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【4/1書籍発売&コミカライズ連載中】死に役はごめんなので好きにさせてもらいます  作者: 橋本彩里
第二部

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悔恨 sideデューク 前編 


 どくどくと鳴る心臓の音がすべてを支配する。

 全身に冷や汗をかきながら、デュークは奥へと進んだ。

 一歩、また一歩。やけにその足取りは重く、現実を受け入れたくないと身体が拒否するのを叱咤して永遠とも思える距離を進んだ。


「……っ」


 まるで静止したかのように静寂が占め、自分の息遣いだけが聞こえる。

 むせ返る血の匂い。

 視界に捉えたそれに、デュークはひゅっと息を呑んだ。


 ――――嘘だ。何かの間違いに違いない……。


 信じられない、信じたくないと、現実を拒否するかのように、視界に、思考にもやがかかる。

 足元には赤く染まったフェリシアが倒れ、まるで憐れむかのように月明りが彼女だけを照らしていた。

 その顔は異様に白く、淡い金の髪は床を散らしている。見開かれた瞳は虚空を見つめ、何も映さない。


「フェリシア……」


 絞り出した音はどうにか声として形を成したが、虚しく宙を舞い力なく落ちる。

 同じ空間にいるのに、一歩踏み出せば触れるところにいるのに、ものすごく遠い。こちらとそちらを完全に分け隔てられ、見えない暗闇が広がった。


 永遠に向けられることのない、美しいエメラルドの瞳。

 冷たくなった亡骸を前にデュークは絶望し、理解したくないと拒み続け、ぐわんと揺れる脳内に吐きそうになった。


 どうして。

 なんで。

 誰が。


 痛みと熱で内臓がねじ切れそうな憤りを押さえつけ、血が滲むほど拳を握りしめた。

 手のひらから流れる血が、ほんの少しだけ気を落ち着かせる。同じ血が流れている。どこかそのことにほっとし、その矮小(わいしょう)さの理由に気づき悔恨に(さいな)まれる。


 今更だ。

 自分がついていれば、


 ――フェリシアは死なずにすんだのに。


 もっと見ていれば、


 ――こんなことにならなかったのだろうか。


 溢れでる想いを伝える相手は、ずっと変わらずそばにいてくれた人は、手の届かない遠くへと逝ってしまった。

 失って気づくその尊さ。

 予想もしないところで、さらさらと手のひらからすり抜けるようにこぼれ落ちたもの。すべてが手遅れで、デュークが何を思おうが届けたい相手に届かない。


 こんなにも婚約者のことを愛していたのだと気づく。

 すべてを覆いつくすかのような喪失感に嘆いても、デュークにとって唯一無二の人であったと叫ぼうが、意味をなさない。


「自分のせいで……」


 自分が至らなかったせいで、彼女は一人寂しく死んでしまった。死なせてしまった。

 フェリシアは最後には何を見たのだろうか。

 何を思ったのだろうか。


 デュークは冷たくなったフェリシアの手を握り、奇跡を願い覗き込んだ。

 握り返されることのない体温を失った手と、見つめ返されることのない瞳。


「ああぁぁ」


 胸は痛むこともなくぽっかりと喪失してしまったかのように、何を感じ処理していいのかわからない。考えられない。

 つぅっ、と静かに頬を濡らしていくものに気もとめず、デュークは小刻みに震える手をかざし、そっとフェリシアの瞼を閉じた。



   ◇ ◇ ◇



 デュークはそこで目を覚ました。

 息苦しさに跳ね起き、ばくばくと苦しいほど高鳴る胸に手を当てた。


「はぁ、はぁ……」


 荒れた息を整えるよりも先に、周囲の様子を確認する。

 見慣れた家具類と、最近ではこうなることを見越して枕元に置いてあるフェリシアとお揃いの万年筆を見て、夢ではなく現実であること、自分の部屋なのだと理解し、ほっと大きく息を吐き出した。


 これで何度目になるだろうか。

 汗ばみ額に張り付いた髪をかき上げ、デュークはぐっと眉間にしわを寄せた。

 交流のため来訪したヨネバミア国の人たち、正確にはイレイン王女を見てから、デュークは頻繁に悪夢に(うな)されていた。


「ああ……」


 言いようのない胸の苦しみは今もデュークを苦しめ、夢でよかったと収めるにはあまりにも切実な思いは、一歩間違えればそうなっていたかもしれないリアルさからか。

 言葉が出ない。


 つぅっと涙が頬を伝い、ぽとりとベッドシーツを濡らした。

 ひどく鮮明な夢はいまだに脳裏にこびりつき、自分の悔恨はあたかも己が経験したもののようできりきりとする痛みは本物だ。


 夢であるとわかってはいても、経験したこの痛みはデュークを苛んでいく。

 あまりにも悲惨な夢に全身の冷や汗が止まらず、一度こぼれ落ちた涙は次々と頬を伝い自分でコントロールができない。


 胸にぽっかりと穴が空いたような喪失感に耐え切れず、デュークは胸を掴む手に力を込めた。

 ばくばくばくと鼓動は早鐘を打ち、きりきりと痛みを訴える。


「……っ」


 それは下手をすれば自分の未来だったかもしれない。冗談ではなく本気でそう思うからか、夢だと片付けることが全くできない。

 フェリシアに気を配れないままの自分だったら、そうなっていたかもしれない。

 恐ろしすぎて、手が震える。


「なんて悪夢だ……」


 やっと出てきた言葉らしい言葉も、震えて自分のものではないようだ。

 フェリシアの危機にも気づかず、元凶となったマッケランに気を配って大事な婚約者を失くした夢は、夢とするにはあまりにも具体的で、一歩間違えたらと重くのしかかる。


 夢なのに、夢のはずなのに、もう二度と失いたくないとの気持ちはデュークの中で育ち、フェリシアを見るたびに、彼女がイレイン王女のことで動こうとするたびに、胸が抉られるほど苦しくなった。

 もう二度と、フェリシアを傷つけるようなことはしない。そう誓った。


 だけど、どうしてじっとしていてくれないのかと苦い気持ちを抱えてしまう。

 だから最近はそのことに触れないように、自分のこの勝手さを押し付けてしまいすぎないように自重している。

 それでも心配は消えなくて、不安はむしろ増えていく一方だった。


 デュークは俯いていた顔をわずかに上へと向け、深く息を吸った。

 頭が重く、くらくらと目がかすみ、夢を思い出すだけで手の震えが止まらない。


 夢はもしかしたらの世界線。本当に起こったことではないのだろうか。

 現に、夢と同じ形のピンク色の宝石が展覧会に展示されている。それをどう見て取るべきか。


 何度も繰り返し見ることで、非現実的だと否定したいのにデュークにはもうその考えを切り捨てられなくなっていた。

 それほど失った衝撃はあまりにも痛烈で。


 愛おしい人を失いたくない気持ちは肥大し、夢であっても、現実であっても、フェリシアが笑顔でいられる日々(未来)を願うだけで胸が引き絞られる。

 震える右手で顔を覆おうとし、デュークは顔をしかめた。


 何度も何度も彼女を死なせてしまった。

 一度掴むことを避けられた手は、また避けられると思うと伸ばすことができなくなった。


 全力で彼女を守りたいのに、このままでは大事なときにこぼれ落ちてしまいそうで……。

 デュークは宙を掴むようにその手を握りしめ、力なく下ろした。



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