に、胸がときめかずにいられない。
な、何、その顔、反則じゃない。反則だってば!
清澄な顔立ちが、挑戦するような目つきをするだけで、こんなにも印象が変わるものなのだろうか。無垢だと思っていた花が、近づいてみれば、誘うように淫靡な芳香を放つときがある。期せず足下を掬うように人を陥れるような――そんな誘惑に、どうやって抗えばいいのだろう。
勿忘草色の瞳の上に白金色のけぶるような睫毛がまばたきするたび、俯せられるのに見入ってしまう。
怜悧な眼差しにこんなに間近で流し目をされる日が、来るなんて。
ウェラディアはしばし固まったまま、身じろぎひとつできなかった。
「あ……い、や……そ、の……」
待て。落ち着け、私の心臓。
どくどくどくどく、耳元でうるさいんだってば!
「もちろん、俺から取り立てると言うことは、おまえからも取り立てていいということだよな? 慰め料」
月下美人が、花開く瞬間というのは、こんな感じかもしれない。
誘うようにウェラディアの目を惹きつけた艶やかな顔が、ふわりと綻んだ途端、怜悧な目尻が下がり、やさしげな印象に変わる。
清廉な花が、自分のためだけに咲いてくれているような錯覚に、引き込まれてしまう。
う……まずい。
顔、真っ赤かもしれない。動けない。そんなの、おかしいってば、絶対。
男の従騎士は、いくら整った顔をしているとはいえ、男に微笑まれても、顔を真っ赤にしたりしないんだってばー!!
「ん? どうした、デュライ? おまえ、顔真っ赤だぞ?」
子どもの熱を計るように額に額を寄せられそうになり、甘やかな相貌が近づいてくるのが、まるで恋人が口付けするのは、こんな仕種をするのでは――と思えて、息が止まる。ほんのわずかな間にも、思考がめまぐるしく巡ってしまう。ないとわかっていても、考えずにいられない。
心臓がばくばくとうるさく鼓動を速めている。
どうしよう、このまま――。
このまま口付けられてしまったら!
ウェラディアは大きな手が額に触れて、端整な顔がまばたきするのを見つめて、完全に固まってしまう。
「……おまえら、そんなところで何やってるんだ?」
呆れたような声が降ってきた。
ウェラディアがはっと我に返り、顔を上げると、カルセドニーのすらりとした背の高い姿が威嚇するように腰に手をあてて立っていた。
「どわっ」と動揺した声をあげ、慌てて体を引き剥がす。その間も、頭の中で、忙しく言い訳の言葉が駆け巡る。
別にこれは、キスしようとしてたとかそういうわけじゃなくて――いやいや、おかしいそれ。本当に違うんだから。た、ただ――ただ単に慰めてもらっていただけで――。
ウェラディアが混乱に目を回しているそばで、動揺の大本になった青年は、淡々とカルセドニーに答えている。
「いや、こいつ顔真っ赤にしてるから、もしかして熱でもあるのかと思ってちょっと計ってみようかと思って」
「んー……なるほどなるほど。おまえが面倒見がいいところがあるのはわかった。とりあえず、俺は知ってる。しかしだな、ロードナイト。いくら中庭の奥といえども、一応ここは公共の場所だ。全く人目がないわけじゃないんだから、もー少し、挙動には、気をつけよう、な?」
ぽんぽんとロードナイトの肩を叩いて、もう片手の親指で、背後を指し示す。
その先には、ひそひそと顔を寄せて訝しそうな目を向けるご令嬢がふたり。
――ついてきていたのか。
ウェラディアはがっくりと肩を落とし、けれども次の瞬間、どうとでもなれといわんばかりに、視線を天に仰向けた。その瞳はどこか死んだ魚のように虚ろだったけれど、口元にはうっすら笑みを浮かべていて、やや不気味な空気を纏って見える。
まぁいいわ……誤解ししてくれていた方が、多分、私には都合がいいもの。
そう開き直ろうとしたところ、揶揄うときの――思わせぶりな調子でカルセドニーがとどめを刺す。
「俺も見ていたけど、角度的には、絶対キスしてたと思われてるぞ?」
黒髪に縁取られた秀麗な顔に浮かんでのは、にやりと人の悪い笑顔。
確信犯の微笑みだった。
ひとまず仮に上げておきます。
何だか書くのが進んでませんが
第七章、あと一回続きます。×
あと三回続きます○【追記】
【次回予告】
第七章-6~昼食と慰めと明日のために




