喪失と願い sideデューク
ぽつ、ぽつと降り出した雨は、次第に激しさを増し視界を遮った。光が届かずざぁざぁと雨音が周囲を遮断し、この世界に一人きりになる。
フェリシアの墓前。デュークは雨に打たれながら、濡れるのも構わずにここで何時間も立っていた。彼女の家族や関係者はすでにその場を後にしている。
フェリシアが亡くなってから一年が経った。
感情が乾ききり、どんなに悲しくてもデュークの目からは涙は出なくなった。代わりに、髪から伝う雫と降り注ぐ雨が顔を濡らし、頬を伝う雨粒がぽとぽとと顎から落ちる。
「フェリシア……、会いたい」
もう一度会えたら。やり直せたら。何度も何度もそう思った。
あの時、こうしていたらそう考えることばかりで。
あの時、気づいていたら。
あの時、見ていたら。
あの時……。
数えきれないほどの後悔に満ち、自分の至らなさに嫌気が差して何をしていいのかわからない。
ただ、ここで何もかも諦めるのをフェリシアは望んでいないだろう。
寂しい思いをさせたまま何も気づけなかったのに、それを今更放棄してしまうほうが冒涜になるような気がした。
逃げたところで、フェリシアは帰ってこない。フェリシアを理由に、放り出すことはしたくなかった。
誰よりも応援してくれていたフェリシアの気持ちや時間さえも、すべてなくなってしまいそうで何も残らなくなってしまう。
これまで以上にほかに目をくれず、剣の稽古に打ち込んできた。
だけど何をするにも以前のようにこみ上げる情熱はなく、淡々と時間が過ぎていく。
クリストファー殿下や周囲のすごく痛ましげな視線を浴びながら、デューク自身もどうすることなく心は取り残されたまま一年が経った。
もういい、そこまで追い詰めるなと言ってくれる彼らの気持ちはありがたいが、何より自分自身が許せなかった。
フェリシアを殺したコーディー・アドコックを捕まえ、罪を糾弾し、のちに彼は処刑された。ベリンダ・マッケランとも距離を取った。
マッケランのことは馬車の事故や外交のこともあり、任せられていたから気を配っていただけだ。
ずっと違和感はあり、犯人を捕まえることに協力するというから、監視とともに行動をしていた。
調査ではアドコックの単独行動だと挙がっているが、あの男があのような行動を取った要因は間違いなくマッケランにある。今でもマッケランのことを思い出すと、ぷすぷすと得体のしれないものが燃えるように腹の底が気持ち悪くなる。
本当にアドコックが一人でしたことなのか。
もしかしたらマッケランが指示した、もしくはそれらしいことを口にしたのではないか。そういった疑念が離れない。
彼女が指示していなくとも、どうしても切り離せない二人の関係。
ターゲットにされたフェリシア。
証拠もなく、国に返すことしかできなかったが、業務の延長とはいえ一時期でも彼女と近い距離にいた過去が、デュークにとって重石となっていた。
そんな人物に気を配り、その間放置することになったフェリシアが殺された。
誰もデュークを責めない。オルブライト侯爵家の誰も何も言わない。だが、何より自分が一番罪深いことをわかっている。
何が最善だ。何も守れず、彼女を幸せにできずに逝かせてしまった。婚約者であるデュークが気づいていたなら、対処を間違えていなければ、フェリシアは一人寂しく死ぬことはなかった。
考えれば考えるほど、心に黒い染みがぽとぽとと落ち、暗く原型さえわからなくする。
悔しくて、腹立たしくて、何度も何度も数えきれないほど考える。
だけど、後から後悔し、どれだけ反省してもフェリシアは戻ってこない。 失ってしまったものは、永遠に戻ってこない。
さぁっと風が吹き、雨を斜めに運ぶ。
ゆっくりと膝をついて、墓石に額をくっつけた。膝から水が染み込んでいくが、すでに全身濡れたデュークには関係なかった。
「フェリシア……」
喉がつかえて、名を呼ぶ声がかすれた。
次第に雨足が強くなったが、気にも留めずに瞑目したまま深い息を吐く。
「願うならば……」
デュークが幸せを願う相手は、すでに永遠の眠りについた。
それでも、願わずにはいられない。
下賜される際に聞いた、『切に願うと叶うと言われる特別な宝石』との言葉を思い出し、デュークはポケットに手を入れた。
「……直接、渡したかった」
指先に伝わる硬い感触に眉を寄せる。
どうして、ここにフェリシアはいないのか。
振り返れば、ふんわりと笑う姿がいつもそこにあった。
見つめれば、少し照れたように笑う姿が可愛くて愛おしかった。
自分でも気づかぬうちに心はフェリシアに向かっていたということを、失ってから気づいた自分は本当にバカだった。
ポケットから引っ張り出すと、展覧会で飾られていたピンクローザが薄暗い中でも柔らかな光を放っていた。
これはイレイン王女を守ったことと窃盗団壊滅に貢献した功績を称えるものとして、贈られたものだ。
失意に満ちたデュークを案じ、功績者が遠慮すると示しがつかないと半ば強引に渡された。
フェリシアがこの世からいなくなった日が近づくにつれて、不安定なデュークの状態を心配したクリストファー殿下と国王陛下の計らいであることはわかっている。
月の光を浴びると星のように模様が浮かびきらりと光って見えるそれは、控えめで美しいフェリシアを思い出させる物で、この宝石を見るたびにデュークはさらに複雑な気持ちになった。
渡したい相手はこの世にいないまま、フェリシアの命日を迎えた。
もっともこんな情けないデュークからの贈り物はいらないかもしれないが、デュークが何かしたい、笑顔を見たいと思う女性はフェリシアだけだ。
加工して指輪にすべきか迷ったが、フェリシアは手にはめるどころか受け取ることもできない。
今世が無理なら、来世が幸せであるように原石のまま捧げる。
「どうか……、どうか……」
閉ざされてしまった今世の分まで彼女が幸せになれるように……
かすれたささやきは、切なる願いが込められる。
覚えていたいのに、覚えているはずなのに、白くかすんでいくようなフェリシアとの思い出。気づかぬうちに消えてしまいそうになるものをとどめておくように、左胸をかき抱く。
自分でも気づけなかったこれほどの想いを伝えないまま、逝ってしまった婚約者。フェリシアへの切望と、守り切れなかった贖罪が心に降り積もる。
それでもフェリシアの笑顔を思い出すと、その隙間からほの白く柔らかに光が差す。そのたびに愛しさも募るばかりで、彼女の幸せを願わずにはいられない。
振り返ればそこにいた存在がいない寂しさに、耐えられそうにない。
手に入れると幸せになれるとの逸話に縋るくらい、デュークはこの宝石を受け取った日から、どんな形でもいいからフェリシアの幸せを願ってきた。
やり直せるなら、来世があるなら、フェリシアには幸せを。そして、今度こそフェリシアを守らせてほしい。
守りたい。
「フェリシアに会いたい、今度こそ死なせない。嫌なことも忘れて幸せになってほしい。それができるならなんだってするから……」
どうか、もう一度フェリシアに――
「会いたい」
無茶な願いだとはわかっている。わかっていても願わずにはいられない。声を大にして伝えたいのに、思うようにならず情けなく声はかすれたままだ。
デュークは、フェリシアの墓前にピンクローザを置いた。
先ほど降っていた雨が嘘のようにやむ。
黒い雲の隙間からフェリシアの墓前に柔らかに月の光が降り注ぎ、やがてそれはデュークも照らした。
「ははっ」
すっかり乾いてしまったと思った涙が、際限なく頬を伝う。
幾筋も頬に痕を残しながらぼたぼたと地上を濡らしたが、デュークは拭いもせずただ声もなく泣いた。すでに雨で濡れた地面は、デュークの悲しみを溶かすように吸い込む。
フェリシアの優しさや温もりが自分を包み込んでくれるようで、どんな形になってもフェリシアはフェリシアで、優しさと安心感を与えてくれる人。
フェリシアがいたからこそ、憂いもなく過ごせていた日々が恋しくて。愛おしくて。当たり前にあったときにどうして気づけなかったのか、そこに戻る。
そんな彼女を寂しく逝かせてしまった、デュークの自責の念は消えることはない。
「フェリシアを生き返らせて。今度こそ彼女に幸せな人生を……」
その時は、必ず命をかけても危険から守って死なせない。
やり直せるならばつらい記憶はすべて忘れて、フェリシアの思うように生きてほしい。
そしてできるのならば、――――彼女の横で過ごすことを許してほしい。
この手で彼女を守り今度こそ幸せにしたい。ともに過ごしていきたい……。
そして、「愛している」と今度こそ伝えたい。
その想いを最後に、デュークはフェリシアの墓石に寄り添うように崩れ落ちた。
雨の代わりに、フェリシアへの溢れる想いとともに涙がピンクローザを濡らす。
涙が落ちるたびに太陽の光もないのに輝きが増していくが、デュークは気づかない。
しばらくして辺りは淡い光に包まれ、それらの時は幻であったかのようにすべて消えていった。




