薔薇のお茶会 7
マデリーネさまが図書室の扉を開ける。ここには鍵はかかっておらず、エリノルの手の中には先ほどの鍵が出番もなく収まっていた。
図書室はほどよく広く、一面の壁に作りつけられた天井まである書架には多くの書物がみっしりと並べられていた。こちらのソファーでゆっくりと余暇を読書に過ごすことも出来れば、あちらの大きな机について何かの研究に没頭することも出来る部屋になっている。
マデリーネさまは右奥の書架に歩み寄った。
「ここよ」
棚から背表紙に文字が金で箔押しされた革張りの本を数冊抜くと、奥に鍵穴があらわれた。
「マデリーネさま」
ここまで同行してきたクラーエスが、ひかえめに口を挟んだ。
「わたしたちまで秘密の鍵のありかを知ってよろしいのですか?」
「かまわないわ。これは殿下がおもしろがって仕掛けを造らせただけで、秘密の重要な物を収めているわけではないから。かくれんぼをして遊びたいの。子供みたいでしょう?」
マデリーネさまはふんわりとほほえんだ。その温かな笑みは、この方がどのような感情を殿下に寄せているかをよく語っていた。
エリノルがもらった鍵を差し込む。書架が動き、奥に新たな空間があらわれた。
隠し部屋は広いとは言えなかった。窓もなく、人ひとり分のスペースしかない。二人も入ればぎゅうぎゅうだ。一方の壁には小さな書棚付きの机があった。書棚には本も収められていたが、おもての図書室とは様子がずいぶんと違っている。製本されていないのだ。紙の大きさもまちまちで、数枚から十数枚の紙片が紙挟みでまとめられている。
「これは古代文明イェスタの図録です」
エリノルが紙挟みをひとつ、取り出した。
「イェスタ……?」
名前ならば姫も聞いていた。遠い土地にある古代の大王国。王は去り、人々も散り、文明は失われた。発掘された遺跡、自分たちとはまったく異なる美意識で飾られた建築群、豊かな壁画の数々に、王弟殿下は最近すっかり魅了されているのだとか。
「これは壁画の写しです。イェスタの人々は、部屋の床にはモザイク画、壁面には様々な絵を彫り、特徴的な建築物に多くの碑文を刻んだのです」
「まあ」
姫は少し考え、
「この人たちは紙を知らなかったのね。お可哀想に、不便だったでしょうに」
エリノルはいくつか図録を取り上げては姫に見せた。
「これは狩りの様子ですね。この絵を屋敷に描かせた人物は狩りが好きだったのでしょう。狩場の水辺の様子も、平原の植物も、みずみずしい。それに獲物の動物たちが美しいと思いませんか。画家はよく観察し、羽根や毛並みの質感をしっかりとらえています」
「ええ。本当に。イェスタの絵は今のわたしたちから見ると形式ばっていて拙く、躍動感に欠けているけれど、この画家は才能があったのですね」
姫は教師たちがイェスタの芸術について教えた言葉をきちんと憶えていたので、ここで正しい会話を交わすことができた。
エリノルは図録を元に戻して別のを取り上げ、静かに紙面に見入った。一枚目には、見たこともない造形の人らしき物体がおどろおどろしく身構えている絵があった。色彩が豊かで明るいためか、恐ろしい中にどこかおおらかさも感じられる不思議な絵だった。
「この絵はなんです?」
姫は眉をひそめてたずねた。ちっとも美しくない。でも滑稽などと言うと興味深そうに目を注ぐエリノルに嫌われそうで、この場にふさわしそうな言葉を探し出した。
「なんだかカワイイわ」
エリノルがふっと微笑んで、
「ああ、そうですね。可愛らしい神様ですね」
「え? 神様?」
姫はびっくりした。こんな珍妙な姿をした者が、神様?
「ええ、そうです。これはイェスタのとても強力な神なのです」
「まあ、でも、あまり……」
ウルリーカ姫のよく知る神はもっと人の造形とそっくりで、人よりもずっと神聖な、崇高な気品と慈愛に満ちた、完璧な容姿をしている。その姿を人に写したならば、そのままエリノルさまやマデリーネさまとなってあらわれるだろうような。そういう美しいものが姫の知る神だ。
「いま僕たちが信仰する神と見目形は違うけれど、本質は同じです。イェスタの人々は、神の姿、神性をこのように表現したのです。見た目の美しさより、人を超えたモノへの畏れを強調したのでしょうね。彼らはオシアンと名付けたこの神に、神秘と畏怖を見たのです」
姫は目を丸くするばかりだ。
「あの、エリノルさまはそんなものに興味をお持ちなんですか?」
「ええ」
笑みがゆるやかに消え、エリノルは無言で絵を見つめた。
姫は心を吸い取られたように、彼のまなざしが神の絵に落ちている姿を見守った。
だが姫の瞳の中で、エリノルは絵から顔を上げ、紙束を元の紙挟みに戻し、
「ありがとうございました、姫。あとでまた読ませていただきます」
「いいえ、ゆっくりご覧になって」
「姫」
マデリーネさまが声をかけた。
「よろしければわたしたちは庭にまいりませんか? 薔薇が綺麗ですわ。お茶の時にはよくご覧になれなかったでしょうから、せめてお持ち帰りになりません? 姫のお部屋に飾ってくださいませ。一緒にどの薔薇にするか、選びましょう?」
「はい」
ウルリーカ姫は素直に提案に従った。そうすればエリノルさまはじっくりと本が読めるもの。とても気の利いた方法に思えた。きっとエリノルさまもわたしの心配りに感心しているわ。
すぐに召使がガーデニング用品をそろえたバスケットを運んできた。
「お持ちしましょう、奥方様」
クラーエスが申し出た。
即座に姫が命じた。
「いいえ、アルノルドが持つのよ。クラーエスは残っていなさい」
「は?」
「アルノルドが持つの。薔薇を摘むのはアルノルドに手伝ってもらいます。クラーエスは来なくていいわ」
姫がもう一度、断固として命じた。
クラーエスはマデリーネさまに対して馴れ馴れしいのよ。
「行きましょう、マデリーネさま」
姫はマデリーネさまの腕を取り、親しく庭へ向かう。
クラーエスに気まずげな一瞥を送って、バスケットを持ったアルノルドが姫に従った。




