4~みそっかす姫のささやかな復讐
† † †
『好きなだけ泣いていいぞ』
ウェラディアは一瞬、ロードナイトに何を言われたのか、わからなかった。
『おまえ……なんで棄権しなかった? あのまま打ち込まれてたら、あるいは骨折してもおかしくなかっただろうが!』
以前、試合で戦うことをあんなに強く非難してきた人が、負けて涙を流した自分に、こんなことを言うなんて。
頭のどこかで冷静にそんな声がしたけれど、心がぐらりと揺れ動く気配に、身が竦む。
たかがこんなことで、泣くなんて――。
「お、俺は、子どもじゃ、な……」
抗おうとしたけれど、剣士の強い力に遮られ、身じろぐことさえままならない。
そのまま、こういうときは泣いてもいいといわんばかりに髪を撫でられると、どっと涙が溢れ出た。
暖かい感触に母の俤が脳裏をよぎり、次にふと、母が――元王妃が亡くなったとき、父王を求めて探し回ったことが唐突にいま体感していることのようによみがえった。
あのとき、私がそばに近づいても、お父さまは悲しみに暮れていて、私を見てくれなかった。こんなふうに抱きしめてくれなかった。
記憶の中の感情が渦巻いて、意識しないまま体が震える。
すると、呼応するようにぎゅっとロードナイトの腕の力が籠められ、顔も体もさらにひきしまった胸の中に沈んでしまう。ロードナイトの匂いがする――ウェラディアは、筋肉質な腕の中で、そっと目蓋を閉じた。
心臓の鼓動が聞こえる。
規則正しい音は、何故だかひどく目の前にいるとりすました相貌の青年らしい気がして、くすりと喉の奥で笑ってしまった。
あのとき、わたしはお父様に、こんなふうに抱きしめて欲しかったんだ。
母親がいなくなり、父王との間を繋いでくれる存在がなくなってしまうと、そのささやかな我が儘を父王にぶつけるようなささいなことさえ、どうしたらいいかわからなかった。
なんでロードナイトは、私が泣きたがっているって――こんなふうに泣くときにそばにいて欲しがっているってわかったんだろう。
それこそが、ウェラディアにはよくわからなかった。
妹さんがいると言っていたけれど、そのせいなのかな。
もし兄弟でも姉妹でもいたら、母が亡くなっても、ずっと一緒にいてくれたんだろうに――ひとりで嘆く父王の背中を見つめ続けた記憶が目蓋を過ぎると、つきんと、胸が痛んだ。
……いいな、兄妹って。いつでも、泣きたいときにはそばにいて抱きしめてくれるんだよね、きっと。
少しだけ、顔も知らない会ったこともない人に嫉妬してしまう。
ウェラディアにとっては、ロードナイトは赤の他人。
しかも――。
「まぁ、ロードナイトさま、この間もあの従騎士を壁際に追い詰めてませんでした?」
「やめて! 少年愛なんて認めないわ、あなた声かけてきてよ!」
「なんでわたくしが……いやよ、冷たい声で拒絶されたら……ああ、もう! 絶対無理だわ!」
「この間は、冷たく拒絶されるのも素敵! とか言っていたじゃない!」
「それとこれは別ですわ!」
なんだろう、風にのってかすかに聞こえてくる、この笑えない掛け合いは……。
ウェラディアはひとしきり涙を流し終わってすっきりしたのか、ロードナイトの腕の中でわずかに身じろぎすると、聞こえてくる声に意識を奪われかけている。
「でもふたりが、男同士でも真剣に愛し合ってるのなら、それはそれで美しいわ……」
うっとりとした声音に、ウェラディアははっと我に返った。
男同士――。
その言葉に我に返った途端、ぶぁあっと顔に火が点いたかのように熱が走った。
「あ、うぁ……放せ、ロードナイト……やばいって、これ」
「ん? もういいのか」
そう言って、顔を上げたウェラディアの頬を大きな骨張った指で拭うのは、もうほとんど無意識の仕種なのだろうか。
男に、抱きしめられて、しかも泣いた頬を拭われるなんて……しかもしかも。
「きゃああ!! 見た!? いま頬の涙を拭ったわよ!?」
「や、やめて……わたくしにはちょっと刺激が強すぎますわ……」
見られていた。
見られている。
ウェラディアの方だって、刺激なら充分なほど強すぎて眩暈でくらくらしている。
ぐいぐいと袖を引っ張って、上目遣いの涙目で、訴える。
「……ロード、ロードナイト……ちょっと、あっち行こう……もうちょっと、人目につかないところ……頼むから」
「あ、ああ。そうか……男が人前で泣くのなんて、見られたら恥ずかしいもんな」
そういう意味じゃなかったけど、ここは反論しないでおく。
早く早くといわんばかりに、ロードナイトの灰水色した上着の袖を引っ張るウェラディアの耳に、また令嬢の悲鳴のような言葉が聞こえてきた。
「やぁああ! ちょっとふたりだけで暗がりの方に行くわよ、あなた邪魔して声かけてきてよ!」
「何言ってるのよ、あなたこそ早く行ってきてくださらない? あんな従騎士の少年になんて、もったいなさすぎるわ!」
なんというか……もう、何をどうしたらいいものやらわからなくなってきたけど、確かにロードナイトの気持ちも少しわかってきた。話しかけるんだか話しかけないんだか、こんな調子でずっと纏わりつかれるのもかなり鬱陶しいかもしれない。
よぉし!
「向こうの、中庭の奥がいいな……ここは、人目が多すぎるから」
ウェラディアはちらりと遠巻きに顔を寄せあっているご令嬢たちを横目に見て、これ見よがしに、袖を引っ張るのではなく、さっとロードナイトの腕に自分の腕を絡めて、背の高い姿を引き寄せた。
ふわり、とさっき抱きしめられたときと同じ、ロードナイトの匂いが鼻孔を突く。
口元が緩んでしまう。
「わ、おい……えーと、デュライ?」
「ちょっと、ふたりきりで、話したいことがあるから」
そう、話しておかなくてはいけないことが――。
唇を引き結んで、いまは珍しくやさしい青年に冷たい目を向けられる未来を想像する。
嫌われてしまうかもしれないけど、それでも……。
物思いに沈みそうになるとウェラディアの耳に、また震えるご令嬢たちの声。
「見た!? 聞いた!? 中庭の奥に行くんですってよ!? それって、やっぱり禁断の愛……」
「やめてよ、わたくしのロードナイトさまに、少年愛も禁断の愛も、わたくしは認めませんわ!」
禁断の愛!?
わたくしのロードナイトさま!?
誰がよ!? と思ったけれど、もちろんウェラディアの騎士というわけでもない。
いまはまだ――ね。
ウェラディアは自嘲気味に口元に笑みを浮かべると、身長差のあまり、腕にぶら下がるようになりながら、ロードナイトの腕に頬を寄せた。
再び聞こえてきた悲鳴に、にんまりと溜飲を下げてしまう。
ざまあみさらせ!
明日、火曜日は更新おやすみします~
【次回予告】
第七章-5~壁際のみそっかす姫




