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秘密の扉 7

 「クラーエス、すまない。国王陛下との話が長引いてしまって」

 クラーエスは外苑へ降りていくテラスの柵に片尻を乗せて体を休ませていたのだが、遠くに軽い足音が聞こえると、すっと立ち上がった。

 回廊をやってくるエリノルは、日が傾いて光が弱まっても美しく輝くエイジェルステット家の聖衣(せいい)を着ていた。聖帽やベールはなく、冬のことだから美しい毛並みの白毛皮ジーウのゆったりとした薄いガウンを着ている。

「お気になさらず。おかげで頭の中を整理する時間が持てました」

 苑に行きますか? と身振りでたずねると、エリノルがうなずいた。

 並んで苑へ降りながら、クラーエスが切り出す。

「それで、お話とは?」

「うん、特にないんだ」

 クラーエスはエリノルを振り返った。

「ない?」

「会っておいた方がいいだろうと思ったんだ。君をずいぶん巻き込んでしまったから」

 ふたりはしばらく黙って外苑を歩いた。

 苑と言っても、どこか自然な森の辺を思わせるつくりで、緑地に並んだ木々と池と散策路がさりげなく配置されていて、王城の一角とは思えない雰囲気だ。

「では、わたしから質問してもよいですか?」

「どうぞ。でも、答えられない質問には黙秘するよ」

 クラーエスはうなずいた。

冥衣(めいい)でなくて、大丈夫なのですか?」

 聖衣(せいい)のエリノルはふと笑みを浮かべた。質問が違わないか、とそそのかすような笑みだった。

冥衣(めいい)で国王に謁見するのは無礼だと、近衛に叱られたからね」

「は?」

「今夜はブロルの満月なんだ。満月なら、危険は少ない」

「それを聞いて安心しました。鍵のかかった塔の中から出てはならないのかと思っていました」

「用心はしている。でも、それほど大袈裟ではない」

 エリノルは少しあらたまり、

「冥府の使者に名前はない。あの魔法はだからかかる鍵で、それで彼らは塔には入れないんだ」

「しかし、あなたは鍵を解く魔法を売っていた」

 エリノルはふふっと笑った。

「エリーザベトから魔法を買う人はまずいないよ。あの人は相手がとうてい出せない金額を言う。そしてびっくりした客にもっと妥当な値段で自分が占ってやろうと持ちかける。あの人は話がうまいんだ。たいていの人はそちらに乗る」

「はあ」

 クラーエスは感心するしかなかった。

「けれども(まれ)に、死に憑かれた人が使者に操られてやってくることがあって、そういう時は、エリーザベトの話術も効かない。そして、扉が開いてしまうんだ」

 扉が開くのは、だから彼らが来たという警鐘で、エリノルにしてみれば、使者に操られもしないで扉を開けるクラーエスや姫は、かなり迷惑な存在だったのだ。

「万が一のためにさらに最後にもう一つ魔法も用意してある。出来れば使いたくない手だけれどね」

「それは?」

 エリノルは目をふせ、首を振った。

「それは、エイジェルステット家の秘密だよ。君は知らない方がいい」

 クラーエスは好奇心をなだめ引き下がった。

「それでは、魂を取り戻すのに、あの神話は、イェスタの、冥府からの帰還でしたか。あれは、役立ちそうですか?」

「冥府往還記? どうだろう。あの文明にも魔法使いがいて、高度な魔法体系があった。でもそのほとんどがもはや読み手を失った言語で書かれている。伝承も消えた。冥府の王と魂を取引できる魔法は失われた」

 太祖王が、冥王の力を地上でふるったために。

「けれども世界のどこかに、何かの言い伝えに、忘れられた文書に、魔法はまだ残っているかもしれない。読み解き方がわかれば、よみがえらせることができるかもしれない」

「あなたは、それを探している?」

 エリノルは遠くへ目をやった。

「あてなどないんだ。どこにあるかもわからない。だからまず、世界に散ってしまった魔法の知識を集めている。今は殿下のイェスタに関するもの。それから、ここ北方諸王国地方の伝承や魔法、特に昔のフネスリーデン王国のものをね。もしかしたら、いずれ、集まった魔法の中から秘密があらわれるかもしれない」

「それは、かなり時間を要するのでは」

「うん、そうだね。100年、200年……」

「それでは、間に合わない」

 エリノルはうなずく。

「たとえ明日、なにかの伝承が見つかったとしても、言葉は多くを取りこぼす。魔法そのものを編み直し、よみがえらせるのはもっとずっと難しいだろう」

 それでも、少しづつでも失われた魔法を見つけていかなければ、永遠に間に合わないのだ。

「そもそも、魔法がどうして働くのか、本当は誰にもわかっていないんだ。ただ、こうすれば、こうなる。そこは認められる。魔法の体系は、それだけなんだ」

「だから、ひとつづつ、集めるしかない、と? それが見当違いのものであっても」

「うん。僕には関係ないものでも、もしかしたら、いつか、思いがけないかたちで、役に立つこともあるかもしれないし」

 じれったく思う。といって、クラーエスに提案できる策もない。

「なにか、わたしにできることはありませんか。希望があれば、おっしゃってください」

「ありがとう。そうだね……」

 エリノルは束の間思案し、

「もしエドヴァルド殿下が無茶なイェスタ学術隊派遣の計画を申請し、大臣たちの賛成が得られそうにない時は、アールストレーム家が後押しをしてくれたら嬉しい」

 クラーエスは(うけたまわ)ったことを示して右手を胸に当てた。

 外苑は遠くに丘陵も視界に入る作りになっている。ふたりは気がつくと、そんな端まで歩いてきていた。

 クラーエスは自分が遠回りをしていると、よくわかっていた。エリノルがその遠回りに付き合ってくれているのだということも。

 だから、そろそろ本題に入るべきなのだろう。クラーエスは息をゆっくりと吸い、口を開いた。

「あなたは、なぜ、冥王から姫を、助けたのですか? 命をかけてまで」

 エリノルはやるせなくもいっそう高貴なほほえみのまま、

「魔法にかんすることは、エイジェルステット家の職務だ。たとえ城のまかない人が自分の哀れな子供のためにと同じ願いを願い出たのだったとしても、僕は引き受けたよ」

 エリノルは彼方の丘陵へ遠い目を向けた。

「幼い子供が、家のどこかに魔法の扉があるなんて不思議な話を聞かされたら、ちょっと探してみたくなるのは当然だ。ただ、普通は見つけられずに戻ってきて、いつのまにか忘れ去られて終わってしまう。けれども、姫は、見つけてしまった。見つけたら、開けてしまう。それは止めようがない。そして僕は、自分にできそうなことを、やってみた。それだけ」

 それに、とエリノルは笑んだ。

「生きて冥王と会える機会なんて、めったにないでしょ?」

「めったにないどころではない。普通そんなことは起きない」

 相手は死そのものなのだ。軽々しい魔法使いに、クラーエスはつい強い口調になった。

「僕も好奇心が強いんだ。こんな好機は逃せなかった」

 そして好奇心と引き換えに、魂を半分、冥府に持っていかれた。

「冥王を去らせることが出来る。そう確信し安堵した一瞬の隙をつかれたのは、僕のミスだ」

 エリノルは持っていかれた魂に呼び寄せられながらも、この世にとどまろうとしている。

 冬の早い日暮れ、夕日が山に落ちようとしていた。夜を予感させる赤暗い夕日。それがしずしずと山の端をめざしていく。

 エリノルは寒そうに両腕を体に巻き付けて、暮色をつよめる夕空に見入っている。

 美しい光景だった。

 恐ろしく、哀しく、美しい。

 クラーエスは時の巡りがとどまった感覚がし、ゆっくりと確かな速度で太陽が沈んでゆくのを認めてそうではないと理解した。

「失った魂は取り戻せないし、冥王に勝てるはずもないけれど、負けないことならできる。でも……」

 夕日が刻々と沈んで、空気がさらにひんやりと温度を下げた気配が漂ってきた。

 夜がやってくる。

「時々、くたびれるのかな……。もし君が、ある日、こっそり塔に侵入し、その剣で僕を刺したら……」

 エリノルはそっと目を閉じた。

「いっそ、そんな俗っぽくて滑稽な終わりの方が、冥王に勝てた気がしそうだ……って、思ったのかもしれない」

 月のない夜は、冥府の使者がやってくる。

「僕を冥王から救うことは誰にもできない。それは僕がやる」

 冥衣(めいい)を着て、月のない夜を避け、塔に名前の魔法をかけ、鏡の魔法と、さらに最後の魔法を張り巡らせて。

「僕にはできると、君も思ってくれていたら、心強いよ」

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