そしてふたりは 3
姫はあずまやの中央に置かれた長椅子に、小さく丸くなって座り込んでいた。
幼い姫のためだけに作られた、小さな庭の、小さなあずまや。
昔ここで、クラーエスと姫は二人きりで時を過ごしたものだった。その頃はクラーエスもまだ近衛になる前で、この限られた庭を広いと思っていたが、今、久しぶりに来てみると、とても狭くて驚かされた。厚い壁がそこに迫っているのがわかる。
姫が冥王との誓約から解放されて後、この庭は役目を終えて、人の世話を受けなくなった。落ちた花びらや木の葉が、そのまま枯れて吹き溜まっていた。
クラーエスに気がついて向けた姫の目は、何かを乞うて沈んでいた。
夜が明ける前からここにいたのだろう。どこへ逃げても悲しい気持ちは姫にぴったりと寄り添って、姫を解き放たなかった。
「エリノルさまはわたしの事なんか何とも思ってないんですって。そんなこと、もうずっと前に、気がついていたわ」
姫の、姫だけの美しい夢は終わった。
今は、姫には失恋を癒す、一人ぼっちの時間が必要なのだ。同時に、姫を慰める友人も必要なのだ。
「わたしのことを好きになってくれる人なんて、どこにもいないんだわ」
「姫」
「あなただって、本当はわたしのことなんか好きじゃないでしょ。父が無理矢理決めた婚約者だから。それだけ」
「姫、あの時、まだ幼かったとは言え、わたしはわたしの誇りをかけて、国王陛下のお話をお受けしたつもりです」
「みんなわたしは王位に相応しくないと思っている。みんなそんな目をする。大臣たちや将校たち、マデリーネさまもエドヴァルド叔父さまも。あなたも。父ですら」
みな、自分の野心と姫への忠誠のバランスをどの辺りにおくか、天秤にかけている。姫が、そしてクラーエスが、これから立ち向かわねばならないのは、そういう世界だ。
「だけどお母さまはそんな目はしない。でも、お母さまはわたしが小さい頃に出て行ってしまった。お父さまがあんな人だから愛想つかしたのはわかるわ。お母さまはもうずっとこの城には来られない。きっとお父さまが許さないのね。わたしはお母さまに会えないまま。子供はみんな母親が当然いつもそばにいて慈しんでもらうものなのに、わたしはそれがなかった。わたしには大事な人が欠けているの。わたしのことをそのまま、ありのまま愛してくれる人が。何者にもかえがたくいとおしんでくれる人が。そのせいで心の一番大事なところが欠けてしまったのよ。お母さまがいてくれれば、わたしはもっと、誰もがぜひとも女王にと思うような素敵な女の子に育ってたんだわ」
クラーエスは慎重に口を開いた。
「姫のおっしゃる通りでしょう。わたしも、母がおりません」
「まぁ、クラーエスも?」
「はい。母とはわたしが七歳の時に死別いたしました。妹も同時に、同じ流行病で。祖母も、それ以前に。母か、せめて祖母が存命だったなら、わたしは、その、ここまで朴念仁にはならなかったのではないかと思うことがあります」
「そうだったの。知らなかったわ。じゃあ、わたしたちって似ていたのね」
そのことが、少し姫の心に届いたらしかった。
「わたしたち、特別なんだって思わない? わたしたち、どちらも愛を知らないで育ってしまった。だから、こんなにも飢えた、闇のような悲しみの心を持ってしまったんだわ」
クラーエスはゆっくりとうなずいてみせた。
「そうなのかもしれません」
「共感し合う。同じ気持ちを分かち合う。それが人と人とのつながりの、最も大切な部分ではないの。表面的な言葉ではなくて、絆を深め合う。それがあってこそ、人は傷つけ合わず、温かく優しい気持ちになれるのに」
「姫のおっしゃる通りなのだと思います。わたしたちは人々から信頼されるよう努めつつ、信頼できる人物を見極め、その信頼に応え、相手にも応えてもらい、協力しあう体制を作らねばなりません。ですが、わたしは人の気持ちを察するのが不得意だ。その上、わたしは祖父には遠く及ばない若輩者です。学ばなければならないことを多く抱えている」
クラーエスは剣を抜いて片膝をつき、持ち手を姫に差し出した。
「姫、騎士は、一生に一度、ただ一人の貴婦人に忠誠を誓わねばならないのですが、わたしにはまだ決まった貴婦人がおりません。どうか姫、わたしの貴婦人になっていただけませんか?」
「クラーエスの、貴婦人に?」
「自分の騎士を持つのは、貴婦人の名誉といえます。そして騎士は、生涯変わらぬ忠誠を、自分の貴婦人に捧げます」
姫の顔がぱっと輝いた。
「つまり、決してわたしを裏切ったりしない、という意味ね?」
「騎士が誓いを破ることはありません。わたしの誓いをお受けになりますか? そうすると姫も、騎士の期待を裏切ることのない、貴婦人にふさわしい振る舞いを要求されることになります」
「まぁ、クラーエス、わたしが毎日どれだけ未来の女王にふさわしい勉強やしつけを厳しく受けているか知らないのね。私の先生は五人もいるのよ? こんなに一生懸命努力してきたんですもの。女王になることは絶対に諦めない。そんなことをしたら、昨日までのわたしがかわいそうじゃない」
「そうですとも、姫。わたしも力の限り、お手伝いします」
とにかく今は、二人の関係をこの誓いから始めてみよう。姫は少なくとも、騎士の誓いは気に入ったらしい。
「いいわ。これからはあなたも、わたしの騎士にふさわしく振る舞ってもらうわ。さぁ、たった今からクラーエスはわたしの騎士よ」
姫が喜ばしげにうなずいたので、クラーエスは自分の剣の柄を姫の前に持ち上げた。
The End
お読みいただき、ありがとうございます。
この物語は、2000年代に個人サイトにアップしていたものを加筆修正し、PCを処分するにあたり個人的な保存も兼ねて、こちらに登録したものです。




