36.王女と恋心
第二部/第五章 祈りのダイヤモンド
ようやく窃盗と誘拐事件から世間が落ち着きだしたある日の放課後。
まだ激しい運動は禁止されているが、デュークは脅威の回復力を見せ普通に日常生活が送れるようになった。
ドリンクの作り方のほか、運動をする相手に渡すおすすめレシピを教えてほしいと指名され、私はイレイン王女とセラフィーナとともに、学園の談話室にいた。
デュークにいつもどのようなものを差し入れているのかを中心に、あれこれと意欲的なイレイン王女に質問をされた。
かなり熱心に取り組む王女に圧倒されながら、事前に用意していたレシピの紙を渡し、一通りコツや注意点を教え終える。
「ありがとう。とても参考になりました」
「お役に立てたようでよかったです」
澄んだ空全体をオレンジに染めていた夕日はほぼ落ち、外は暗く影を落とす。
デュークは終わるまで待ってくれており、これを飲み終えたらお開きだなと私はテーブル席で向き合いながら微笑んだ。
目の前には、終始嬉しそうな表情のイレイン王女が座っている。王女はレシピを眺めながら、少し困った顔でぽそりとこぼした。
「喜んでもらえるかしら」
具体的に誰かを想定した発言。じっとレシピを見つめている王女からセラフィーナに視線をやると、穏やかに目を細めたので私は話しかけた。
「誰かにお渡しになるのですね」
「ええ。私がどうすればお近づきになれるか悩んでいたら、セラフィーナがアドバイスをしてくれたの。私が作るからこそ印象付けることができるって言ってくれて」
「そうだったのですね。好きだと相手の反応が気になりますよね」
「そうなの! 考えるだけで胸が苦しくなったり、幸せな気持ちになったり。忙しないけれど、少しでも長く話せて、私と話すときに見せる笑顔はものすごく嬉しいの」
考えもしなかったこの展開に少し拍子抜けしつつ、完全に恋する乙女モードの王女の気持ちはよくわかると頷いた。
「好きだからこそ、些細なことで気持ちが動いてしんどいときもありますが、喜びはほかでは感じられないものですよね。好みもあるとは思いますが、喜んでいただけるといいですね」
「ええ。この喜びはこれまでと違った種類のもので、彼のことを考えるだけで気持ちがふわふわとするんです! やっぱりお話をフェリシアさんに持っていって正解でした。宝飾店を立ち上げ、ベリンダ嬢の悪巧みを見破りとここに来る前から注目していたんです! これからはお姉様と呼ばせていただきます。よろしくお願いいたします」
「レシピを教えただけですので気になさらないでください。呼び方は……、イレイン殿下のお好きなようにどうぞ」
さすがに異国の王女様にお姉様呼びされるのはと断ろうと思ったが、あまりにもきらきらした眼差しで見られ私は受け入れた。
最初に感じた違和感も、王女が述べた理由によるものからきていたとしたら見方も変わってくる。
物語の展開に注意を払っていたため、完全に肩透かしを食らった。
先ほどから妙な脱力感に見舞われ、私は相手のことを思い出し目元を染めたイレイン王女を見つめる。
王女の銀の髪についた大きめの黒のリボンの端が、動くたびに揺れる。
なぜかこの件に関してやたらと私の評価が高い。過剰評価に尻込みし、私は話題を変えた。
「イレイン殿下のつけておられるリボンはシルクですよね? 光沢は上品で美しく、真珠の装飾によく映えますね」
「ええ。我が国で誇れる産業の一つなのでお褒めいただき嬉しいです。触り心地がよく、何より見ているだけでもうっとりするような光沢は独自のものですから。シルクも真珠も自然が作り出したもの。宝石もそうです。あと、一緒にするのは違うかもしれませんが、クリストファー殿下の瞳も綺麗ですよね」
そこでイレイン王女はうっとりと頬を緩めた。横にいたセラフィーナが、やってしまったと顔に手を当てる。
どういうことかと目を丸くすると、セラフィーナがはぁっと大きく息を吐き、申し訳なさそうに口を開いた。
「すでに知っておられるかと思いますが、イレイン様は美しいものが好きなんです。そういったものは世間的に値段がつけられ価値が高い物も多いですが、基本感性に引っかかるすべてのものは称賛しないと気が済まないようで」
「なるほど……」
世間の価値に左右されることなく美しいものを美しいと認める素直さに感嘆と、なかなかの広範囲さに言葉を失くしていると、イレイン王女はふふふっと笑う。
「殿下のあの金の瞳もこの国の王族特有のものですから。似たような金色はあってもあの瞳はとても美しいです。つい、お話ししているとうっとりしてしまいそうになるのですが、周囲には誤解されるから控えるように言われているんです」
王都案内の際に、クリストファー殿下の笑顔にイレイン王女がほわっと頬を赤く染めたのがずっと引っかかっていた。
それもあって、発言からもピンクローザを狙っていると考えていたけれど、まさかその仕草が美しいものに見惚れていただけだとは思いもしなかった。
先ほどの想い人を語る時の照れた様子を見てしまうと、確かに宝石などの美しいものへの感動だと取れなくもない。
イレイン王女の無垢な笑顔を眺め、私は一度気持ちを落ち着けるべくカップに手を伸ばした。
紅茶の爽やかな香りに目を閉じ、ゆっくりと私は息をつく。
いろいろ拍子抜けである。
物語もこの素直さで、厄介な問題にも突っ込んでいったのかもしれない。
立場のある人、異国の王女の行動に、ヒロイン側の視点で話を知る私からすればじっとしてくれたらいいと思ったに違いない。
イベントも無事に乗り越えた今、溜まりに溜まった王女への緊張感がどっと流れ、なんとも複雑な気持ちでイレイン王女と向き合った。
王女は語れるのが嬉しいのか、クリストファー殿下の瞳の素晴らしさについて熱弁する。
「人の瞳は感情や外からの影響で色味が変わりますでしょ。お会いするたびにあの瞳は貴重だなと観賞しているんですよ。そういう意味で、クリストファー殿下とお会いするのは楽しみの一つです。皆様ももっとあの国宝級の瞳を堪能すればいいのにと思っています」
あの時と同じように頬を染め熱弁する王女に視線をやり、セラフィーナが申し訳なさそうに目を伏せ、声を落とした。
「他国の王太子殿下を捕まえて、瞳をものすごく気に入っているなんて失礼なことも言えませんので。婚約されたばかりで誤解を与えるのは困りますし、イレイン様は気を抜くとわりとすぐに表情に出ますので、ユリシーズとともに気をつけてくださいと伝えていたんです」
「なるほど」
紛らわしいが、この流れを見ては納得せざるを得ない。
相槌を打つと、セラフィーナは苦笑しほんのわずかに眉尻を下げた。
「こちらとしてもイレイン様が見惚れ過ぎないよう、買い物に付き合い興味を分散するように頑張ってはいるのですが、その方しか出せない個人の魅力には抗えないようでして」
精力的にショッピングをしていることの新たな理由に、目を見開いた。ちょっと負い目があるような双眸を向けられ、私は首を振った。
「いえ。悪いことだとは思いません。ですが、お相手は異性だと控えたほうがいいことではありますので、セラフィーナ様のお気持ちもわかります」
イレイン王女の想い人の予測として、以前見た表情からクリストファー殿下も身体を定期的に動かすため可能性があると考えた。
けれど、好きな人のことを語る時の表情と、明らかに熱の種類が違う。
意外な理由とともにあっさりとわかった内容はむしろ微笑ましいもので、自然と口元が緩んだ。
「イレイン殿下もそれがわかっていても、ついと言うのもわかります。クリストファー殿下の瞳は確かに珍しい色なので、他国の方に褒めていただくと同じ国の者としては嬉しいです」
「そう言っていただけると助かります。恋をされてからはその辺は落ち着かれたので、私たちも少しゆっくりできるようになりました」
「もうっ!」
セラフィーナの軽口に、イレイン王女は口をぷくっと膨らませたが、自覚があるのか目元をまた赤く染めた。




