18.逸らされる瞳
剣術大会から一週間が経った。
大会の終わりに王女がいたガゼボを確認したが、茶色い染みはなくなっていた。
あったものがなくなったことで疑念が増したが、なくなったものは確認しようがない。
イレイン王女と数度顔を合わせたが、たくさん人がいたため、あの日のことは触れることができていない。
結局、進展せず成果が出ないまま、その時のことが原因でデュークとわだかまりだけが残り、もやもやした状態が続いていた。
デュークとはどことなくぎこちないまま、これまで通りに恋人としての時間を持ち、普通に会話はしている。
けれど、一緒に行動する上でこれまでだったら手が軽く触れていたことも、絶対触れないような位置に座りと徹底し、微妙に距離を取られていた。
「……はぁ」
知らず知らずに、溜め息が漏れる。
よくよく考えれば、デュークと真正面からぶつかったのはこれが初めてだ。
そのため、私も、そしてデュークもこういう時、どのように互いに歩み寄ればいいのかわからないでいた。
どうすればこの状態から抜け出せるだろうかと考えながら、クリストファー殿下たちと話しているデュークを眺めていたら、ユリシーズに声をかけられる。
「フェリスちゃん、大丈夫?」
顔を向けると、眉根を寄せ心配げな表情をしたユリシーズと目が合った。
彼は試合の後、私たちのぎこちなさを悟り、和ますように声をかけてくれ、その後は触れないように接してくれていた。
今も、あれから私たちが微妙な距離感なのを察し、心配して声をかけてくれたのだろう。
優しい人だなと、笑みを浮かべ謝意を伝える。
「私は大丈夫です。剣術大会の時は失礼いたしました」
「僕のことは気にしないで。むしろ、フェリスちゃんの表情がずっと暗いままだから心配だよ。第三者が間に入ることではないかもしれないけれど、元気だしてね。僕としては、ここでたっぷり頼ってくれたら嬉しいのだけど」
ウインクとともに告げられて、私はふふっと笑う。
「十分頼りにしています。教えてもらった本を読んでみました。まさか、児童書に書いていたとは盲点でした」
ピンクローザの逸話の話は、なんと児童書に書いてあった。それらは国によって微妙に細部や結末は違うようだが、願いが叶う話としては同じであるようだ。
「もう調べたの? 僕は聞いた話を伝えているだけだからね。でもさ、今の頼るはそういう意味じゃなかったのに」
「こうして声をかけていただくだけで十分です」
距離も近く少し気安ささえあるけれど、彼なりに周囲に配慮し空気を悪くさせるようなことはしない。
どちらかというと和ませるために発言しているのだと気づいてからは、軽口も素直に受け止めるようになった。
「う~ん。もっと距離を縮めたいのだけどなぁ。これどうぞ」
その証拠に今もはははっと笑うと、ユリシーズは何事もなかったかのようにポケットに手を突っ込み、それから私の目の前に手を差し出した。
「何ですか?」
訊ねるとぱっと開いた手には、銀紙に包まれたチョコレートが出てきた。
「甘い物を食べると少し気持ちが落ち着くよ」
「ありがとうございます。ユリシーズ様も甘い物が好きなんですか?」
受け取りながらうかがうと、ユリシーズが思い出し笑いをした。
「イレイン様はダメだと言ってもこそっと服に忍ばせるくらいチョコレートが好きで、たまに服を汚し……、あっ、これは内緒にしておいてね。まあ、いろいろあって僕が持っていると何かといいんですよ」
「わかりました」
いけない、と舌を出したユリシーズの仕草にくすくすと私が笑っていると、ユリシーズがひどく優しい双眸で私を見た。
「フェリスちゃんは絶対笑っているほうがいいよ。僕なら悩んでいるフェリスちゃんを放っておかないのに」
ちょっとどきっとしたが、常に相手を穏やかに見るヘーゼルカラーの瞳は太陽の下ではより黄色く見え、視線が合うとウインクして見せるその姿は全くタイプが違うのに一番上の兄を思い出す。
イレイン王女と一緒にいる時に親しみのこもった瞳で見守る姿が、そう思わせるのかもしれない。
「お気遣いをありがとうございます。ですが、デューク様にはデューク様の考えがありますし、話す時間は取れておりますので」
デュークのことを考えるとずんと胃のあたりが重くなるが、慕う気持ちは変わらない。好きだからこそ、些細なことでも気になってしまう。
これは恋した者の宿命みたいなものだ。
「そう? また何かあったらいつでも相談に乗るから」
「ありがとうございます」
ユリシーズはそこで苦笑し、どこか寂しそうに瞼を伏せた。
気にかけてくれているのに申し訳ないとは思いつつ、私は話題を変えた。
「剣術大会といえば、イレイン殿下が途中抜けていたようですが、もしかして体調を悪くされたのでしょうか?」
「イレイン様が?」
「はい。私の座る位置からはイレイン殿下がよく見えましたので。確か、第一学年の試合終了後に席を空けられ、それから第三学年が始まるまで帰ってこられなかったのでどうしたのかと。戻ってこられましたが、心配しておりました」
正確には、王女たちが見える位置にあえて座った。その辺りを悟られないように言葉を選び問いかけると、ユリシーズは首を傾げた。
「う~ん。そのような報告は受けていませんね。大会の次の日もショッピングに付き合ったけど、いつにも増して張り切っていたし、どちらかといえばご機嫌なくらいで」
機嫌がよかったというのは、受け渡しをしていた物が関わっているのではないか。
一緒にいた相手は誰だったのか。何を渡していたのか。茶色い染みは何だったのか。どれか一つでも確認できなかったことが悔やまれる。
終わってしまったことなので今後が大事だと気を取り直し、私は探りを入れた。
「お会いした時も変わらなかったので大丈夫なのかとは思っておりましたが、何もなければよかったです。機嫌がよいとのことで、何かいいことがあったのでしょうか?」
「本当にねぇ。僕を含めた騎士が負けたというのに大会後もかなり機嫌がよくて、終始にこにこしていましたよ。僕としては苦言があるかと思ったのですが、あれは欲しい物が手に入ったとか相当いいことでもあったのでしょう」
欲しい物……、ダイヤモンド関係だろうか。
疑問が浮かぶが、げんなりと声を落とし疲れた様子を見せるユリシーズの態度が気になり問いかける。
「それは良いことなのでは?」
「そうだけど、これからもっと振り回されると思うと、ね。それに話題の宝石も簡単に諦めることはないと思うし、何かと付き合うことは目に見えて今から気力が持つか心配かな」
そこで口を尖らせて不服を表すユリシーズは、はぁっと大げさに肩を落とした。文句を言う割に目元は穏やかな光を湛え、本気で嫌がっているようには見えない。
「もともと美しい物がお好きな方なので、興味を持つのは当然な気もします」
「そう。これは逃れられないんだよね。まあ、僕がここでぼやいたところで、付き合うのは必須なのでこれ以上は言わないけど」
男性からすれば、女性の買い物に付き合うのはそれが仕事とはいえ気が滅入ってしまうのだろう。
私の立場ではどういうこともできず、あやふやな笑みを浮かべた。
「でも、窃盗団のこともあるので、ユリシーズ様も付き合わないわけにはいきませんよね?」
「そうなんだよね。そういう意味でも大人しくしていてほしいけれど、大人しかったらそれはそれで心配になるレベルで普段から行動的な方だし。でも、その辺はセラフィーナが事前にイレイン様の要望を汲んで調整してくれているから、予定外のところに行こうとは言い出していないだけ助かっているかな」
ユリシーズとセラフィーナがイレイン王女を心身ともに守り、慕われていることがわかる話だ。
ユリシーズとたくさん話すようになったおかげで、イレイン王女の行動が以前よりわかるので精神的に少し楽になった。
「頑張ってください」
王女がアクティブなのは身を持って知っているので声をかけると、ユリシーズがはははっと笑う。
「他人事だと思って」
「そういうわけでは。ユリシーズ様もイレイン殿下との行動を満更でもなさそうでしたので、そうお声がけするのが一番だと思ったままです」
「そっか。まあ、そうだよね。イレイン様が元気なのが我々にとって一番だし、ほかに選択肢はないから頑張るよ」
逆に励まされてしまったなと笑うユリシーズに釣られて笑っていると、教室で離れた位置にいるデュークと視線が合った。
何もやましいことがないと示すように笑みを浮かべるが、デュークは口元をほんの少しだけ上げ、わずかに瞼を伏せるとふいっと視線を逸らした。
絡まない視線と、意思が伝わっているかわからない態度に不安になる。
胸が焦げるように痛くて、息が苦しくなった。
――まただ……。
二人きりのときはじっと見つめる眼差しは変わらない。だけど、人がいるところでは微妙に逸らされる。
触れられなくなった温もりとともに、そっと逸らされる視線。
変わらないものを数えるとともにそういったことが重なるたびに、私の中に黒い染みがぽとりと落ちた。




