騎士の誓い 1
「わたしはドグラス・アールストレーム閣下がお亡くなりになられた時の方が、王国にとって一大事だと思ったものだ」
王都の大通りにあるレストランでは、店主が客たちをテーブルへと導いていた。客たちは店に入る前から話に夢中で、持論を展開しあっていた。
「アールストレーム閣下とベルツェーリウスは先王の時代から『国王の左右のまなこ』と呼ばれていた。優劣はなかろう」
別の男が言った。
「いや、だが、学者先生というものは、実のところ何をなさっているのやら、よくわからないところがある。しかも、魔法学者だ。それがいったい国王陛下の何の役に立つのだ? 偽書で国王をペテンにかけていたに違いない。そして金を懐に……、お決まりのやり方だ。そこへいくと、アールストレーム閣下は戦争で王国に大勝利をもたらされた英雄だ。お若い頃、激戦の中で片眼を失われたのこそ、武勲というものだよ」
「確かに、閣下は英雄だった。それでもベルツェーリウスの影響力は強かった。国王陛下が昔、例のことでアールストレーム家と関係が悪化してからというもの……」
窓際の、よく外の通りが見える特別な席へ、店主は上客たちを座らせた。城で働く下級官僚とその書記たち、そして市井の参事会員たち。
「ともかく、左右のまなこはどちらも鬼籍に入られた。新しい時代が来るのでしょうな。今は国王陛下もさぞ落胆されておられましょうが」
店主が飲み物とつまみの皿を手際よくテーブルに載せる。
「どうかな。左右の監視者がいなくなったと、のびのびしたご気分かもしれん」
「少なくとも、今日の主役はさっそくお出かけで、ベルツェーリウスの葬儀には欠席のおつもりだ」
「それは言い過ぎだ。もともと今日と予定されていたんだ」
窓の外から「道をあけろ」と命じる大声が聞こえてきた。
客たちも店主も、窓の外へ目を向ける。大通りには王都人たちがおおぜい出ていた。
騎馬の先払いの一団が人々を路上から退かせ、そこをみずみずしい若者たちが華麗に着飾ってきらびやかに馬を駆けさせ、衛兵にかこまれた大きな王室馬車がやってきた。
ウルリーカ姫が小さな窓から微笑んで手を振る姿が見られたのは一瞬で、侍女たちの馬車が続き、一行はもう通りの先へ行ってしまった。
「ようやくのご対面なのね」
女性陣が浮かせていた腰を椅子に戻した。
「ソフィア王妃は王都には住まわれないから仕方ないでしょうけれど。もう10年越し? 姫のお心が安らぐといいわね」
「今は可愛らしいご様子も、いずれは美しく成長されるのが見えるよう。王妃さまもおよろこびでしょう」
「姫のお召し物は、今日はおとなしめだったわ」
「重臣の喪中ですもの」
「でも襟飾りははじめて見るものではなかった?」
「お顔を美しく引き立てて」
「色味も頬の血色をよくみせていたわ」
「あの襟飾りは誰の作かしら」
「きっと…」
こういうのが得意な侍女の誰それ、いいえ、あの人はもう辞めたわ、きっとあの侍女、と楽しく語り合う。
「侍女たちは馬車の奥深くにおさまって、顔を見せませんな」
惜しいことだと男性客がぼやく。
「姫は近衛からベルント・ファルクさま、アルノルド・ヴェステルベリさま、オーヴェ・ヴェストフェルトさまをご指名したのね」
「ダーヴィド・グルンデンさまもいらしたわよ」
「マグヌス・スレッソンは相変わらず選ばれないのね。わたし、一度、見てみたいんだけど」
「彼はダメ。背が高すぎて見苦しいから選ばれたためしがないの。姫の美的センスは高いのよ」
「クラーエス・アールストレームさまのお姿があったでしょ。マグヌス・スレッソンはその近くに」
「あら、そうだったの。気が付かなかったわ」
「先払いだったから」
「クラーエスさまが都城壁門までの供奉、ただのお見送り?」
「当然でしょうよ。どんな顔で王妃様にお会いになれるというの」
「あれはクラーエスさまご本人の話ではないわ」
「でも、あのオレーンの別邸は、あれ以来ずっと封鎖されているのよ」
「今でもこっそり利用されているのだったりして……」
「まあ」
意味ありげな微笑みがその場に漂う。
様々な語り合いはやがて別の話題になり、みな姫の行列見物を楽しんだ今日をのんびりと過ごしていたのだが、
「これはこれは。ようこそ、いらっしゃいませ」
店主の裏返った声音にみな振り返った。
「あれは」
近衛のクラーエスとマグヌスが店内に姿をあらわしたのだ。
みなすぐさま立ち上がり、ぴっちりと姿勢を正し胸に手を当てて頭を下げた。
構うな、と世襲一等公爵家の嫡男が手を振ったので、人々はゆっくりと椅子に座り直し、声をひそめて目配せしあう。
「パウル・パルムだな。待たせた」
クラーエスは壁際の小さなテーブルに1人でいた学生に声をかけた。学生も立ち上がっており、丁寧に頭を下げた。
「いいえ、こちらこそ、お忙しい中わざわざお運びいただき、ありがとうございます」
「へえ、クラーエスは学生を支援しているのか?」
マグヌスが素早く2人を交互に見た。
パウル・パルムの学生衣裳はさっぱりと整ってはいたが、着古しであるとは、色褪せや繕の具合で見て取れる。
あまり裕福な出ではないのだ。
細く長い指についたインクのしみは、この若者がよく勉学に励む学生であることを静かに打ち明けていた。
「ふうん。未来の公爵ともなれば、将来、個人秘書や私設顧問は必要だ。親の代から仕えてくれる者ばかりでなく、自分のための人材も欲しいところだからな」
さて、とクラーエスは封筒を取り出した。
「マデリーネさまからのご依頼の書類だ」
「はい」
学生が封筒の中身をあらためる。アールストレーム公爵家のものであることを示す型押しのシーグルの紋章と、クラーエスの親筆署名のある文書が出てきた。
「助かります。これで大聖堂図書館の書物を借りられます」
そこへ店の女たちが意味あり気に笑いながら、ジョッキを手にやってきた。
「店からの奢りでございますわ、公爵さま」
マグヌスはにっと顔をほころばせたのだが、
「せっかくだが、勤務中だ。それから、わたしはまだ公爵ではない」
クラーエスはあっけなく断り、
「では、失礼する。勉学に励まれよ」
セヴィニエ銅貨を多めにテーブルにのせて学生に軽く頷くと、マグヌスを引き連れて店を出ていった。
「クラーエス、せっかくの店の奢りを断ることはないだろう。一口くらい……」
二人は馬を預けていた少年にチップを渡し、馬の手綱を引き取った。
「姫のお見送りは終わったが、まだ勤務中だ。酒を飲んでは示しがつかん」
「いやいや、こういう、ほんの一口が、いずれ業務を円滑に遂行する一助になったりするんだぞ。店だって、アールストレーム世襲一等公爵家の若君お立ち寄り、公子が飲んだビールとつまみのセットって銘打って売り出す好機を逃して残念がってるだろう。しこまた儲けたら、いつかの機会にこっそり融通をつけてくれただろうに」
「なんだそれは」
あの馴れ馴れしい女性たちにそんな意味があったのか。
クラーエスの近衛としての仕事は、筆頭という名の調整役。業務の一助や融通という言葉は魅惑的に響いた。身につけるべき嗜みかもしれない。
「俺だって四角四面に規則に従うだけでは難しいことはわかっている。次の機会にはビールを飲むことにしよう」
マグヌスはうんーと唸り、
「いや、気にするな。飲まない方がクラーエスらしい。俺たちがこっそりやるのを見逃してくれるだけで充分だ」
「仲間に入れてくれないのか」
「はは。いつでも歓迎」
ところで、とマグヌスは話を切り替えることにした。出てきた店の辺りを何気なく指差し、
「彼、大聖堂図書館でなにを研究したいんだ?」
「さあな。あの学生はマデリーネさまの奨学生だ。それ以上の詳しいことは知らない」
「ふーん。だが、なぜわざわざ公爵家の名が必要なんだ? マデリーネさまご自身で大聖堂図書館に依頼されればいいだろうに」
「マデリーネさまのご依頼はベルツェーリウスの遺した書物や文書の閲覧だ、主に魔法に関する。死期を悟ったベルツェーリウスは自身の研究に関するすべての資料を王に遺贈し、王は大聖堂へ寄託した。エイジェルステット家には見せないという条件付きで」
「ははあ。魔法の体系も、国家の重要な機密資産だ」
「そういうことだろうな」
「王の命令に叛くことにならないか? クラーエス、加担していいのか?」
「マデリーネさまのたってのお願いだ。断ることはできない」
「ああ、うん、まあ確かに。それはそうだ」
マグヌスは馬の額を撫でながら肩越しに店を見やった。
「護持塔かな?」
思いつき顔でつぶやく。
「護持塔?」
「リンドブラードの塔のことだよ。もともとあの塔は我が王国が滅ぼしたフネスリーデン王国の護持塔で、その魔法は失われたと言われている。ベルツェーリウスは魔法はもちろん、あの塔の研究にも熱心だったと聞いたし、エイジェルステット家が今くわしく知りたいのはそれかな、と」
マグヌスはそこで唐突にパチンと指を鳴らし、
「いかんいかん。俺もちょっと寄り道してアーネの花を手配するつもりだったんだ」
「おい」
「いいじゃないか。クラーエスだってマデリーネさまのご依頼に応えて酒場に寄り道したんだ。俺も騎士の使命をはたすよ」
じゃあ、と言い残すと、マグヌスはさっと馬上の人となり、あっという間に去っていった。




