第29話 クララへの警告。そして、ノーラへ手を伸ばすのは
上級メイドが辞めてから数日後。
無理やり執事長を休養させたレイナルト様に、皆が不思議そうな目を向けています。
執事長は最後まで反論していたが、結局当主命令で押し切った。
それは、ラルフにも影響が出た。
大量の引き継ぎと仕事量という形で、ですが。
実は執事長は最近疲れやすく、息子としても心配していたらしいのです。
「父さんの頑固で面倒な所ですよ。もう二十年以上、ほぼ休みなしで働いているんだから。しばらく休んで旅行でも楽しめばいいんです」
そう言いながら、奔走する彼は今日も慌ただしく去っていきました。
その背中を見ながら、ニャン旦那様も頷いた。
『そのとおりだな。それで、レイナルト。医者にあのメモを渡したか?』
「……あれには、なんの意味が?」
レイナルト様が眉間にシワを寄せる。
最近、ニャン旦那様とは険悪な雰囲気になることが多くなったような。
『……ふん。分からないなら口を出すんじゃない。お前はエドガーの金の動きを調べろ』
「こんの……くそ猫が……!」
「あわわわわ!喧嘩は駄目ですーー!」
私は二人を止めようと間に入る。
『クララ。これは喧嘩じゃない。自己啓発だ』
「……へ!?じこ、けいはつ??」
「おい、適当なことを言うな。……ああ、そうだ。クララ宛の手紙だ」
ニャン旦那様の言う、“自己啓発”に頭を傾げていると、レイナルトさまが机の上から二通の手紙を取り出した。
「はい?」
「執事長が不在の間は、俺とラルフで回すしかないからな。……中身はプライベートだから見ていない」
レイナルト様は、真面目な顔で私に差し出してくる。
裏を見ると、確かに私宛てでした。
『念押しするところが駄目だと気づいたほうがいいぞ』
「おい、猫!」
放っておくと、また喧嘩が始まりそうです。
私は、二人を遮るように声を上げた。
「まあ……!お父様とフェルナンから、それぞれ届いています……!」
「……フェルナン?名を呼び合うほど親しいのか?」
レイナルト様も結婚式で挨拶したはずですが、あの日は慌ただしかったので仕方がない。
「ええ。ブレナー男爵は、お父様の親しいご友人でしたから。フェルナンとは幼い頃から何度も顔を合わせてきました」
「いや。それは……知っている、つもりだったんだが。……本人から聞くと威力が違うな……」
『……レイナルト、嫉妬はみっともない』
「……おい、猫。お前、たかだか二年後の俺だよな」
『自己啓発だ』
ふふふ。
お父様は相変わらずですね。
“外面だけの無能なら、帰ってくるように”
――レイナルト様は、外面が立派でも意外と普通の男性でしたよ?
それに子供っぽくて、たまに……素敵な所もあったり――。
ちらり、とレイナルト様の顔を盗み見る。
すると、私の視線に気づいた彼が目元を緩ませた。
「クララ?」
「あわわ、なんでもないです……!」
その瞬間、慌てて顔を下に向けてしまった。
駄目だ。
どうしましょう……!
最近は色々と駄目なんです!
考えないようにしても、ふとデートの夜を思い出して顔が赤くなってしまう。
誤魔化すように、手元の封筒を開いた。
さて、フェルナンの手紙はなんでしょう?
(ん……?筆が乱れている?)
いや、彼はいつも豪快な字を書くのだけれど――。
“クララが心配だ”
“ヴィセルク伯爵を信じるな”
何故かレイナルト様への言及が多い。
こんなにあからさまなことを書く人じゃないのに……。
「クララ?どうした、大丈夫か?」
「フェルナンの様子が変なんです……。ここまで心配性ではなかったはずなんですが……。何度も同じことを聞いてくるのが……いつもと違うような……」
普段は本当に朗らかに笑う男性です。
婚約が決まった時も、『おめでとう』と祝福してくれていたのに。
『……彼はなんて?』
ニャン旦那様の声は、普段よりも低い。
そういえば、今のレイナルト様はフェルナンと面識が浅いですね。
未来ではどうだったのでしょうか。
後で聞いてみるのもいいかもしれません。
「いえ。さすがに手紙の内容は教えませんよ〜。“レイナルト様とは仲良くやってるから心配ない”とちゃんと伝えておきます」
レイナルト様は、そわそわとこちらを伺っている。
あのキス以来、レイナルト様の態度が変わった気がします。
「クララ……。それは内容をほぼ話しているからな。こほん……それならば、“夫に溺愛されて毎日大変だ……”と惚気るのがいいと思う……」
「え、それは恥ずかしいから却下です……!」
私の言葉に、彼はぴしりと固まってしまった。
その足を、猫の尻尾が叩いた。
『そういう所だ。牽制の口実がダサいな』
「おい、猫」
『自己啓発だ』
最近はレイナルト様の“溺愛”のフリが、本当のことのように感じてしまう。
そっと手紙を閉じて、目の前の男性へ視線を向ける。
足元の猫と、また何やら言い合いをしている姿は微笑ましい。
この人の、どこを疑えというのでしょうか……。
――ヴィセルク伯爵を信じるな。彼は君を裏切る。
フェルナンの切羽詰まったような筆跡が気になった。
彼は何を伝えたいの?
レイナルト様の何を知って、こんな警告めいたことを書いて寄こしたの?
ニャン旦那様なら何か知っているでしょうか。
わからない……。
でも、何故だろう。
ニャン旦那様が、たまに怖くなるときがある。
ノーラの件では、特にそれを実感した。
(彼のことを信じてもいいのでしょうか……)
こんなことを考えていること自体、酷いのかもしれないけれど。
未来の情報がどこまで正しいのか……。
すべて本当のことを言っているのか……。
あの猫にしか、分からないことだらけなのだ。
――それに最近、嫌な夢をみることがある。
たった一人ぼっちで、窓から外を眺める私の夢。
小さな猫だけが傍にいてくれる。
猫が、花を届けてくれて。
その花を見た私は、いつも悲しくなって泣いてしまうのだ。
ただ、それだけの夢なのだけれど。
目が覚めた後も、その気分を引きずってしまうこともある。
夢の中の猫が、ニャン旦那様にそっくりなのは、ただの夢だからだろうか。
未来の私が一人ぼっちで死んだと聞いたから、怖くなってあんな夢を?
ただ、嫌な予感が胸を重くする。
――これから何かが起こりそうな、そんな気がしてしまうのだ。
◇◇◇
――ノーラ――
「……私が悪かったからこうなったの……?」
質素な教会の床を、雑巾で拭きながら何度も何度も同じ言葉を繰り返す。
順調だった自分の未来が閉ざされてしまった。
こんな場所で生きていかなければならない。
――そんなの、私が哀れすぎるでしょう?
「誰のせい……?やっぱり、あの女のせいなんじゃないの……?」
地味な修道服を身に纏い、毎日のように神に尋ねる。
……本当に悪いのは誰ですか?
私でしょうか。
それとも……。
背後からいきなり肩を叩かれ、ノーラは飛び上がりそうになった。
自分の肩に乗せられた男の手。
そこには銀の指輪が光っていた。
「――あなたは……?」
暗い教会に、ノーラの茫然とした声が落ちた。
周囲には誰もいない。
話しかけてきた人物とノーラだけだ。
いつの間に背後に……。
緊張がじわじわと胸を圧迫する。
――誰?知り合いだったかしら。
まだ修道院に入って日の浅いノーラに話しかけてくる者は少ない。
それなのに、なぜ彼は微笑みかけてくるのだろう。
「君を助けたいんです……ノーラ」
逆光とともに、その人物の影がノーラの顔にかかる。
「助けるですって?」
「まだ、やり直せるはずです」
男の顔はよく見えなかったが、なぜか差し伸べられた手から目が離せなかった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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